The moon lit up the way
※『Moon is the only light』の分岐後。 ふ、と瞼が開いた。 ぼんやりと千鶴は身体を起こし、辺りを見渡す。 ゆっくりと少しずつ、視界がハッキリしていく。 そして、自分が眠っていたのだと気づいた。 ゆらりと揺れる思考は、寝起きであって、心地よい酔いから来るものでは無い。 お酒のほろ酔いが抜けたのだろうか。 ぐっすりお休みしたと思えるほどでは無いが、この部屋には時間を示すものが無いため、どれくらい眠っていたのか明確に出来無かった。 千鶴はしばらく考える。 これから宴会に戻るが懸命だけれど、慣れない場所で気疲れしたのもあって帰りたいという気持ちが拭えない。 でも、先に帰るというのもどうかと思う。 どうしようか。 そんなことを思いながら、腰を上げ、襖を開けて廊下に出る。 やっぱり戻ろうと足を踏み込もうとした瞬間―― 「千鶴!!」 「え…?」 自分の名を呼ぶ声が聞こえてくるなんて思いもしていなかったから、ドギリとあからさまな動揺をしてしまう。 悪いことをしていた、とか疚しい気持ちでは無く、無心にぼんやり無防備にしていたからだ。 ドクドクと脅えた心臓を落ち着かせながら、千鶴は振り向く。 「平助、君?」 聞きなれた声だったから、恐ろしいとは思っていなかった。 だけれど、相手の声は少し張っていて、ビクビクしてしまう。 「何処行ってたんだよ。いないから慌てて今から捜しに行こうと…」 大股で近づいてくる藤堂の表情は、心配していた、とはっきり見て取れる。 やっぱり何も言わないで出て行ったのは失敗だった。 瞳に映る藤堂の気持ちに、そう思わずにはいられない。 「ごめんなさい。隣の部屋借りて休んでたの。言わずに出て行って…本当にごめんなさい」 素直に、気持ちが伝わるように、千鶴は頭を少し下げて謝った。 今度からはちゃんと言おう、自分が気を遣いすぎて、相手に気を遣わせては意味が無い。 「おう。次は言ってくれよ」 「うん」 許してくれたことが嬉しい、安心した。 千鶴は顔を上げ、しっかりと頷く。 「……まぁ、俺らも千鶴が出て行くの気づけなかったのは馬鹿みてぇっつーか」 自分への非難もぼそり、と藤堂は零した。 確かにその気持ちは分からなくも無いが、あの宴会で気を張りっぱなしにするなど無理難題である。 「楽しんでたから、しょうがないんじゃないかな」 「そういう事でまとめちゃダメだろ」 可笑しそうに笑った。 千鶴は藤堂の笑っている表情が凄く良いと思う。 笑顔って凄い力だ。 千鶴もいつか、藤堂みたいな嬉しい気持ちになれる笑顔が零せたら良いと思いながら、笑い返した。 「……千鶴、それ卑怯」 そっぽを向かれてしまった。 藤堂が指で軽く頬をかきながら困った声で言うと、千鶴はどうして良いのか分からなくなる。 笑顔は難しいな、というか何が卑怯なのだろう。 千鶴が聞き返そうとする前に、藤堂から別の話題を切り出される。 「そ、そういえば千鶴。なんで隣の部屋にいたんだ…?」 「え?」 すっかり終わった話だと頭が処理し忘却の彼方、戻されるとは思っていなかった。 「良かったのかなぁ…」 「許可とったし、近藤さんもそうするべきだって言ってたぜ?」 未だ気になっているようで、千鶴は歩いてきた道の方を何度か振り返り、不安そうな声を上げた。 藤堂はそんな気にすること無いのに、と思いながら苦笑する。 藤堂に酔っていたから休んでいたことを話したら、いきなり「先に帰るか」と提案された。 千鶴からすると即答で頷きたくなる魅力的な提案だったが、やはり後ろめたさがある。 それを読み取ってか、最終的には藤堂が引っ張るような形で千鶴を外に出した。 で、今に至る――千鶴と藤堂、ふたりで屯所へ帰る途中だ。 千鶴は知らないが、宴会の一次で切り上げてくる隊士もいれば、飲み直しに行ったり、島原で女と遊ぶ隊士とか、選択肢が幾つもある。 それに付き合う義理は無い。 邪魔だからとかではなく、飲み直しなんて千鶴には酷でしか無いし、あの大宴会が終わるのすら、まだ先のこと。 空気にですら酔う千鶴ならば、先に上がるのが一番良い選択、藤堂の考えは間違いじゃない。 「そうなの?」 「おー。気をつけて帰るように、ってさ」 隊士にはそんなこと絶対言わないぜ、あの人。 呆れ面で返すと、千鶴は少し目を丸くしてから嬉しそうに微笑んだ。 「うん、分かった。もう気にしません」 「わかればよろしい」 一応、藤堂は近藤に話をつけてから出てきた。 千鶴がひとり夜道を帰る行為も危険だし、新選組がいた場所から出てきたという項目も結構危うい要素だ。 誰か一緒に帰った方が良い、というのは自然の流れ。 誰にも、任せたくなかった。 自分が、と思った。 美味しい酒や、楽しい宴会より、こっちを選びたかった。 だから、藤堂は今、千鶴と一緒に帰ることが出来ている。 静まり返った街の夜道をふたりは歩く。 先ほどまでいた島原を出てしまうと、すれ違う人もほぼ皆無状態になる。 ふたりしかいない、静かな、道。 ぽてぽて、ぴょん、とん。 千鶴がいつもにない、軽やかな足取りで藤堂の数歩先を歩く。 「千鶴、あまり離れて歩くなよ」 ご機嫌な千鶴を咎めたくは無いが、一緒に帰っている意味の半分を消してはいけない。 