ちいさなこいのうた
ふじ様より頂きました ※未来設定赤リコ結婚してるよ家族パロ
カバンの底から出てきた見慣れたチョコレート菓子の箱を振りながら、赤司しんのすけは小さく溜息をつく。 「しんのすけって名前だからチョコビが好きって決めつけるとか、安直だと思うんだよね」 「あら、嫌いだったの?」 向かいに座っていた姉のひまわりが読書の手を止めて、不思議そうに首を傾げる。 「ううん、好きだけどさ」 「じゃあいいじゃない」 呆れたようにそう言うと、彼女は頁に影を落とす茶色の髪を静かにかきあげながら、再び文庫本に視線を落とす。 いやいや、そういう単純な話じゃないんだよ、おねいちゃん。しんのすけは頬をぷうと膨らませる。 確かに外は堅く焼き上げたビスケット生地、その中にチョコレートがたっぷり詰まったチョコビは非常に美味しい。 大きさも一口サイズだし、ゲームをしながら食べてもチョコレートが溶けて手が汚れるという心配もない。 しんのすけだけでなく、子どもたちは大抵、みんな大好物だろう。 気に入らないのは、自分という人間について、よく知りもしないくせに名前から勝手に中身を推測されること。 しんちゃんはぞうさんやケツだけ星人が得意だよね、やってみせてよとか、頭の悪い馬鹿みたいなことを言ってくる連中には、「いやんオラはずかしい」という物真似で全て回避しているけれど、この物真似が上手になりすぎて逆にもっとやってと言われるようになって、レパートリーを増やすために練習してるとか、本末転倒すぎて意味が分からない。 要するに、名前にまつわるエトセトラ、これら全てが不愉快だと訴えたいのに、同じ境遇である姉は全く興味がなさそうに涼しげな横顔で本を捲っているのが腹立だしくて。 「ねぇねぇ、それ、そんなに面白い?」 「微妙、翻訳がいまいちだわ」 それなのに活字から一向に目を離さないのは、退屈しのぎに他ならない。 駅前のファミレスに13時。待ち合わせの時間は半時間ほど過ぎているのに、時間に律儀な相手が来ないのだ。 メールも電話も音沙汰ないので、とりあえず指定された場所で待機しているのだけれど。 そろそろ窓の外の様子を窺うのも、その回数を数えるのも飽きてきて、何かカバンの中に面白いものでも入ってないかと探していたら、チョコビを発見したのだ。 「おねいちゃんはさ、自分の名前、嫌だなって思ったことないの?」 「そうね、昔は色々思ったけど、今はすごく便利だなって思ってる」 「便利?」 ちょっと予想外の言葉が出てきて、しんのすけは目を丸くする。 「オールひらがなで書きやすいとか、初対面の人に覚えてもらいやすいとか?」 「それもあるけど」 そこで言葉を切って、ひまわりは少しだけ恥ずかしそうに微笑む。 「わたしのことを知ってる人は、わたしと同じ名前の花を見るたびに、わたしのこと思い出してくれると思うの」 「あー、それはそうかもね」 夏の訪れを知らせる、姉と同じ名前のひまわりの花が咲き始めると、花に興味のないしんのすけでさえ、姉に教えてあげないと、という奇妙な使命感が芽生えてきて、思わず立ち止まって見上げてしまう。 「これは大きなアドバンテージだわ」 「アドバンテージ?」 しんのすけのボキャブラリーにはない難しい言葉がいきなり飛び出した。 どういう意味だろうと首を捻る弟に気付かず、姉は不意に弾んだ声を上げて「こっちです」と立ち上がる。 振り返って、あぁと得心する。やっと待ち人が現れたのだ。 「遅かったですね、あんまり遅いからコーヒーおかわりしちゃいました」 「道が混んでたんだよ」 詫びの言葉ひとつなく、灰崎祥吾はしんのすけを奥に押しやると、隣に腰を降ろす。 