The drawer is filled up with memories








 久方ぶりに日本の大地を足で踏み、時代は刻々と変わっていくのだと、ひしひし感じた。
当然のこと、と分かっていたのに、だ。
 否、人々の生活にあまり大げさな変化は無い。
昔浸かっていた日本経済の体制と、文化の流れ、が明確に見えたから、だろう。
 ゆっくりと幾つも場所を歩き回った。
千鶴と、息子の茂と一緒に。
 寂しそうな表情も、溢れ零れそうになる感情も、千鶴の傍で、噛み締めた。
 来て良かったと思う。
 色褪せる景色を、忘れたくない、意志があるから。
これはもはや意地だ。
分かっている。
でも、変える気もなかった。



 充分満足し、日本から離れ、帰ってきた我が家は、流石に埃が生活するくらいたまっていて、なんだかなぁと思ったけれど、随分生活してきた場所なので帰宅感があった。
千鶴もそうだったようで、複雑ながらも嬉しそうに笑っていた。
 ひとり足りない。
いつも3人で住んでいた家で、ひとり欠けた。
 茂が、いない。
一緒に帰らず、茂は日本に残った。
余談だが、出航で息子に見送られてしまった時は、なんというか変な気分、複雑な心境になった。
 久しぶりに日本へ家族で行こうと切り出してから、茂が考えた結果だ。
息子が決めたのならばと反対はしなかったし、元々いつかは日本で少し生活してみたいと言うのではないか、と予想していた。
 息子(男)だから好きにさせれば良い、と思う。
知能は可哀相なくらい馬鹿な茂だが、性格の器用さと腕の実力からして、なんとかなるだろう。
それに、信頼出来る人が日本にはいるし、多分向こうから勝手に世話をやきに来るだろうから、心配は無い。
 父親として、息子の成長を楽しんでいる。
俺は結構わくわくしていた。
次に逢う時、どうなっているか、批評したくてたまらない。
 だけれど、母親の千鶴は違うようだ。
 少しムスッとしているような、いじけたような、寂しいという雰囲気だけは充分伝わるしょぼくれた顔をよく見せるようになった。
 母は父と違い、いなくなったという感覚が明確に分かる。
家族の人数が減るということは、買い物で食材など購入する量や料理でどれくらい作るか、洗濯物の数、ひとつひとつ減っていることに気づき、それが身に沁みて感じるから悲しさが増す。



「千鶴」

 慣れやしない、寂しそうに日々過ごす千鶴に、左之助は茂がいなくなって数日後、傍観するのをやめた。
何故数日空けたかというと、千鶴が自分自身で整理つける時間は必要だと思ったからだ。
 いつものように名を呼び、両手を広げて軽く手招きする。
優しく、いつまで経っても可愛いなぁなんて思いながら、笑った。
「………どうして、そんな、嬉しそうなんですか」
 振り向いた、けれど拗ねた声。
どうせ自分の心なんて読まれている、と思っているのだろう。
実際読んだから、この行動に出たのだけれど。
「嬉しくはねえよ」
「じゃぁ何で笑ってるんですか」
 どうして自分だけ寂しいなんて思っているのか。
どうして寂しいと思っていないのか。
 そういう気持ちが入り乱れていた。
「んー?茂を思う千鶴が母親そのもので、良いなってな」
「母親ですもの」
 分かってるよ、だから気づいた。
母親の愛情が、こんなにも綺麗なんだって。
「寂しく、ないんですか」
 意地をはってか、千鶴は未だ近寄りもしない。
何を我慢しているのやら。
相変わらず、強情で、折らすのも大変だ。
「馬鹿、寂しいに決まってんだろ」
 ぽっかり抜けた空間、寂しいと思う。
 だけれど、父親と母親は違うのだ。
性別から来る役割の価値観、そればかりは分かり合えない。
それだけの、こと。
「でもっ」
「俺は父親っつー男だからな。あいつの気持ちも分からなくない」
 茂は両親のいた日本で自分を試したいのだ。
 あいつがどれだけ俺や千鶴のことを思っているか、ちゃんと知っている。
あいつは思っているからこそ、挑戦したいと考えた。
 それを父親として、汲んでやりたい。
「私はっ!あの子の気持ちを尊重したくないなんて……!」
「わーかってるって」
 尊重したから、千鶴は反対しなかった。
茂が日本に残ると言った時も、ちゃんと承諾した。
「千鶴、おいで」
「……っ、左之、助さん」
 笑って言うと、千鶴が我慢を切らし、胸もとに飛び込んでくる。
大粒の涙を零して、苦しそうに。
声を殺し、泣いている。
 昔から声に出して泣こうとしない、千鶴の小さな意地。
縋りつくのは俺だけだから、まぁ良いということにしておこう。
そういう千鶴を支えていくと随分昔に、決めたのだから。
「左之助さん、左之助さん…」
 強く、強く、俺がいることを確かめるように、千鶴は縋りつく。
 ここにいることを示すように、俺は千鶴を強く抱きしめる。
 こいつの頭は今、茂でいっぱいだ。
ちょっとした動作を思い出しては、悲しんでいる。
思い出に浸っては、苦しんでいる。
 すぐに触れられないことを。
声に、会話にならない、空を切る感覚に、涙する。
「茂…」
 千鶴が息子の名を呼ぶ。
 妬ましいことだ。
旦那の胸で息子の名を呼ぶなんて。
母親らしくて、それも良いと思ってしまう矛盾した心もあるけれど。
「茂も、罪な男だな」
 千鶴を泣かせるなんて、悪い息子だ。
しかも泣くと分かっていたし、泣き止ますのは父の役目とか言う辺り、かなり図太い図々しい。
「左之助さんっの、息子、です…から」
 ぐずぐず泣きながら、声を紡いでいく。
 どうして俺まで罪な男なのか、千鶴のものさしは分からない。
 だけれど、よく泣かせてしまうのも事実だ。
「それなら俺にも反論はあるぞ。千鶴がひとりで京都に来たのって今の茂と同じぐらいじゃなかったか?」
 よくもまぁ男装なんかして江戸から京都までひとり、父親の綱道を捜しに来たものだ、と感心してしまう。
 千鶴の息子だろ、と言い返すと千鶴は少し怯み、眉間にシワを寄せた。
言い返せないことが、釈然としないのだろう。
「……それは関係ないです」
 最終的に突き放した。
無視した。
 茂の頑なさは千鶴から受け継いだと思う、今の状況からして尚更、そう思う。
「どうだか」
「左之助さん」
 千鶴が涙の痕を頬に残しながら、不満そうな表情で見上げてくる。
 喉を鳴らし、笑った。
手で千鶴の頬を拭ってやる。
 いつまで経っても、綺麗な強い瞳だ。
射抜くような透き通る視線、強い意思。
惹かれる。
惹かれ続ける。
「もぅ…」
「悪い悪ぃ」
 千鶴が溜息を零し、先に折れた。
再度ぎゅっと抱きつき、顔を埋める。
 落ち着かせられたら、と思う。
 しばらく千鶴が思うまま、抱き寄せるだけで何も言わずに待った。
ちょっと待ち時間が暇で、千鶴の髪を掬ってはくるくる巻き解いて遊んだが。
「いっしょぅ…息子離れ出来無いかもしれません」
 ぎゅっと服の裾を掴んで零す声は、絶望でも呆れでもなかった。
ただ答えを素直に受け止めている。

