Cry for the moon




※『Moon is the only light』の分岐後。




――いねぇと思ったらこんなとこにいやがって

誰かの、声が、聞こえる
分からない
誰だろう
分からない
でも、
優しい声
大丈夫、この人は大丈夫

手を伸ばす、触れられない
掴みたい
その優しさに
触れてみたい

――千鶴?

差し出した手を、向こうから掴んでくれた
あたたかい気持ち
やさしい力
やわらかい雰囲気
父様?
うぅん、父様の手はもっと繊細な医師の肌で、こんなに骨骨しくて大きくない
父様じゃない違う人
でも、
拒む気持ちはなかった

――ったく

溜息かな
呆れているのかな
どうしたんだろう

ふわふわと揺れる
月はこんなに明るいのに
貴方が誰か分からない
顔がぼやけて、暗い
あぁ、月に背を向けているからだ
残念
誰だか、分かれない
うぅん、分からないままで良い
分からなくて良い

貴女は優しい人
安心していることに変わりないのだから
優しい手
撫でてくれる、触れてくれるこの手は――





 千鶴がいないと気づいた瞬間、結構心がひんやりと冷えた。
ほろ酔いが醒めるほど、焦った、とも言う。
 いついなくなったか分からないので、どれくらい時間が経っているのかすら原田には分からなかった。
 千鶴は黙ってひとり、先に帰ったりする子では無い。
この場にうんざりしたのかと思い、騒ぐ永倉や藤堂の輪から抜け――便所かーとか凄い勘違いをされたが、都合が良かったのであえて訂正しなかった――千鶴を捜し行く。
 何処かなんて検討はついていなかった。
だけれど千鶴の行く先を運良く知っていた舞妓がいて、案外簡単に見つけられる。
 ほっとした。
宴会の隣屋の襖を開け、多分寄りかかっていたけれど力が抜けてずるずる床に伏せたという感じで寝そべっている千鶴を見た時は。
 部屋に入り襖を閉めると、開いた障子から零れる月明かりだけで室内は暗い。
隣からうるさい雄叫びが聞こえ、これを聞くと酒飲みは控えようって気分にならされた。
 原田は足音を立てないように気をつけながら、千鶴に近づく。
「千鶴、」
 一度声かけてみるが、起きる気配全く無し。
 寒いと思うほどの気温でもないのに、身体を小さくまるめるのは男に無い仕種だよな……と千鶴を見ながら原田はそんなことをぼんやり思う。
「千鶴」
 もう一度、名を、呼んだ。
 千鶴の傍に腰を下ろす。
気配を窺いながら、手を伸ばし、千鶴の頭を撫でた。
 いつだって、ひとり静か、殻に閉じこもって恐さを耐え抜く、千鶴をどうにかしてあげたいと思う。
 助けたい、この自分の手で。
この、手、で。
 ふと、我に返った。
 自分の掌を広げ、しばし見つめれば錯覚が起きる。
洗っても拭いきれない、生暖かい、赤い色。
 ぞくり、ときた。
 雨の滴る中、切り落としたあの人を殺したあの時が、懐かしい。
 鮮明に覚えている。
ほとばしる血、倒れゆく身体。
快感だった。
確か、笑った。
声に上げず、口元が緩んだ。
 あの時、近藤か、土方――どっちかが言った忠告も、忘れていない。
理解している。
彷彿すべきではない感情。
分かっているのに、あのゾクゾクした震えを未だ拭い去ることは出来ない。

 その手で、助けたいと願っている。
 この身体で、傍にいたいと思ってしまう。

 愚かだ。
 滑稽だ。
 間抜けだ。
 失笑してしまう。
 千鶴と向き合って、尊さを知る。
馬鹿だ、馬鹿すぎて、喉を鳴らし笑うことも出来無い。
 千鶴を見ていると、自分が行ってきたことに、不安を覚える。
 何故かは分からない。
ただ、思ってしまったのは確かだった。




