続 メフィスト・ワルツ/02
-Mephisto WalzerII/02-



※後編です。前編はコチラ




 虹村は長期間逢っていない面子ばかりの空間に居座ることを、スポーツ観戦によくある『アウェイ』で表現した。旦那の赤司を挟んでキセキの世代と交流があるリコもまた、同類と枠組みしていた。
 それは決して間違えではない。リコは黒子以外、赤司がいなければここまで接していなかった距離だ。
 だからこそ、アウェイ同士、加えて同僚となれば気が楽になる。周りすら無視出来る程。
 その無視された側ーー子どもふたり以外は、やや重たいというか微妙な空気が流れていた。
 過去の、特にガキ臭い反抗期の頃、唯一世話になったと思える先輩。邪険にするどころか、一度顔を合わせたいと思える、敬える人。
 いい大人になったからこそ、嬉しさもあるが、過去を色々一緒に思い出してしまうからか。要するに嬉しさと怯えが混じって、内心大変なことになっていた。

 特に灰崎は、過去、物理攻撃を食らわす虹村と、精神攻撃で抉ってきた赤司、ふたりが揃い、とてつもなく辛い。だいぶ昔のことでも割り切れない辺り、トラなんとかみたいな類いかもしれないが、認めたくないので、考えを放棄する。
「しょうごくん?」
 灰崎の左を確保した息子が心配そうに見てきた。小さなスプーンを握る手がぎゅっと力を込めれば、更に弱々しく感じ、「なんでもねーよ」と冷たい言葉ひとつ、頭を撫でる。
 どうであれ、子供に心配される程、落ちぶれちゃいない。灰崎の緩い矜持だが、息子には十分満足のようで、すぐ笑顔に変わった。
 灰崎の右隣、緑間ーー黄瀬と訳の分からない揉め事を起こすので、割り込んだ結果、この位置となったーーは、仕事関連、特に筋肉や骨の話題に変わったリコと虹村の会話が気になるようで。後ろ髪惹かれる思いか、微かながらそわそわしていた。
「ミドリンも参加すれば良いのに。いれてくれるよ、リコさんと虹村先輩なら」
 そんな緑間の顔色を窺った右隣のさつきが、提案してくる。
「そ、んなこと言ってないのだよ」
「言ってないだけで、思ってたよね?」
 否定するのは簡単だが、さつきに通用するとも思えない。ぐうの音も出ない緑間が躊躇えば、さつきから勝ち誇った笑顔を零される。
「リコさーん、虹村さーん、ミドリンがその話に参加したいみたいです」
 さつきから背後にいる年上ふたりに声をかければ、あっさり4つの瞳が向いて。
「おーオメー詳しいのか!」
「医者の卵よ。研修終わってるから、卵はないか」
「あれっていつまでが卵って表現なんだ? まあ、いーか。食べ終わったら話せ」
「意見を聞かせて、緑間君」
 企画と営業が意見一致したのか、盛り上がっているらしい。もはや強制の勢いだ。
 まだ食事中なので動かない緑間は、軽く頷き、承諾の態度を取る。そして、良かったねーと嬉しそうなさつきに「自分でどうにか出来たのだよ」と拗ねているような怒っているような八つ当たりのような視線を向けてしまった。

「あ、青峰っち! それは…!!」
 さつきの右斜め向かいで気怠そうに腕を伸ばす青峰が、ある寿司を1貫掴んだ。
「黄瀬うるせえ」
「最後のビントロ!」
 食べ物の恨みは怖いが、何の忠告やお願いなく、いきなり叫ばれても困るだけだ。青峰は右隣の黄瀬を一喝、箸をつけた為離せず、そのまま一口で入れた。
「あああああ!!」
「黄瀬君うるさいです」
「あー…脂乗りすぎだわ」
「しかも文句付き!」
「あぶらが多いの、いいの? りょうた君」
 黄瀬と黒子の間に挟まれた娘が、モデル兼俳優の身体作りを心配している。
 誰だ、吹き込んだのはーーなどと黒子は思いつつ、「太って良いんじゃないですか」と今日一番の適当な相槌を打った。

