後悔していない、とは言い切れない。


 思春期、反抗期、まだまだあまったれのガキが、勝手に背負いすぎていた。
 この年齢なら、親の都合に対し、我が儘も通用したのに。名門で主将まで受けた責任を自覚してからこそ、成し遂げたかったけれど。部活のためにも、自分のためにも、2年の赤司に主将を譲る選択が揺るぎなくて。
 オレは、家族をとって、主将の座から降りた。

 キセキの世代と呼ばれる後輩たちに実力を抜かれ、スターティングメンバーから外れても。中学終わりの数ヶ月、後輩のサブで部活を支える立場でも。バスケットボールが楽しかった。楽しかったのに。
 オレは、中学卒業と同時に、夢が壊れた、と表現してもいい類いの決断をする。
 部活のことを話す息子の方が、父にとって良いと分かっていても。それ以外の未来を描けなかったから。
 幾つもの思いがあって。希望や願いもあった。未来を馳せて、毎日毎日学校、部活に励んでいたからこそ。この世界から、離れることは、辛かった。続けたかった。
 それでも、それでも。打ち込むことを、止めた。

 オレは、バスケットボールから、離れた。



 高校生活は、部活三昧の日々ーー以外の項目をそこそこクリアしている。勉学、アルバイト、恋、友情、青春を謳歌したと自己評価出来る程。要するに、欲張りに楽しんだ。
 高校でバスケットボール部に入っても良かった。拘らず、何の部活だって良かった。 でも、それでも、だ。
 同じ繰り返しはないと言い切れないし、中学のように真っ直ぐ打ち込める情熱も湧いてこなくて。新しい蓋を開けられない、愚かしいオレがいた。
 それを打ち消すように現実のひとつーー病院のこともあり母親を楽させたくて、条件の良い奨学制度を受けられるよう、勉学は怠らなかった。未だはびこる大卒への過剰評価に乗っかる為でしかないが。
 前進する道で、オレは逃げ続けた。

 アルバイトや恋愛に憧れていた訳でもなく、自然に流れてしまったからか。主将を辞めなかった未来を馳せられないのに。帝光時代の努力や、実力、輝かしい何かが忘れられなくて。就職活動では未練がましく、スポーツ関連を中心に攻めた。
 羨ましいのか、妬ましいのか、悔しいのか。判断出来ない、決められない、分からない。本当縋り付く思いだった。
 この飢えが反映、意気込みに変化し、スポーツメーカーの営業に入る。はびこる過剰評価、侮るべからず。才能は有限でも、努力は無限だった。
 未来は不安定で、公務員が一番人気の時代。十分過ぎるだろう、過労しない程度に頑張ろうなんてーー淡い期待と大人の憧れを感じながら働き始めて。就職活動から、社会人として慣れるまで、精神が疲れていたからか。すっかり帝光の頃なんて忘れていたのにーー思いがけない場所から、転がって来た。



***



「そういえば、オメー旧姓のままか」
 企画部に配属された同僚のリコと偶然昼食が被り、相席した時のこと。首にかかるIDカードを見て、ふと話題にした。
「入る時は結婚してなかったし、名前覚え直してもらうの面倒じゃない」
 ほぼ新人扱いの20代、下手に出て難を逃れる方法だ。正式な登録では書き換えるも、ID含め、だいたい旧姓でいけるらしい。
「まーそういうの多いよな」
「そっちの…営業の先輩にもいるでしょ?」
「おう、名字変わる側は大変だな」
 虹村とリコは入社当初、部署関係なくひとまとめにして行われた新人研修で、数ヶ月一緒だった。
 賢く、機転が良い。周囲を見渡せ、スポーツ界特有の縦社会も理解している。似た感覚もあって、互いにやりやすい。仕事で向き合うには相性が良いと判断。互いに研修では助け合い、遠すぎず近すぎずな距離を取った。
 そういう縁が出来ても、研修後、虹村は他支店に飛び、覚えることだらけで、すっかり会わずじまい。初めの配属先に戻って来たのは数年後。本当に久しぶりすぎて驚いていると、リコから「産休してたの」と爆弾発言を受けた。
 後々事情聴取をしてみれば、入社して少しで結婚、そして産休2度と型破り。肩身が狭く、上司や部署に疎まれると余計なお世話をしてみれば、「夫を侮ってたのよ…まあ、私も悪いんだけど。反省もかねて、仕事では結果を出すの。手っ取り早いでしょ」と言い切られた。
 そもそも「一緒に話し合って計画しろよ」と呆れたが、逆境に立っても幸せそうな同僚、これもしや惚気かと気付くけば、心配すら失せる。虹村はそこで初めて、リコの過去を聞き、研修時より近くなった。職場内での距離感だが、十分。以来、会社で一番、頼れるし、話せる相手となった。
「そういえば、オレ。相田の正式な名字しらねーわ」
「言ってなかった…わね、そういえば」
 口調が社会人として崩れても許せる距離感になったのは、ここ1年だ。たまに遭遇する程度、仕事の話か差し当たりのない話しかしていなかった。
 結婚後の名字だって、虹村からすれば、忘れるかもしれない。リコも、覚えなさそうと思った。それくらいで良いかと互いに考え、リコは応答する。