「普通そこで膝枕になるか……?」

 腹芸はー?と原田を捜しに来た永倉――何処かに感知機能でもあるのかと思わせる永倉の発見能力に原田は呆れた――が、見つけて早々、そう零した。
 壁に背を預けた状態で原田は胡坐をかき、千鶴に膝枕をしている。
 普通ねぇ、男が女に膝枕してもらうのが魅力であって、こやつの膝ってどうなの。
 侮辱的、こみ上げる愉快。
案の定、永倉は耐え切れなくて畳みに突っ伏し、声を殺して笑った。
その所為で酔いが醒めてしまった言うまでも無い。
「千鶴ちゃん、気づいたらびっくりするぞ」
 原田の性格をよく知っている永倉は、あいつらしいと思ったし、千鶴から願ったのではなく、どうせ寝ていた所を原田が動かしたというか誘導したのだろう、とちゃんと見抜けていた。
「お、今日は月がよく見えるな」
 原田と千鶴の傍に寄り、開いている障子の間からひょいと顔を外に出す。
手だけ動かし、持っていた酒を原田に渡した。
「おまえに月見は似合わねぇよ」
 持っていたという感覚が無くなる。
視線を向けると、原田の手に酒がちゃんと渡り、しかもぐいっと勢い良く飲んでいた。
 口だけ達者な反応。
 淡く笑う、表情。
 こいつまた途方にも無いことを思ったな、と永倉はぼんやり思った。
 不器用で言葉が足りない、馬鹿な奴。
永倉も充分直感で動くが、思量深さは自負しているつもりだ。
「なんて顔してんだ、左之」
 月を背にし、影を落とす原田の表情をくっきり見ることは出来無い。
だけれど、永倉には分かっていた。
 曖昧に濁す表情は、何かをすりつぶしたような、気持ちを粉々にした、迷い。
 永倉は苦笑する。
 おまえ、馬鹿だな。
「新八にだけは…見られたくなかったんだがな」
 言葉の割に諦めた失笑。
 おまえなら良いか、みたいな雰囲気に取れた。
いつもは永倉が馬鹿みたいに愚痴って叫び、原田が聞き手で酒を飲むのに。
相当キている。
 馬鹿なのに、馬鹿だから、変に考えて苦しむ。
本当に不器用で口下手な男だ。
 それを言っても変わる訳じゃないから、永倉は軽く原田の頭を叩く――と言ってもかする程度触れたかも定かじゃない――だけ、それに対する返答はしなかった。


 原田は千鶴を乗せたまま動かず、永倉は障子の溝に腰をかけ、しばらくぼんやりしていた。
隣がうるせぇとか、やっぱ腹芸しねぇの?とかくだらない会話をぽつぽつして、軽く持って来た酒を飲んでは、月を眺める。
 あえて、永倉は立ち去らなかった。
 自分で自分の首元を絞めている馬鹿を放るほど淡白じゃない。
「千鶴ちゃん、起きねぇな」
「あぁ…」
 原田の片手は、千鶴の頭を撫でている。
 ふたりの会話で目覚める予感すら無い、すよすよと眠る千鶴。
さらさら、と指から擦り落ちていく髪。
無防備に背を丸めた小さな身体。
猫のように気持ち良さそうな表情。
 ひとつひとつ、女子なんだと噛み締める。
湧いてくる、何か。
気づくべきじゃない、自分の中でまだ消化出来無いのだから。
どんな感情か、なんて検討がついているからこそ、原田は見てみぬふりをする。
「っは。大馬鹿ものめ」
 永倉からすれば感傷的な原田なんて声に出さなくても感情が見て取れる。
 施せない所まで来ている、大馬鹿野郎。
 そう永倉が分かると、笑わずにはいられなかった。
 千鶴を見守るその表情を、鏡など使って原田本人に見せてやりたい。
複雑に苦しみながら、柔らかくあたたかい、撫でる、手と、溢れた、感情。
 歯がゆさとか男の恋愛見るのどうなんだとか、そういうの通り過ぎて、呆れ、そして好き勝手にさせたくなった。
「左之。自分、振り切れよ」
 少し呆気にとられたのか、原田が目を丸くする。
ぴたりと、千鶴の頭を撫でる手が止まった。
 驚いているのは永倉も同じだ。
自分らしくは無い。
 それでも、何か紡いでおきたかった。
 軽く、冗談みたいに。
半分は本気、半分は馬鹿だと呆れて。
 こいつは馬鹿だから。
 原田は放っても自分でなんとか出来るけれど、何か道標くらい出してやりたい。
「……らしくねぇよ、新八」
 歪んだ、口元。
細まる瞳。
何度目か分からない文句。
 その声は、柔らかかった。



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