履きつぶされたエンジニアブーツに、タバコくさいジャケット、浅黒い肌に金のピアスが安っぽく光っている。 どこからどう見ても灰崎は胡散臭い、だけど街で見かける時は、彼は大抵ゴージャスな女の人を腕にぶら下げている。しかも毎回、系統は同じなのに違う人。 移り気なのは灰崎か女性の方か、しんのすけには分からない。けれど、結婚して何年も経つのに今でも母親にめろめろな父親とは正反対の存在だということだけは分かる。 テーブルの上に乱暴に置かれた皮のキーケースは随分とくたびれていて、 「あれ、祥吾くんクルマで来たの? 珍しいね」 「お前らがどっか遊びに連れてけってうるせーからだろーが」 「えっ、ほんとにどっか連れてってくれるの!?」 「だからそう言ってんだろ。駐禁きられる前に、ほら、出るぞ」 「わーい、お出かけお出かけ」 注文を取りにきた店員を手を振って邪険に追い払うと、灰崎は伝票を掴んで立ち上がる。 「だめです、自分で食べたものは自分で払います。そのためにお小遣いを貰っています」 慌てて財布を取り出そうとするひまわりに、 「ガキに払わせるわけにはいかねーだろ」 「ガキじゃありません、もう15です」 「そういうこと言ってるのがガキなんだよ」 灰崎はひまわりの額を指先で軽く押す。 よろめきながら不満そうに唇を尖らせる姉に、ほらな?と意地悪く笑ってレジに向かう。 ひまわりの花は太陽を追いかけ続けるというけれど、彼は随分とガラの悪い太陽で、追いかけるには難しい相手じゃないかなと思ったけれど、それは彼女の自由なので、しんのすけは口にチャックをすると店を出る。 「ぼく後ろがいいな!」 ちゃっかりそう主張すると、返事を待たずに後部座席に乗り込んだ。 渋滞のひどい街を流れるように抜け出して、車は高速道路に入った。 窓から流れる景色は変わり映えがなさすぎて、しんのすけがつまんないねと同意を求めようとした助手席のひまわりは、早々に寝落ちてしまっていた。 無理もない、昨日は緊張してなかなか寝付けなかったらしく、部屋の照明が随分と遅い時間まで点いていた。 熟考の末の今日のコーディネートは、シフォンのブラウスに光沢感のある黒のスカート。 可愛いよりもきれいな大人の女性を目指したのだろう、弟の目から見ても結構いい線いってるんじゃないかと思うけれど。 「休憩すんぞ」 サービスエリアに入って車を停めると、運転席から降りた灰崎はしんのすけに五百円玉を投げつけて、煙草に火を点けながらコーヒーと短く言う。 父親譲りの目があるので、それを無様に受け損なうことはないのだけれど、あまりにも乱暴な態度に思わず溜息が出る。 喫煙コーナーに行かず、ボンネットに腰を降ろして一服しているのは、車内で眠るひまわりをひとり残して行くのが気がかりだから、だろうか。 「祥吾くんの優しさは分かりづらいなぁ」 たぶん500円は使い切っても問題ないと判断して、眠っている姉のためにペットボトルのミルクティを買ってポケットに突っ込む。 頼まれたコーヒーを灰崎に手渡して、自分用に買ってきたココアに口をつける。 猫舌のしんのすけにはちょっと熱すぎて、ふーふーしてると、灰崎が小馬鹿にしたように笑う。 「だって熱いんだもん」 そうこうしているうちに、ぼちぼち太陽も傾いてきて、風も冷たくなってきた。11月も下旬になると、そろそろ薄手のジャケットが上着に欲しくなる。 小さくクシャミをひとつして、灰崎の指に挟まれた煙草の火をじっと見つめながら、 「祥吾くん、煙草やめたら? 肺がんになっちゃうよ」 答のかわりに、しんのすけの顔に向かって大量の煙が吐き出された。 