 そんな騒がしい周囲に気を取られず、むしろ娘息子を安心して任せた赤司は思案に耽っている。
 午前中に掛かって来たリコの連絡は、自宅の据え置きでなく、赤司の携帯電話に、だった。用件を聞く手前で、紫原の面倒そうな声によって遮られ、方向が逸れたと分析する。
 あの時、赤司が声のする方へ視線を向ければ、パティシエの手さばきや進みに、子供ふたりがへばりつき、邪魔をしていた。それを捻り潰せない紫原に、手助けをしたのはお兄ちゃん属性の緑間のみ。黒子は一心不乱に携帯電話で写真を撮っていて。その黒子に目を輝かせるさつきと、子供ふたり優先で微笑ましそうにする黄瀬。青峰に至っては眠たそうに欠伸をしながら「ケガすんなよ」と子供に優しく注意するだけ。
 緑間ひとりで2人分は荷が重い。掛け直す旨を伝えようとしたのを先読みしたさつきが、「代わる?」と手を伸ばしてきた。リコは大事だが、子を優先する意志はある。赤司もそこまで落ちぶれていないので、渡し、任せた。
 たった、それだけでーーこういう展開になるとは、赤司でも想像していなかった。とりあえず、虹村が相手の候補に挙がらない。
 リコと虹村の会話はとんとんと進む。大半親身に聞いているようで、全くどうでも良いみたいな、ふたりの距離は仲が良いのか悪いのか。否、休みに顔を合わせているから悪くない。けれど、親身とは言いがたい空気でもあった。
 判断し難いからこそ、敗北というより、心掻き乱され、荒立つ。
「ねー赤ちん、それ夫でもギリじゃない?」
 黒子の隣、紫原が暢気な声で赤司の剣呑とした空気を掻き消した。紫原と息子の間に座る赤司が巨躯を見上げる。
「リコの周囲全員を把握、などしていない」
「それ人としてアウトだから」
 個の枠を越えている、と紫原なりに助言。づけマグロを咀嚼しながら「やっぱないわー」と再認識している。
「リコちん、そんな器用じゃないよ。赤ちんのことで精一杯じゃん」
 浮気は勿論、目移りすらしない、恋に不器用、真っ直ぐな性格。浅い付き合いでも、バスケットボールを通し、リコなら真っ直ぐ生きていると分かる程だ。振られるならザックリ勢いよくーーと、赤司とリコが恋人の頃から周囲はそう予測していた。よくよく思えば、振られる前提とは酷い友情だが。
「敦。僕は他の男が愛しい人の名前を呼ぶだけで、気に入らない」
「知ってるし。でも、リコちんも赤ちんじゃん?」
「それでも、だ」
 名字は同じだ、と言いたいのだろう。赤司が言い切るのに、紫原も「被るから無理だって言ってるでしょ」と明後日の方向で譲らない。
「はーリコちんすごいねー」
 大層重いかつ粘着力抜群の想いを分かっていながら受け止め、流し、付き合い、結婚して子供まで産んだのだから。愛がなければ一緒に歩めないから、リコもだいぶ可笑しい枠組みに入れる。
 紫原の本音が、思いのほか、言葉に乗ってしまった。


***


 多忙や住む場所の距離など幾つかある問題から、もう一生、全員で揃わないかもと思えるもので。今やもっと仲の良い、高校時代の友人や先輩、後輩はいるけれど、今日くらい騒いでしまおう。そう考えついたのか、この後、外で飲みに行く話でまとまった。
 リコと虹村は辞退ーーというより遠慮だ。心持ち薄ら笑いと共に、過去の思い出話で、心傷抉り合えば良いとすら思っていた。
 遅めの昼食、紫原お手製のデザートも食べ終わった頃。子供合わせ、全員で外へ出る。最寄り駅まで歩ける距離、タクシーを呼ばず、歩いて駅前で解散となった。
 やっと冬の終わり。少しずつ陽は長くなってきて、夕方でも暗くない。