――それにそろそろ息子離れするべきだと思いましてね。

 息子のちょっと捻くれた言葉を思い出す。
本当は親離れなのだけれど、それも間違えではない。
 普通親子で親離れとか息子離れとか言うだろうか。
本当こういう所、親子だよなぁって思う。
 俺はそういうの考えたことが無い。
息子の成長していく過程が面白かった。
そして最後には息子が勝手に巣立っていくのだと思っていた。
 馬鹿だよな、俺も、千鶴も、茂も。
「良いんじゃないか?あいつも千鶴っ子だし」
「何を言ってるんですか。茂は貴方の背中をずっと追いかけていますよ」
「……何はってんだ、俺ら」
「事実ですもの」
 茂は千鶴っ子だと思うから、千鶴の言うことに納得していない。
でも、今はどっちでも良いと思えた。
千鶴と俺はどっちも、寂しいと思う気持ちに変わり無い。

「千鶴。ふたりでいることに慣れなくて良い」

 初めはふたりだった。
だから昔に戻った、なんて考えしなくて良い。
「はい。慣れません」
 はっきりと、千鶴が頷いた。
慣れるつもりは無い、と断言している。
「なんだ、答えは決まってるんじゃねーか」
 これに解決策は無い。
多分、自分でこうしよう、と勝手に思うくらいしか。
 それすらも、千鶴は定めていた。
「だから、寂しいだけです」
 言ってるでしょう?と千鶴が苦笑する。
「寂しいならこうやって、抱きしめてやる」
 少し強く、千鶴を抱きしめた。
痛いと言われても、力を弱めるつもりは無い。
傍にいるという意思表示だから、気づいてもらわなければ。
「俺が千鶴の傍にいる。寂しさを紛らわしてやる」
 茂が俺の役割なんて出来無いように、俺には茂の役割なんて出来無い。
 だから、俺が出来ることをするまで、だ。
「左之助さんが私の傍にいるのは当然です」
 いつのまに、そんなこと言うようになったのだろう。
千鶴は本当に逞しいな。
俺が弱くみえる。
「当然、か」
「はい。そして私が左之助さんの傍にいるのも、当然なんですよ」
 寂しいと零していたのに、俺が勇気付けられている。
ちょっと悔しくて、かなり嬉しかったから、これが理想の夫婦像なのかなってことにしておこう。
 俺がくすぐったそうに笑うと、千鶴も柔らかく微笑んだ。



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