続 メフィスト・ワルツ/fermata
-Mephisto WalzerII/03- タクシーのエンジン音が遠ざかっていく。 傍で降ろして貰ったので、目の前に我が家。真っ暗なのは、時間帯を考えれば当たり前だが、少し落胆もしてしまう。明りがついていても心配、焦るのに。 心の矛盾に、短く息を吐いた。 夜も深まった頃、だいぶ冷え込んでいる。見えやすい時期なのもあって、冬の夜空に瞬く星が、肉眼でもよく分かる。ごく自然に、なんの中身がなくても「綺麗ね」と零すであろう妻の姿が浮かんだ。 真っ暗な視界だが、それでも自分の世界は数多の色合いで彩られている。妻と出逢って、本当に色合いが変わった。星の瞬きすら気にかけるくらい、影響力のある愛おしい人。 先程まで旧友と飲んでいたからか。やけに過去を馳せ、比べてしまう。 その妻は子供が生まれてから、夜分遅い帰宅の赤司を待たず、就寝するようになった。子供優先に、がっかりや寂しさはない。母親の愛情に実感が薄い赤司からすれば、「これがそれなのか…」と一般的ではないことを思ったくらい。むしろゆっくり触れて馴染ませ、父親を自覚したものだ。 今宵はひとり風呂に入り、寝ているリコを抱き寄せながら、眠りにつこう。明日も仕事は早い。 赤司は夜空から地に視線を戻し、家の鍵を探した。 帰って来た実感の湧く我が家。そんな当たり前の感覚を大人になってからやっと知った赤司が、廊下まで零れる明りに気付く。 消し忘れたのだろう。扉を開け、壁付けのスイッチで消そうとするも、少し暖かい室内。暖房器具が付いているのかと確認の為、奥まで入ってみれば切れておりーー 「………リコさん?」 リビングのソファで眠るリコを発見した。 まだふたりきり、仕事に慣れることで精一杯の頃の彼女を思い返し、重ねてしまう。 「リコさん。ここで寝ては…」 隣接のローテーブルに書類と携帯電話。珍しく出しっぱなしの辺り、途中で寝落ちた可能性が高い。赤司は検討を付けながら、羽織っていた上着を別のソファの背凭れにかけ、リコの身体を揺する。 「……ん、あ…征、十郎君?」 するりと天井に向けて伸びたリコの腕が、赤司の肩、首にかかった。引き寄せられ、距離は縮まる。 「……リコさん?」 あまりお目にかかれない仕草。心持ち高い体温、触れる吐息。そして追い打ちをかけるように、ゆるやかな微笑み。誘われているのかと都合の良い解釈すらしたくなる。 「おかえり」 ぽつぽつと声を零すリコは、眠たそうだ。否、寝ぼけたままの方が正しい。 「ただいま帰った」 揺すっても起きないことを確認し、抱き上げて移動させようと思っていたが。歩かせて寝室に向かわせる方が良さそうだーーけれども。この引き寄せられた体勢を外すのが惜しい。引き寄せられたまま、屈む体勢からソファに腰掛け直し、格好を楽にする。 「お酒の匂いがする」 「酔いを醒ます程度には飲んだ」 そこまでアルコールが好きな連中ではない。ただ、色々な思いが拍車をかけたようで、だいぶ深酒し、だいぶ盛り上がった。 あと悪臭が付いているとしたら、料理の油っぽさだろう。スポーツ主体の生活を過ごして来たからか、意外にも誰ひとり煙草は吸っておらず、該当しない。 「楽しかったなら、良かった」 仕事場でもよく出されるが、なるべく飲まないようにする男だ。赤司が調子に乗るくらい楽しかったと察したリコは、緩やかに笑う。 「ええ。それなりに」 「素直じゃないわね」 鈴を振るような声が零れる唇に触れたい。そう、赤司は見下ろしながら思うのだが、如何せん酒が残っている。自分以外の何かが移るのも、気に入らず、憚られた。 