「しんたろう君、高い!」
「恐くないか」
「ううん。とっても気もちいい。さつきちゃんもどう?」
 弟が紫原に肩車して貰っているのが羨ましかったのか。緑間に抱き上げてもらった娘は、怯えず嬉しそうだ。
 その隣にいたさつきが予想外の問いに目を丸くする。
「え?! 私は、ちょっと…重たいし…ミドリンがダメなんじゃなくて、色々問題が」
「さつきちゃんは子どものわたしから見ても、太ってないよ。やわらかな、きれいな人だもの」
 持ち上げるのが大変と思い込んだ娘が、キリッと真面目に訂正。真摯さがリコに、相手へのフォローが赤司に似ている。
 だが、残念。論点はそこじゃない。
 勿論、気恥ずかしいもあるが、大人になると周囲に迷惑をかけないよう努力しなければならなくて。さつきの大切なお相手の為にも、緊急時以外、別の男性に抱き上げられてはいけない。
 それを何処まで説くべきか。
 子供でも、女だ。対等にしたいが、如何せん赤司の娘である。真面目に教え理解されると、年相応からかけ離れていくしーーなど、訳の分からない動揺をしていると、緑間が支えていた片手で眼鏡のブリッジをあげた。
「俺の手はお前で手一杯なのだよ」
 抱き直すよう、軽く上下に振りながら、娘と目を合わせる。緑間が「娘の方が良い」と選んでるのではないし、さつきを貶めている訳でもないけれど、これで丸く収めようとしていた。さつきも助けられたと思いながら、「そうそう。ミドリンのだっこ遠慮しちゃだめだよ」と念を押す。
 ふたりの意図がまだ読めなくとも、現状維持を察した娘は頷き、緑間の肩に手を乗せ、ひっついた。
 一方ーー
「ちょっ、青峰っち、振り過ぎ!」
「男はこれくらいで良いんだよ。なー? あ、手ーしっかり繋いどけよ、離すな、分かったか?」
「うん、しっかり…!」
 青峰と黄瀬を繋ぐように握る両手が上にすれば、息子の身体は宙に浮く。持ち上がったまま、男ふたりが左右に振ると、ブランコのようで。男の子の割に寡黙な息子でもはしゃいでいた。
 青峰は子供への心配が上手く、何故か心まで鷲掴みにする。ザリガニ好きなだからこそ、誰よりも子供心が抜けず、同志となるのだろう。黒子はそんな酷い結論で納得しながら、「勢い余って投げないで下さいよ」と注意した。
 最後に、知識豊富かつ賢い紫原とリコは、何を話しているのか、妙に納得していて。灰崎が否定しているから、料理関連かもしれない。
 どれも、軽やかな声と、穏やかな表情。のびのびと進む歩。
 その最後尾に、赤司と虹村はいた。
 正直な話、昔ならばともかく、今の関係性でふたりというのも辛い。虹村はどうしてこうなった、と思ったし、こうなるとも予想していた。
 沽券に関わるので加えるが、リビングに突撃したすぐ後、家主である赤司に挨拶している。話し込む前に息子の切なそうな「おなかすいた……」で全て持っていかれたが。
 帝光中卒業後、虹村は同期から母校の話を聞いていた。最強にして、何が楽しいのか分からない、輝かしくも重たい空気。頂点は孤独だというけれど、在学中そこまで悪化すると思わなかった。楽観的に見ていたのは、所詮天才に及ばない、秀才止まりだから。
 あれでも可愛がっていた後輩たちが気になっていて。でも、今更、何を、と何度も否定し、避けていた。
 けれど、もう大人になって、吹っ切れたというか、ここまで到達していた。呆れながらも察し、提案して来た同僚の口実を借り、一生に一度のチャンスに乗る。貴重な休みを使ってでも、己の心に残った靄を晴らしたかった。
 そして、結果。安心出来る景色が見れた。話したいことは幾つもあるけれど、どう声にしても先輩風にしかならないと思えたから。十分満足しているのに。
 赤司は虹村の態度、配慮、解釈で満たされなかったということ。
「虹村さん」
「あー?」
 短く名前を呼んで。直後、話題が出る。この流れを思い出し、懐かしいと思ったのも一瞬。
「ぶはっ…なんつー顔してんだよ」
 鋭い視線に、場違いだけれど、笑ってしまう。
 卒業してからだいぶ経った。これでも、この睨みが何か分かるくらいの経験はしている。
 同僚が新人の内に2度も産休し復帰した型破りをさせた男だ。だいぶ前にぼやいた「夫を侮ってたのよ…」の一声は、この視線で読み取れる。そんなに良い女なのかーーが本音だけれど、個々で異なるし、理解されたくないもの。虹村でも声にしなかったが、表情は漏れた。
「虹村さん、」
 名だけの二度目は、怒りを乗せてくる。いきなり笑う理由を、赤司自身理解しているだろう。
「わりーな…いや、アイツは同僚だ、どーりょー」
 赤司と虹村の間にリコがいるのではない。虹村とリコの間に、赤司がいる。そういう距離の仲だ。何の心配もいらない。
「いや、でも良いな」
「なにを、どう、褒める内容によります」
 更に鋭くなった瞳に、『リコが良い』の意味合いで解釈したと、気付く。言葉が足りていない。虹村は苦笑を滲ませ、そして微かながら笑みに変える。
「ちげーよ。オメーと、女の話出来ることが良いってことだ」
「……はあ、」
 納得し難い、よく分からない、そんな相槌。赤司ならもっと上手くあしらえるのに、この有様。リコのことで、自分のことで、過去のことで、少し気が散漫していた。
「オレの覚えてる赤司は出来すぎてんだよ。まーだからこそ、副主将として頼りにしてたけどな」
 そして2年生ながら主将に担ぎ上げたのも虹村である。責務を苦渋の決断で降り、任せた後輩は、誰よりも完璧で、誰よりも歪で、誰よりも底が見えなかった。
 そこに上乗せする、帝王の異名。それを今、垣間見えることはない。同僚のおかげか、赤司が大人になっただけか。選択肢を増やしても、今更いきなり乱入した虹村に答えなど分からないが。
「昔のオメーと今のオメー…は、相田から又聞きでしか知らねーけど…あーなんだ、オレは今の赤司が良いって思えた。相田が散々惚気るだけのことはあるな」
「……………は?」
 虹村の赤司評価ではない。リコの惚気について、驚いているのだろう。赤司にしては珍しい、間抜け顔が露になる。
 今日のハイライト来ましたーーと、何処の誰に語りかけているのか分からない丁寧語が、虹村の心で飛んだ。
 リコの惚気といっても、そこまでデレていない。流行のツンとか、そういうのも属していない。ただ「愛してんだな」て思わせる点が幾つもある。それが同僚なりの惚気だと、虹村は思っていた。
「それは、どういうーー」