「アカシよ。明石海峡大橋の明石じゃなくて、赤色に司るの、『赤司』」

 ふと、脳裏の奥まった隅っこ、忘れかけ色褪せた思い出の一部に引っ掛かる。ここで驚くなど、虹村は思いもしていなかった。一瞬勘違いかと思ったが、漢字まで丁寧に説明してくるものだから。
「……は? 赤司?」
「うん。赤司リコです」
 にっこりと笑い、とてつもなく嘘くさい表情で自己紹介してきた。そしてすぐ「これはないわ」と微妙な苦笑を零す。
「何か反応して…も困るけど、虹村君。間抜け面よ? あと、みそ汁こぼれてるから」
 リコが腕を前に伸ばし、虹村の手を叩いた。
「あっつ!」
 テーブルからお椀までの距離はほぼないので、飛び跳ね少し、びたびた滴っている。
 虹村はそこでやっと、頭が真っ白で感覚全て遮断していたことに気付く。大げさすぎると呆れられるだろうが、記憶の底からいきなり掘り起こされたらこうなるもの。慌ててお椀を置くけれど、こぼした汁と具の上で。
「ちょっと、豆腐潰れたから! お茶碗の底汚れたじゃない」
「ツッコミそこじゃねーよ、拭くもんよこせ!」
「態度でかいわね、はい」
 各テーブルに置かれた台拭きの布を受け取り、拭き取り始める。そこそこ好きな食堂のみそ汁が減ってしまった哀愁すらあった。
「もう…ねえ、虹村君」
「んー?」
「虹村君はその『アカシ』さんと知り合い? それとも情報として知ってるだけ?」
「……変な聞き方するな、相田」
 手を止めることなく拭きながら、虹村が一瞥する。すると、食器を軽く持ち上げるくらいのお手伝いをするリコが、薄く笑った。
「お義父さんも夫も、ちょっと…嫌に、その界隈ってので有名なのよ」
 一歩後ろに身を置き、夫を賞賛する妻という認識が薄いのか、主義に反するのか。少し億劫そうな表情で、言葉にしてくる。
 芸能人やスポーツ選手など、著名人に対する反応、という解釈。変な聞き方、の意味合いは理解出来た。けれど、それだけだ。
 リコの内心は不明ーーだが、今そこに触れるのも憚られる。疑問に疑問を返していたので、虹村はそちらから入り、話題を逸らす、否、戻す。
「あーオレのはだな、昔…中学の時、赤色に司るの『赤司』て後輩がいたんだよ」
「中学? …後輩……ねえ、虹村君バスケしてた?」
「おー、よく分かったな」
 周囲のテーブル分も使い、綺麗に拭き終える。やっとふたりの視線が合う頃には、微妙な気持ちすら湧いていて。
 もしかして同一人物ではないか。そんな偶然、物語でしか起きない。あと、そんな物語面白くないから出直して来い、いや、下さい。
 曖昧を打つ消したいからか、台本なんてないのに息を揃え、「せーの」と掛け声ひとつーー