「ねえ…征十郎君」 頬から耳を撫で、髪を梳いていると、その手にリコのが重なる。 「言いたいこと、聞きたいこと、あるでしょ」 人の思いなどあっさり無視して「明日お願い」と打ち切って眠るような人が、どうしてソファで寝ていたのか。意図があると探っていたけれど。日は跨いだが、一日の流れの最後までに、赤司の疑問、曖昧を、延ばさないようにしていたーーに繋がるとは。 リコの意識は悪くない。否、好んでいる。何処か人より飛び抜けた部分。自分に合う、むしろ越えて行こうとする直向きさ。 視線すら背けさせない瞳、強い意志を赤司に向けてくる相手は少ない。そして、いつでも、こう、何度でも、あっさり入れてくるリコから、赤司も目が離せない。 「幾つか」 「眠たいから、ひとつだけ。後は明日聞くわ」 「しかたがないな…」 聞いておきながら、ひとつにしろと我が儘を出すリコに、赤司はワザとらしい溜め息を零す。 翌日仕事で、必ず帰ってくると解釈したからこそ、起きられる可能性の高いソファを選んでいたなど、想像に容易い。赤司の為に、待っていたと分かれば、ひとつに絞ろうと妥協してしまう。 「どうして、虹村さんのことを黙っていた」 「征十郎君を驚かせたかったの」 やっぱりそれか、と言外に含ませた即答。リコなりに幾つか質問を予測、考えていたようだ。 「それだけと?」 勘繰ってしまうのは致し方ない。 リコの周囲は男が多く、そういう懸念もしやすくなる。むしろリコを大事に支え、守っていた誠凛の連中から奪ったのは赤司だ。 「まあ、虹村君が逢いたそうにしてるから手伝ったのもあるけど、」 苛立つ意味ないわよ、とリコから重ねて居た赤司の掌に唇を落とす。宥めるように、落ち着かせるように。 「征十郎君が年上で評価する人は少ないわ。洛山の4人と、帝光時代自分のひとつ前の主将。私が知る限り、計5人。本当何様ってくらい少ないわね…じゃなくて、そこから、征十郎君が思い入れのある相手だと考えてね」 いつもハキハキと話すリコからすれば、今は心持ち緩やかで。眠たいのだと分かっているので、赤司も急かすことなく、ただただ待つ。 「征十郎君も虹村君に逢いたい、に行き着いたから、」 事実、赤司にとって年上で評価した人物は少ない。特に学生時代だと限られる。その中でも、連絡が取れない、知らないのは虹村くらいで、行方を少し気にしていた。あの赤司からすれば、その少しでも十分の価値。リコはそれを読み取り、行動に出た。 「征十郎君のためなんだけど」 「それで、絆されるとでも」 「ーーとでも、思ってるわ。本心だから、偽りようがないもの」 虹村の気持ちも汲み取っているので、全てが赤司の為ではない。思いは言い様だ。 リコから伸ばしていた腕に力を入れ、引き寄せから抱きつく、に返える。それにより身体が浮くので、赤司は背中に手を回し、支えた。 起き上がり、座り直したリコが、優しく笑みを零して、再度抱きついてくる。歳不相応の幼い行動ながら、赤司には悪い気がしない。 お酒の匂いが移ってしまったと、ぼんやり思いながら。酔っていたのにも関わらず、首元にかかるリコの柔らかい髪質と匂いで、高揚する。全く以て、身体は単純かつ素直だ。 「……リコさん。金輪際、こういう隠し事はやめてほしい」 「隠し事はしない、は勿論そうしたいし、そうするよう努力する。むしろ、してるわ。でも金輪際て大げさよ」 リコのやや呆れた瞳に、だいぶ目覚めている、起きてしまった、と見て取れる。いきなり寝落ちしない証拠でありーー約束させる為、絶好の機会だ。真面目に話す、に切り替える。