「しゅうぞうくん!」

 深入りした話が出来ぬまま、またも息子の声によって遮られる。
 赤司と虹村が前を向いてみれば、少し先でリコとさつき以外の面子が目を見開き、驚いていて。何がなんだと思っていると、息子が勢いよく走り出し、リコの傍にいた娘も後から追いかけてくる。
「どーした?」
 虹村がしゃがむと、息子はぶつかるように抱きつく。

「けっこんおめでとう!!」
「おめでとうございます」

 息子の方は、大層なことだと分かっていない。リコに「幸せなことよ」とかそんな説明程度だろう。ただ満面の笑みで祝福の言葉を紡いできた。
 娘の方は、頭を深々下げている。やっと小学生になる年齢がこれってマジ赤司の血怖いーーと怯えるも、意味を理解しているから言葉に重みがあって。
「おーありがとな!」
 両親のことを踏まえれば、早く結婚して安心させたかった。孫だって見せてやりたかった。けれど、社会人成り立ての給料で奨学金返済込み、貯金をしても薄っぺらくて。まだまだ将来設計も難しく、ここまで延びに延びた。
 リコがわざわざ言わせた意味を、理解しているつもりだ。込み入った話はしていなくとも、聡い女が気付かぬ話題でもない。
 前方で後輩たちが驚いていたのはこの件だろう。
 やはり幼すぎた帝光時代の印象が強すぎる。歳を重ねても、大人の部分にしっくりこない。結婚や子持ち以前、同棲だけでも不自然に思えてしまうものだ。
 子供ふたりの頭を撫でる虹村を見下げながら、赤司は虹村の片手を凝視してしまう。
 自慢するように手を振り回す動作などなかった。こういうのは女性が目敏いものだけれど、今の今まで気付かなかったなんて。動揺しすぎていたと再度痛感、不覚が否めない。
 ふと赤司の脳裏に、陽の沈んだ暗い廊下、景色が掠めた。ずっとずっと、昔の記憶。いきなり思い出される、過去。
 立ち聞きしてしまった、虹村の家庭事情。そして個人的に主将を任されたあの瞬間。虹村の表情は途中から見ていない、背中越しの応答だった。
 あの時、虹村はどんな表情だったのだろう。何故か今更思ってしまうし、肩幅も広くなった異なる背中ながら、重なってしまう。
「虹村さん…」
 絞り出された声に、内心驚きながらも、待ってみれば。
「おー?」
「おとうさん?」
「……うん?」
 虹村と抱きつく子供ふたりが見上げてくる。あっさりと。今はこんなにも、そう、容易く。
 もう、過去の出来事なのだ。分かっている、分かっていたのに。
 ぴったり閉じなかった思い出の箱が、またひとつ、綺麗に仕舞われる。
「虹村さん、ご結婚おめでとうございます」
「おう。ありがとな、赤司」
 虹村にとっても、赤司の安堵は、初めて見る表情だった。掠れた記憶が美化していようと、これだけはなかった気がする。
 次の約束をしていないから、最初で最後の機会だったのかもしれない。貴重な表情を見て、場違いでも来て良かったと思える。
「杞憂なんだよ、オメーの心配なんて」
 余計な言葉をひとつ付け足して。虹村はやっと買って渡せたペアリングの片割れをはめた左手を見せつけ、からかうように、笑った。


→この日の終わり。03/fermata



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