Moon is the only light






「し、ま…原、ですか?」

 全く信じられなくて、聞きなおしてしまった。
今、すっごく間抜けな面をしているだろう、と千鶴は自覚している。
「おぉ」
 あっさり、肯定。
 この状況が愉快だと言わぬばかりの、少し緩んだ口元だが、嘘をついているようには見えない。
事実だからこそ楽しい、という態度だと思う。
 ちょうど横を通りかけた近藤が、千鶴と土方を見て「ん?」と声をあげた。
「トシ?雪村君にちゃんと説明したか?」
 的確な読みだ。
 千鶴の表情でというより、土方の態度で察したのだろう。
長年付き合っているのだから、近藤でもそこは鋭い。
「いやぁ、したぜ?今日は巡察と屯所の警備以外の隊士で島原に行くから来ないかって」
「……それじゃぁ足りなくないか?」
「充分だろ」
 ふたりのよくある会話の流れに、心が追いつけていない。
 島原ってのは、一般の女子が行く場所では無い筈だ。
男が女を買ったり一緒に酒を飲んだりしたりする――正確に言うと、男を買う場所もあったり、買わない場所もあるとか、今は省略――場所と千鶴は認識している。
 隊士が少数で出かけていく姿を、千鶴はたまにだが見たことはあった。
千鶴は女だし、その買う気持ちは分からないが、止めることなんてこと出来無い。
 人の娯楽にケチなどつけられないし、逆に買ってもらう遊女にも意思はあるから、なんでそんな所があるのか、なんて事は思わない。
そんなこと言える正論なんて無いだろう。
「あの、なんで私も、なんですか……?」
 だから、千鶴が島原に誘われるだなんて思いもしていなかった。
「いってらっしゃい」と見送って、待っているつもりだった。
「いやあな、雪村君。君を島原に誘うのは可笑しいのだが、屯所に残る隊士が君とあまり仲の良くないというか、君が仲良くしている隊士は皆、行ってしまうからね」
 君をひとりにしておくのは心配なんだ。
回ってくる当番だから仕方の無いことだが、置いていかれる不満はあるだろうし、興味本位で君に何かしでかす輩がいない、とは断言出来無いしね。
 土方より何倍も丁寧に説明してくれた近藤の言葉を、千鶴はひとつずつ噛み砕き、解釈していく。
 全員で一緒に行く、など今の新選組では無理難題だ。
 近藤が言う気持ちは分かった。
こんな自分にまで気を利かせてくれたのは、嬉しい。
 でも、女が女を買うってどうなんだろ。
「あーなんか、一番どーでもいいこと悩んでるな、おまえ」
「え?」
 土方の声に、千鶴はハッと我に返った。
凄い間で言われたので、心読み取られた、と動揺してしまう。
 実際、読み取られているが。
「馬鹿みたいな人数で一緒に行く時は宴会しかねぇよ」
 宴会、ということは皆でお酒飲もうよってことかな。
屯所でよくやってる気がするのは、勘違いかな。
良い場所でいい女の人とってことに意味があるのかな。
「ん?雪村君、大勢での酒は嫌いか?」
「なんでおまえに女なんて買わ「わーわーわーーー!!!」
 なんか、凄く恥ずかしい疑問を持っていたらしい。
 千鶴は声を張り上げ、土方の声を遮った。

「それに思いを入れ替えない限り一生いけねー場所だ。良い経験だろ」

 にやり、と土方が千鶴の心情を察し、嫌味の笑みを見せた。





「物好きだね、君も」
「千鶴ー!今日は飲もうぜ!」
「おうおぅ、こうなったら佐之の腹芸みせねぇとな!」
「おまえ、どうなったら『こうなったら』になるんだ」
「……気をつけろ」
「危ないと思ったら、大声をあげるんだよ。飲みの席は隊士も羽目を外すからね」
「まーなんとかなるだろ」
「トシのその自信が俺にはよく分からないが、雪村君も楽しんでいくと良い」

 誰がどの発言をしたかなど重大要素では無い。
心配されているのか、楽しんでいるのか、酒が入ると愉快なのか、千鶴には分からないが、皆上機嫌なのは確かだ。
それと個性発揮、含みが多すぎて千鶴には半分くらいしか理解出来なかった。
 「たまにはパーッと縁起よく飲もう」という近藤の発想による近藤主催の宴会らしい。
 無礼講でしかも綺麗な女の人にお酌してもらって飲む良いお酒は、最高に良い筈だ。
皮肉ではなく、女の千鶴でもすごい綺麗だなーと思っていた。
 白粉と紅、映えた着物、髪に彩る簪。
自分もしたいかと聞かれたら、してみたいとは思うけれど、それよりも見ていたい。
 人には人の、役割がある。
その中で千鶴は、自分が鮮やかに彩る価値が無い、と考えていた。
千鶴の意見に対し誰が何と言うかは、
千鶴がそれを声に出さないため、
千鶴は多数の意見を知ることなど無い。



