I didn't know the way to keep you from me




※『Moon is the only light』の分岐後。




 いつか射抜けるんじゃないかって思うくらい、じっと月を見続ける。
 瞳が麻痺しそうだ。
 明る過ぎる、強い光。
ちかちかする。
眩しい。
 手を伸ばしても届く筈のない、向こう側には――何が広がっているのだろう。
 その歪に整った月が、美しい。
 お酒、ひとりで飲めばよかったかな。
 ふと、そんなこと思う。
初めてかもしれない、ひとりでも少し嗜む程度に飲んでみたいと思ったのは。
 自棄酒みたいなものだろうか。
気をつけないと。
 手に持っていなくて良かった。
悪酔いしかしないだろうから。
 ふわりとくすぐる、ゆるい風。
 懐かしい。
忘れていた。
綱道と一緒に過ごしていた時は、よく夜空を、月を、見上げていたのに。
 少し、心に余裕が無かったのかもしれない。
随分慣れたつもりでいたけれど、その裏側には気づいていなかった。
 ふぅ、と軽く深呼吸。
 効果があるとは思えないが、余裕の無い自分に、落ち着かせるための気休めとして。

――千鶴はかぐや姫になりたいのかい?

 ふわり、と思い出の引き出しから出てきた、優しい言葉。
 どうやったら月にいけるか、そんなことを綱道に聞いたことがあった。
なりたくない、とムキになって返したような……どう答えたかは曖昧だけれど、少し可笑しそうに微笑んだ綱道の顔を、今も覚えている。
 あの時は綱道がいて、不安も苦痛も無かった、幸せだった。
今は沢山の人に出逢い、千鶴の中で幸せの範囲は変わったけれど、綱道がいなくても、なんてこと考えたこと――無い。
 何処へ行ったのだろう。
置いていかれたとは思っていない。
だけれど、待っているのは寂しい。
 何処へ、行ったのか。
 口が、かすかに開く。
 昔、教えてもらった、唄。
綱道と千鶴の、雪村の、故郷に伝わる唄を教えてもらって、一番好きで、唯一歌いたいと思う、唄。
 もう、聞いてくれないのだろうか。
娘の歌う唄を、綱道が。
 苦しくなる。
 大好きな唄が、空気に混じって掻き消えていく。
 誰か、誰か。
この、苦しさを――


「何をしている」

「………え?」
 一瞬、幻聴だと思った。
ふと我に還り振り返ると、視覚で違うと気づき――唄が止まる、声を失った。
 聞き逃してしまうそうな、さほど大きくない声。
だけれど、鋭く尖っていて、一直線に進んでいく、声。
 部屋の廊下側の襖が開いていて、誰かが、居る。
誰か分からなくても、恐いとは感じなかった。
 いきなり外から室内に視線を向けたためか、明かりの少なさで目が、脳が、追いつかない。
「斎、藤…さん?」
 返答次第でだいたい合っているか違うかくらい定まる。
 さっきの声は多分、という曖昧で名を問いただしてみた。
暗い闇に見える人の形、雰囲気からして、やっぱり斎藤かな、と思える。
「何をしている、と聞いている」
 否定では無いが、遮る言葉。
 隣で騒ぐ音が遠く――聞こえる。
はっきりと、透る、声。
 斎藤だ。
斎藤なのだけれど、
「ぇ、あ、……えっと?」
 なんか、怒ってる?
 藤堂などに比べると表情は豊かで無いが、差は勿論ある。
短い付き合いの中で千鶴もそれなりに理解で出来るようになった…つもりだ。
 否、初めから斎藤は優しかった。
突き放されていたら、理解するまでに時間がかかっていただろう。
 襖が閉る。
 斎藤が部屋に入ってきた。
「何も、してません」
 向き直り、千鶴は腰を上げようとするも、斎藤が目の前までやってきて、立ったまま見下ろしてきた。
怯み、躊躇って立ち上がれない。
 やっぱり怒っている。
それだけは分かった。
 だけれど、どうしてか理由が分からない。
 少し会話をして様子を見よう、と千鶴は考える。
「……ただ、月夜を見ていました」
 淡く、笑ってみせた。
 月明かりが畳みに落ち、その反射で――先ほどよりは――斎藤の顔が見える。
 無心、では無かった。
この歪んだ、少し苦しそうな。
何か、感情を押し潰したような。
なんとも言い難い曖昧さ。
 この表情を、千鶴は何と捉えるべきなのか、決められなかった。
「斎藤さん?」
「勝手に……何処かへ行くな」
 その言葉に、千鶴はハッとし、目を見開いた。
 何に怒っているのか。
やっと、やっと、千鶴は、分かった。
 瞳がくしゃりと歪む。
 斎藤を見ていると、怒られていることが嫌だとか怖いとかそういうことを抜きに悲しくて、泣きそうになる。
これは自分がというより、斎藤の気持ちを代弁しているような、錯覚が起きた。
 斎藤の表情は、何処か、悲しそう、なのかもしれない。
 分からない。
分からない。
 泣きそうになっても、涙は出なかった。
 その感覚も錯覚。
 思考が絡まって、何も解けない。
 幾つもの疑問の答えを出すことが今、重要なのでは無くて、それよりも先にすること――
「ごめんなさい…」
 謝ること。
 すぐに戻らないのならば、誰かに何か言うべきだった。
いきなり消えたりしたら驚かれるし、信頼も失われる気がする。
 千鶴がすべきことはさほど多くない。
その中で、皆を信頼しようと思っていたのに。
自ら折ってしまった。
「ごめんなさい」
「2度も謝らなくて良い」
「でも」
「そこまで、いや……反省するように」
 何を言いかけたのか、千鶴には分からない。
その後に続けた言葉は正しかったから、聞き返さなかった。
 斎藤が珍しく重たい溜息をつく。
「斎と……え?」
 千鶴の隣に、斎藤が腰を下ろした。
てっきり千鶴に呆れ、この部屋から出て行くのだと思っていたから、驚いてしまう。
「なんだ」
 嫌か、という視線。
 嫌なんてとんでもない。
ただ、予想外だと思ってしまっただけ。
嬉しくないと言ったら嘘になる。
「いぃえ、何も」
 だから、千鶴は斎藤に向かってにっこりと笑う。