けほけほ咽るしんのすけを見て、灰崎は楽しそうに笑っている。 「もう、何すんのさ! 副流煙の方が身体に悪いんだよ!」 「そりゃいいじゃねぇか、オレと一緒にガンで死のうぜ」 冗談にしては性質が悪いし、本気だったらもっと悪い。 けらけらと笑う灰崎にむかついて、 「そんな後ろ向きなこと言われて喜ぶのは、うちのおねいちゃんくらいだよ」 言ってから、しまったと思ったけれど、もう遅い。不自然な沈黙が耳に痛い。 灰崎はまだ長い煙草を足元に落とすと、ブーツの底で乱暴に踏みつけ、無言で車に乗り込む。 その姿に、残っていたココアを慌てて飲み干すと、しんのすけも急いでドアを開けた。 眠る姉の膝の上に、そっとミルクティのペットボトルを転がして、景色を見ているフリをして。 気まずくなった車内の空気が静かすぎたせいもあり、いつの間にか眠っていた。 気が付いたら世界が黄昏色に染まっている。 目をこすりながら、運転席の灰崎に声をかける。 「今どこ?」 「あー? 知らねぇよ、テキトーって言っただろ?」 「たぶん、群馬に入った、と思うんだけど」 自信なさげに、ぼんやりと窓の外を見ていたひまわりが呟く。 「あ、おねいちゃん起きた?」 「えぇ、少し前に」 ミルクティはすっかり温くなってしまったようだ、一体どれくらいの時間が経過したのだろう。 聞いたことのない出口で高速を降りて、山と山の間の細い道をひたすら走る。 テキトーなら、もっと景色の良いところを選んでドライブするんじゃないかな。 たとえば海沿いの夕陽がきれいに見えるコースとか、もうすぐ紅葉のシーズンだから、それらしいところとか。 中学生のしんのすけでも、それくらいは思いつく。それとも、ナビも見ずに何気なくハンドルをさばいている灰崎には何か目的地があるのだろうか。 「着いたぞ」 唐突に路肩に停車されて、思わずつんのめる。 ドアを開けて一人でさっさと降りた灰崎の後を追いかけるように、シートベルトを外したひまわりが続いて、しんのすけも降りる。 「わぁ」 その瞬間、視界いっぱいに飛び込んできたのは、夏の日差しを思い起こさせるような鮮やかな黄色の花の群れ。 「なんで…」 信じられないものを目にして、しんのすけはパチパチと瞬きする。 少し背丈は低いものの、それは間違いなく、 「秋に開花するひまわりなんだとさ」 「そんなのあるんだ…」 「見頃は終わったらしいけど、まぁ、まだフツーに見れんだろ」 「うん」 頷きながら、言葉もなく立ち尽くしている姉の背中を肘でそっと突く。 しんのすけでさえ驚いたのだから、彼女はもっと驚いたに違いない。 「あの、えっと、とてもきれいです」 胸がいっぱいで、それだけしか言えないひまわりに、灰崎は黙って煙草に火を点ける。 いつか灰崎を称して黒子テツヤが言っていた、奪うに長けた男だという言葉の意味が、今やっと理解できた。 一瞬で鮮やかに、誰かの心を奪ってしまう祥吾くんは本当にずるい。 こんなサプライズ仕掛けられたら、箱入り娘のおねいちゃんなんて一発だよ。 気まぐれに甘やかすくらいなら、可能性なんてないのだと徹底的に突き放してくれたらいいのに。 「ねーねー、記念にみんなで写真とろうよ」 「いらねーよ」 姉が期待に満ちた表情を浮かべるが、灰崎が容赦なく拒絶したので、一瞬で消える。 ああもう、本当に世話の焼けるおねいちゃんだよ。 「いいじゃん、せっかく来たんだから。ほら並んで並んで、タイマーかけるよー」 面倒くさそうに欠伸している灰崎の横に、遠慮がちに姉が立つ。 