暗闇は人を隠してしまう。 月が充分満ちている今夜はまだ良い。 これなら誰が来ても、判断出来る。 知らない輩でもそれなりに覚えられる。 月明かりは自分にとって便利であり不利でもある、どちらに転がるかその時次第、天秤のようにゆらゆら揺れる。 「はあい」 くるり、と両手を左右に広げて身体を回す。 一回転。 嬉しそうに、千鶴が微笑む。 楽しそうに、平助を見て。 「……まだ、酔ってるのか?」 別の意味でこんなに無防備な千鶴、滅多と見られないというか初めてかもしれない。 すっかり酔いなど醒めていると思っていたが、酒の力なら現状もありえる。 変な動悸を感じる、と思いながら藤堂は確認した。 「もう抜けたと思うけど…?」 「……タチ悪ぃ」 藤堂は軽く額を叩くように手をのせる。 いつも見られないから、貴重価値が増す。 見ていたいと、瞳に焼きつかせたいと、他の誰にも見せたくないと、思う。 女の子がいる。 可愛い、と零れそうになる声を飲んだ。 「え?」 聞き取れなかった、と返す千鶴に藤堂は首を振るだけ、誤魔化した。 すると千鶴は勘違いをした解釈をしたようで、苦笑交じりの笑顔を零す。 「可笑しい、かな。うん、そうだよね」 そう思ったつもりはない。 藤堂が否定しようとする前に、千鶴は次の言葉を紡ぐ。 「いつもはこんなこと、しないよ」 ぴょん、と一度跳ね、藤堂に向き直る。 「流石に男の人がこんなこと、しないから、ね」 男装なんて女の子がすると思いもしない世の中だ。 思い込みが人の心にすり込まれているから、動作も気をかければ、だいたいの人は誤魔化し通せる。 「今日は、楽しかったから」 明るく照らす月夜に、千鶴が重なる。 広い道に伸びる影。 明暗のはっきりした、月夜に彩る微笑み。 綺麗だ、と思う。 見惚れた、というのはこういうことを言うのだろう。 藤堂は初めて、月夜で女の美しさを見出した。 失いかけた言葉を拾い集めるようにして、声にする。 ここで黙っていてはいけない。 何故か、慌てた。 「ご機嫌のあまりってことか」 「うん」 柔らかく、嬉しそうに零す笑顔が、千鶴は一番笑顔が、良い。 この笑顔が強さになる。 思いになる。 気持ちになる。 ずっと見ていたい。 これを曇らせないようにしたい、と願う。 「わーかった。オレしか見てねぇし、好きにすりゃ良い」 言い方が悪いのか、千鶴がちょっと拗ねた表情を見せる。 それでやっと、言い損ねていた言葉を思い出した。 「可笑しくねぇよ。珍しいのは確かだけど」 「……うん」 良かった、と千鶴が安心している。 女の子は些細なことを気にかけるけれど、男にはさっぱりそれが理解出来ない。 勿論藤堂もそのひとりだが、千鶴を困らせたくない、という気持ちで何とか補えている。 「千鶴。あぶねぇから、ほら」 差し出した手。 千鶴はそれに視線がいき、しばし見つめてから再度藤堂を見た。 握手かな、でも危ないと何が関係しているんだろ、という疑問。 最終的にはお手上げのようで、千鶴が首を傾げた。 全く理解していない、藤堂は重たい溜息をつく。 「ばーか。どっかいかねぇように、だよ」 ぶらりと揺れる千鶴の手を、藤堂は奪うように掴み、繋いだ。 びくっと一瞬ばかし震えた、動揺。 藤堂は千鶴の様子を確認した。 嘘はつけない、素直な態度を見せるから、はっきり理解出来る。 「えっと、あの…平助、君?」 たどたどしい声、驚いた表情のまま顔を赤らめていた。 これは拒絶じゃない。 大丈夫。 むしろ、喜ばしい反応だ。 「あのね、その、何処も行かないよ」 「どーだか」 不安だよ、と藤堂は心で呟いた。 千鶴は本当に何処か行きそうで、焦りすら感じる。 この気持ちを拭い去るためにも、自分から何かしなければならない。 離れて欲しくないから。 自分から、手を伸ばす。 「平助君」 「ん?」 手が熱い、熱い、絡めた指が、熱い。 でも、離したいなんて思わない。 それがバレないように、藤堂は平然を偽りながら相槌を打つ。 「私は何処にも行かないから、平助君も…何処か行かないでね」 少し悲しそうに、縋るわけでもなく、ただ願うように、千鶴が小さく口を開く。 淡く微笑む。 「千鶴、」 どうして今すぐにでも掻っ攫ってしまいたい衝動を抑えてしまうのだろう。 どうしてこうも、最後には足が竦んでしまうのだろう。 「嘘じゃないけど、忘れて良いよ。困らせてごめんね」 するり、と何かが抜けていく。 手は解けていないのに。 千鶴、千鶴。 心で何度も名を呼んだ。 約束すれば良いのに、何故か先なんて分からないなんて思って、声に出せなかった、何も出来無い自分。 心でしかもがけない。 「困ってなんかねぇよ、千鶴」 「……そう?」 「千鶴は、強いな…」 「平助君の方が強いよ」 物理的じゃなくてだな、と思いながらもそんなことを言い返す千鶴が強いとも思った。 だから、魅入られる。 解かないよう、解かれないよう、諦めて自分にもがくしかない。 格好良く決まらないと思うけれど、それも自分らしい情けなさなのかもしれない。 「千鶴。ありがとな」 「…ぅん?」 何かお礼されるようなこと、言ったっけ。 千鶴がきょとんと首を傾げたが、藤堂は何も言わず、微笑んだ。 back |