 本当は、心細かった。
 寂しかった。
 誰か、傍にいて、欲しかった。
 


「千鶴は…酒が飲めないのか?」
 斎藤が開けた障子の向こう、月を見上げながら、そう零した。
 特に何か話していた訳でも無い、突拍子な投げかけ。
千鶴は横顔の斎藤を見るが、何の表情も察することが出来無い。
首を傾げながら、言葉を紡ぐ。
「飲めない方だと思います。飲む機会が少なかったので多分、ですけど」
 飲み機会すら新選組と出逢うまで、滅多になかった。
元々綱道が飲まなくて、飲ませてくれもしかなったから、もある。
 屯所に滞在するようになって初めて少し頂いた際、「苦い」の一声。
そして熱くなる喉、カッと体温が上昇し火照る身体。
それですぐ、向いてないんだなぁ…と千鶴は自分をそう分析した。
 だから、いつでも一歩必ず引いている。
酔ったら身も蓋もない、迷惑でしかないと思っていた。
「そうか」
 些細な、話。
なんとなく、だけれど…斎藤がそういうこと聞くとは思いもしていなかった。
 どうしてそんなこと聞いたんですか。
 そう問いかけようする前に、斎藤と目が合った。
まるで質問が何か分かっているように、そしてそれを阻止するような、視線。
 千鶴は何故か圧倒され、うぅ…と唸るだけ、口を閉ざしてしまった。






 初めから気づいていた。
慌てる訳でも無くスッと消えた気配――千鶴が宴会の部屋からいなくなっていくのを視界の隅で、見届けた。
 あれはワザとじゃない。
千鶴は上手く気配を消せるほどの腕を持っていないから。
 すぐ帰ってくると思っていた。
男が思う以上に女ってのは言えないことが多い…らしい、と土方や近藤が苦笑していたのを思い出し、それだと位置付けていた。
余談だがあの人たちの場合、昔誰か苦手の人がいた、みたいな空気だったが、そこについて追求は出来ていない。
 追わなかった。
 少し待つ。
時間がやけに長く感じた。
一定の早さで進んでいく筈なのに、ゆっくりと緩やかに。
嫌な焦りが、彷彿する。
 待っても待っても、千鶴は戻ってこない。
 ざわり、と珍しく何かが揺れる。
嫌な気分が消えない。
 腰を上げ、静かに部屋を出た。
本当は勢いで開け閉めしたいほど、気が悪い。
でも宴会の空気を崩すべきじゃない、という判断の方が勝った。
 廊下に出て、すぐ――届いた、唄。
 ふっと何か湧き上がる感覚が、静まる。
 唄、なんて隊士のぼろくそな歌しかここの所聞いていなかったから、幻聴だと思った。
それか芸子が歌い聴かせているのかと考えるも、聞き慣れた声。
 よく耳を凝らす。
どうやら宴会の隣、よく聞き逃さなかった。
 途切れることなく唄は続いている。
もしかしてこの声は。
 隣室の襖に手をやり、開ける。
予想した人物が正しいか、確認するために。
「っ――……」
 息を飲んだ。
 視線が外せなかった、目の映るものが一瞬信じられなかった。
 障子の手前で隙間から外を見上げる――千鶴の後姿。
月明かりがそれを彩る。
 千鶴の唄。
 何を思っているのか、知りたかった。
 何を考えて歌うのか、知りたかった。
 千鶴、と名をすぐ呼べたらどれだけ楽だっただろう。
込み上げる思いを、声に出せたら簡単だったのに。
「何をしている」
 捜しに来た理由、千鶴がいなくなった動機の不明を思い出し、そこから切り出す。
 自分の感情など自分で踏み躙ること容易く、そしてそれこそが逃げだと分かりながら止めることの出来ない浅はかな自分を、斎藤は自嘲した。



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