「赤司征十郎」
「赤司征十郎」

ーー見事、被った。
 現実は小説より奇なり、というが、この事実だと三流だ。こういうノリや流れのオチはいらない。面白くないって言ってるだろ。互いに逆ギレまがいな気持ちを抱く。
「………て、え? 虹村君、帝光中のバスケ部だったの!?」
「そっちかよ」
「征十郎君のことはどうでも」
「『征十郎君』!!」
「そっちもそこなの?」
 訳の分からないテンションをぶつけ合いは、冷や水の掛け合いのようで。一瞬にして、ひんやりとした空気になる。ふたりは「馬鹿らしい」と自ら落ち着かせた。なにより『あの赤司』で平常が狂わされるなど、面白くない。
「オレは、赤司の一個前の主将だったんだよ」
「主将…? でも、」
 驚きもほんの少し。
 リコでも赤司の帝光時代を、最低限ながら知っていた。赤司本人から聞いた程度なので、雑誌や噂以下だが。
 赤司は帝光2年の時、主将についている。となれば、虹村が譲ったと踏むのが自然だ。でも、幼い頃の虹村を知らずとも、あっさり降りるとは思えない。そこが引っ掛かり、つい思案してしまう。
「虹村君、高校の時は?」
「してない」
「ーー諦めたの?」
 虹村はバスケットボールに対する、リコの内面を知らない。だが、いきなり冷めた目で見てくる辺り、嫌なことがあると、読める。そうでなければ、こういう聞き返しをしない。結局のところ、これも表面であり、理由など分からないが。
 それでも、虹村なりに『諦めた』の言葉から、連想するものがある。
 伊達にあの強大な部員数、実力でねじ伏せる部活にいたからか。諦めさせられた部員、勝手に諦めた部員、苦しそうな背中、それを嘲笑うか困惑する瞳。
 だいぶ昔の霞んでいる記憶でも、忘れられないもの。嫌な思い出ほど心から消えやしない。
「一緒にするな」
 リコの内心と同じには思えないけれど。連想したものと、自分は違うと断言したくて。自分の心に言い聞かせるように。食い違っていても、この言葉で、否定した。
「オレ個人の問題で部に入らなかっただけだ。バスケは今も好きだし、疎んでない」
 声に苛立ちが乗っていると、自覚している。ケンカを売られ買ったような、図星を付かれ虚勢を張っているような、なんとも言いがたい気持ちだ。
「言い方が悪かったわ、ごめん…」
「いや、オレが勝手に熱くなっただけだ」
 詫びる瞳に嫌味はなかった。意図的に掻き乱したのではなく、結果しくじった雰囲気だからこそ、あっさり返せる。虹村も勝手に広げた自分の感情を仕舞い込んだ。
「そう? なら二重の意味で良かった」
「……二重?」
「虹村君の反応に安心の『良かった』と、今もバスケが好きで『良かった』、の二重よ」
「……あーそういうことか」
 本当に嫌み抜きでそう思い、安堵しているから、茶化せない。
 それに、否定されるより、マシだ。リコの反応を、素直に受け取っておく。
「で、相田はバスケしてたのか? マネジ? ファンとかそういうの?」
「ファンってなに…」
 苦虫を噛み潰したような顔付きに、赤司関連で巻き込まれたのかと笑ってしまう。虹村の勘違いだが、安直に考えれば、それは無難だ。
「高校でバスケしてたけど、選手じゃないの」
 この後に紡がれた監督話に信じられないーー想定範囲内を越えれば認められないものだが、虹村の場合、リコの現状で納得出来る。
 新人なのに型破り過ぎて、職場内で精神的威圧、疎まれ、肩身が狭い筈だ。なのに、何処か慣れていて、苦痛そうでもなく、挑む強さすらあって、不思議だった。根源、過去を目の当たりにし、むしろ「そういうことか」としっくりする。
「オメー生き急ぐなよ…」
 10代から世の中にケンカ売る行為を卑下する気はないが、断片的だとどうしても呆れてしまうのも事実で。
「急いでないわよ、やりたいことが目の前にあっただけマシだわ」
「否定出来ねー」
「でしょ」
 先は酷だと分かっていても進む意志を、虹村自身よく知っている。主将から降りると決めた時にまず一度目、卒業した時に二度目、特に後者は重たさばかり感じた。
 やりたいことがなくて探してしまう気持ちも、よく理解している。可能性の箱をひとしきり開け続けた高校時代。打ち込めるものを見つけたいようで、見つけるのを恐れているような、あの微妙さ。悪くない日々ながら、失笑したものだ。
「なんつーか…」
 話を逸らす意味で言葉にしたが。思い返せば、改めて声に出すのも、相手関係なく恥ずかしいもので。
「なに?」
 なかったことにしようとするも、リコから問い返され、うやむやに出来ず。虹村は諦め、でもやはり気恥ずかしくて、視線を逸らしながら。
「オメーのことなんも知らねーなと思って。そこそこ悪くない同僚とは思ってたんだが」
「仕事場ってそんなものじゃない。でも、そうね…虹村君がバスケしてた、なんて表面すら知らなかったわ」
 職場にて、仲良さの度合い、距離感はそれぞれだ。親身になる人も入れば、差し支えのない、例えば天気や時事ネタで済ませる人もいる。
 虹村とリコは他部署であり、顔合わせる機会が少ない。だから後者になるのは、自然の流れ。それでも、互いに、会社内で一番悪くないと感じていたから。テレくさいのではなく、自分の殺伐とした、素っ気なさに呆れてしまう。
「ねえ、虹村君。帝光時代の征十郎君のこと、話してよ。さぞムカつく態度とってたんだろうなーとは思うけど」
「想像に揺るぎねーな、オメー」