「祥吾くん見切れてる! もうちょっと寄ってくれないと入らないよー」 っていうのはウソだけど、弟としてはこれくらいは協力してあげたいから、2人に手招きして。 寄り添った瞬間、しれっとシャッターを押す。 「あっ、おいテメエ」 「あれぇ? ボタン間違えちゃった。もう1回ね」 今度はちゃんとタイマーボタンを押してカメラを固定、点滅する光にせかされるように2人の元へ走って。 ―――でも僕なら、一緒に死のうと言う人よりも、一緒に生きようって言ってくれる人がいいなぁ。 鉛色の低い空の下で咲くひまわりは、夏よりも寂しそうに見えたけれど、どこか誇らしげに見えた。 携帯電話が短く震えて、メールの着信を知らせるランプが灯る。 二つ折りの携帯をぱっと開けて、中身を確認したリコが破顔する。 「ねぇ見て、あの子たち、ひまわり畑に連れてってもらったんだって。冬にも咲くのね、ひまわりって」 メールに添付された写真を見ながら、妻が楽しそうな声をあげるが、征十郎はいまいちぴんとこなくて首を傾げる。 「ひまわりは積算温度900で開花するから別に不思議はないだろう? 花屋にも年中置いてあるし」 「そうね、不思議はないかもしれないけど、でも冬にひまわりよ? 滅多にないわよ? なんかこう、胸がときめくと思わない?」 征十郎の腕を掴んで力説する妻は、いくつになっても愛らしくて、 「あぁ、そうだね。冬のひまわりでそんなにはしゃぐ君の姿に、胸がときめくよ」 思わずダダ漏れた本音に従って、リコを抱き寄せ、額にキスを落とす。 子どもたちもいないことだし、久しぶりに夫婦二人の時間を楽しく有意義に過ごしたいと思っているのに、リコは携帯を見つめながら面白いわねぇと呟いている。 「同じ場所に行っても、撮ってる写真が全然違うのよ、ほら」 しんのすけから送られた写真は、ひまわり畑を背景に、自分と姉、灰崎が並んで写っている。 それと比べると、ひまわりからの写真は、灰色の空の下で咲き誇る大きなひまわりの花が一輪だけ、シンプルに写っているのみ。 「よく考えたら当たり前だけど、姉弟でも見ている景色は全然違うのよね」 一つ屋根の下に暮らしていても、血を分けた姉弟でも、何を大切に思い、何に心を動かされるかは全く違う。 それは彼らが個人として存在する限り当然のことなのだけれど、妻の横顔がどこか寂しそうに見えたのは、気のせいではないだろう。 「この間まで一緒にお風呂入るとか、絵本読んでとか、まだまだ全然子どもだと思ってたのに、急に遠くに行っちゃった気分だわ」 「ひまわりもしんのすけも、まだまだ子どもだよ。どんなに遠くに行っても、ちゃんとここに帰ってくるじゃないか」 腰に回した腕に力を入れて、耳元で大丈夫だと囁けば、リコはこくりと素直に頷いて、携帯電話をそっと閉じる。 そのわずかな一瞬に、子どもたちと共に写っている、苦虫を噛み潰したような灰崎の顔が視界に入った。 冬のひまわりが咲き誇るこの場所で、あの男は何を見たのだろう。何を残そうとシャッターを切ったのか、あるいは切らなかったのか。 聡明な彼の頭脳を持ってしても、それは推し量ることなんて出来なくて、それが忌々しくて悔しくて、 「征? 口がへの字になってるわよ?」 「あぁ、問題ない」 そんなに分かりやすく顔に出ていただろうか、わざとらしく親指と人差し指で顎をつまみながら、 「あぁ、そうだ、君がキスしてくれたら治るんじゃないかな」 「まったく、しょうがない人ね。これじゃどっちが子どもか分からないじゃないの」 冗談で言ってみたのに、リコは苦笑しながらも本当にキスしてくれたので、気を良くした赤司は灰崎のことは捨て置いて、続きを催促するように唇を突き出した。 back |