忘れたなどと言わせない。 「鉄心以上に生きた心地がしない」 「やっぱり大げさよ…」 木吉本人は無冠の五将に結びつく鉄心より、誠凛の木吉鉄平を好んでいる。鉄心と呼ばれるより、本名の方が良いと、リコですら知っていた。 キセキの世代は木吉と距離が遠く、賞賛を含めそう呼んでいる。けれど、赤司のは嫌味でしかない。ワザと、知っていて、その異名を使う。 昼間帰ってくるなり抱き寄せた言動を思い出す。 そこまでして木吉を牽制する必要があるのか。心配するようなことなど全くないのに。リコにすれば、赤司とさつきの距離感と似ている気がするけれど。赤司がそれで納得するとは思えないので、言っていない。 むしろリコの方が、心移り、浮気、一時の遊びなど、不安だった。基本、そういうのには金銭が必要となる。赤司の場合、身分も裕福も、容姿も群を抜いている。男の甲斐性、など行き着かれたら、もう止められない。 「今日のことは、許してくれないの?」 「許していないとも、怒っているとも言っていない」 「……満足してくれた?」 「………ええ」 今こそ素直にならないと思っていたが、見当違い。思った以上に、赤司の中で響いていたようだ。 「それは、良かった」 先程より、少し思いを重ね乗せる。腕に力を入れて、ぎゅっと抱きつくのも数秒。 「そうだ。明日、朝早かったよね?」 「リコさん、まだーー」 離れようとするリコの身体を赤司から引き寄せる。こういう割り切りが彼女の良い所であり、悪い所でもあって。 「征十郎君」 離して、と言外に含ませるも、効果はない。 「約束をしていない」 「だから、努力はするわ」 「それは目標だ」 「……もう。なら、征十郎君も約束して」 「何を」 「私を見てて」 いつもそうしている。赤司はそう思ったが、真っ直ぐ視線を合わせながら紡ぐ言葉に、別の意味を含んでいるように思えた。 自惚れていいのならば、リコもまた、懸念している。赤司と同じようにーー 「約束して。してくれたら、金輪際、今日みたいな隠し事はしないわ」 リコがそんな不安を零したことはなかった。むしろ、余裕なのか、信じ切っているのか、彼女の真っ直ぐさからか、疑念を拒んでいると思っていたけれど。架空の相手に妬いているーー一般的には面倒くさい思考でも、赤司には堪らない。 「ええ。貴女がいるから、僕の世界は数多な色で彩る。僕にとって貴女は誰よりも眩い存在だ。約束しよう」 「うん、ありがと。私も、征十郎君の大げさなことも守ってみせるわ、約束する」 勝手に、誰も悪くないのに拗れた仲間たちとの修復も、虹村との再会も、心の変化が必要で。どれに対しても、リコが何処かに必ずいて、笑い、赤司を静かに待ち、見守っていた。 沢山の色合いが、自分の世界に差し込んでいる。帝光最後の年、沢山の色を失い、味気ない頃とは大違い。そして現状、失う前より色が増えている。増やしてくれたのは、誰でもない、目の前にいる人で。これこそ、本当に、大げさなことでもない。 困った、でも少し嬉しそうな瞳を滲ませるリコを見ていると、遠慮すら消えてしまう。欲に忠実になる。酒の匂いより、自分ので塗り替えてしまえば良いと。 「ありがとう、リコさん」 「……え?」 瞼を閉じても、やはりーー自身の世界は、数多の色合いで彩られていて。これを差し出してくれた相手は、失礼すぎる、ありえないみたいな表情を見せていたから。その愚かしい隙に、赤司は唇を重ね、声でなく、触れることで想いを伝えることにした。 ※ここから10年後『ヘラクレスの選択-前編 / 後編』 ※ここから11年後『感傷的なワルツ』 back |