 無礼講でまとめて良いのか分からない宴会(騒ぎ)を、千鶴はただただ壁際で傍観していた。
ちゃんと話したことがなかった隊士と言葉を交わしたり、お酌したり、と何もしていなかった訳でもないが、元々綱道とふたりで静かにゆっくり過ごしてきた千鶴にとって、盛り上がりに便乗できる勇気も器もその間も知らない。
 それあって、静かに見ているだけでも充分楽しかった。
 自然と口元が緩む。
 島原なんて行く機会、新選組と出逢わなければなかったことだろう。
未だに拭えない違和感があるが、これも一驚の事、ということにしておく。

 宴会が始まってまだ半刻、これから更に盛り上がっていくだろう。
 千鶴はというとお酌をしにうろうろ周り、ひと段落という所。
空いている場所に座ろうとしたら、ふらりと身体が揺れた。
ぶつかったという訳では無い。
ぐらぐらとか大きな湾曲でも無く、これは視界が微かにという程度。
 空気が、お酒の匂いで充満しているのだろう。
 空気で酔った、というのは大げさなのかもしれない。
でも、広い部屋にひしめく隊士と飛び交うお酒、尋常じゃない密度になるだけの要素はあった。
 千鶴自身、自分が酒に弱いことを知っている。
綱道のお酌で少し拝借した際、自分には合わないと気づき、屯所内でのお酒もお酌に専念(逃げた、ともいう)していた。
 千鶴は軽く視線を落とし、目を細める。
 ゆっくり、自分がどうするべきか考えた。
 いきなりこの場で倒れたりしたら、雰囲気が悪くなる。
自意識過剰な発想ではなく、近藤の性格を考えれば自然に思いつくこと。
申し訳ないと謝り、その空気が周りの隊士に伝染する。
 よくない、それだけは避けたい。
 確か隣の部屋が空いていた。
宴会の間隣なんて使えやしないから、酔いどれた隊士を放る用に取ったと聞いた気がする。
 一次が終わったら各自解散だし、誰か気づいたら起こしたりしてくれるかもしれない。
隊士でも店の人でも、邪魔なら言ってくれる。
大丈夫、隣なら何とかなるだろう。
 どうするべきかが定まると、千鶴は辺りを見渡し、様子を窺いながら立ち上がる。
皆、宴会の空気に楽しんでいることを視界の端で見つつ、するする隊士の背後を抜けていく。
気づかれないよう、と配慮しながら足音を気にして歩いた。


 襖を空け、廊下に出ると、ひんやりとした空気が頬を掠める。
やはりあの部屋が異常だった。
流石に騒がしい声は襖をぶち抜いて充分聞こえるものの、空気はすこぶる良い。
 ちょうど宴会の部屋に向かおうとしていた舞妓とすれ違い、水を頼んだ。
すぐに頂くことが出来、隣の部屋の事も聞ける。
 曖昧だったことは、合っていた。
隣は空いているらしい。
 千鶴は気兼ねなく、隣の部屋の襖を開けられた。

 キモチワルイ、というほどではない。
 だけれど、未だゆらゆらと揺れている。
身体ではなく、気持ちの問題。
こういうのを気持ちが良いというのだろう。
 千鶴はとてとてと畳の上を歩き、部屋の端――障子をスパンと音を立てて開けた。
いつもはもっと静かに開ける。
気持ちがふわふわしているから、気分よくしたかったのだろう。
 千鶴は酔っ払いだなぁと思いながら、ぺたんと障子のすぐ手前に腰を下ろした。
 夜空を見上げる。
真っ暗な夜に月が浮かんでいて、蝋燭を灯していない室内より画然明るかった。
 手を伸ばせば届きそうな、錯覚。
届かないから、良いのだ。
明るくて、そこに行けたら良いのにと思う。
 かぐや姫はどんな気持ちで月に戻っていくのだろう。
 綺麗だ。
吸い込まれたい。
 逃げたいのだろうか、何も考えない世界へ。
 使えない女子を置いてくれるだけ、良い。
ずっといたい、でもいるべきじゃない。
 いつか離れなければならない、新選組。
 分かっている。
 単なる逃げでしかない、考えたくない、未来。

 吸い込まれていく。
いざなう、きえて。
飛び込んだ。


→月を眺めるのを止めない【I didn't know the way to keep you from me
→慣れない場所、疲れてしまった【The moon lit up the way
→深く、眠ってしまう【Cry for the moon



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