 思いもしない部分で、互いに縁が繋がっていたと知ったのは、初めて出逢った新人研修から数年後のことだった。







続 メフィスト・ワルツ/01
-Mephisto WalzerII/01-










 子供ふたりの軽やかな声に続き、大人たちによる「いただきます」と続けば、遅れに遅れた昼食が始まる。

「いや、冗談なんだが…」
 登場開口一番のノリは何処へやら。虹村は身を小さくしている。
 職場の同僚と奇妙な縁で繋がっていたと分かっても、そこから昔の後輩と逢う機会があるなど思っていなかった。所詮、ずっとずっと昔のことだから。
 赤司家の娘の入学祝いで揃ったキセキの世代たちとご飯を食べるなんて。しかも目の前には、出前寿司と炒飯に中華スープとか、マジで意味が分からない。ツッコミをいれようかと思うも、赤司の娘息子が嬉しそうにしているので指摘も出来ず。
 現在時刻を踏まえれば、遅い昼食だ。虹村は勿論、正午を避けて来たのだが、その配慮すら無駄だった。
 なおかつ、お腹は満たされている。見た目からして高価そうな寿司すら、手がつけられない程。気分がっかりの中、飲み物だけ手にして。虹村は、幾つかの思いまとめ、タイミングの悪さを憎んだ。
「アウェイなんでしょ? 良いじゃない、ここまで来たら、開き直るべきよ」
 同じく実家で食し満腹なリコと、テーブルから一番離れたソファに並んで腰掛けている。フローリングに直座りの者も多いので、見下げられるのは悪くない。それくらいだが。
「あのな、約15年ぶりだぞ?」
 灰崎が指摘した『久しぶりなのに顔を出す精神が分からない』を自覚しているようで、言外に場違いを含ませる。
「それでも来たじゃない」
 それを理解した上で、リコもぶった切った。女はいつだって感情論で動くのに、男より現実を見て、容赦ない言葉を突きつける。
「今日中に読みたい本が欲しいなら来い、て言ったのそっちだろ」
 逢いたい逢いたくない、そんな感覚すら薄れるーー人生の約半分、長い15年。後輩の顔を見たいような、話したいような、先輩風ふかして何になると呆れるような、微妙な虹村の気持ちを読み取ったからこそ。
「私が言ったわね、そうそうはいはい、後で用意するから」
 リコは諦める、あの瞳が嫌いだ。けれども、諦められたらどれだけ楽か、という気持ちも知っている。そのひとつの固執、情熱、恥ずかしがることのない抗いだ。楽を取らない気持ちを汲み取って、叶えたい。リコは誠凛時代、監督を通して思っていたこと。
「はいはいよろしく、忘れんじゃねーぞ」
 買うには躊躇う、でも読みたい。休み明けまで待てないほど、急かしていない本。それに釣られた、とか言い張るなど。
 男は本当に子供で馬鹿だーーリコは常々赤司の傍に居て思うし、今もまた掠め、溜め息が漏れた。


→02/後編



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