いざ来たれ、待ち望みたる時よ
-Schlage doch, gewunschte Stunde-



※ 設定捏造あり、ネタバレはなしの方向ですが、本誌読んで書いたものですので、一応ご注意下さいませ




「え? まさ子ちんいないの?」

 隣にいる氷室が少し困り顔で、紫原の手から落ちかけた雑誌を取る。紫原はそれを視界の片隅にとめていたので、黙って渡し、「もう一回説明して」と促す。
「3日間の長期出張アル」
 ウィンターカップを終え、代替わりした陽泉の男子バスケットボール部、副主将の劉がバッザリ言い切った。むしろそれ以上何を言えと、など呆れ面だ。
「マネジのチクリメモ帳を見た奴マジ最強、がこの3日開催されるのかー」
 その横で面白そうな笑みを浮かべる福井がいた。ごく自然かつ、違和感ないが、彼は引退したばかりである。
「受験どうしたの」
「顧問がいねーから、監視。つーか、喝いれてこいってお達し」
「受験どうしたの」
「くそっ聞く気ねえだろ!」
「いや、まともな反応じゃと思うぞ?」
 紫原の冷静な問いに、困惑する岡村が頷いた。
 荒木は引退した3年に「出張の数日、行ける奴は顔を出してくれ」と伝えている。まだまだ新体制で始まったばかり、上手く行く筈がないのだから。しかも当分大きな試合なく、新入生がくるまで気も緩みやすい。
 それ故の言葉であって、荒木が「受験生も」など言う筈なかった。推薦など進路の決まった奴が、という暗黙なのに、福井は来ている。
 もうひとり、岡村は福井と一緒に勉強して、巻き込まれた系だろう。いつもの流れだった。
「チクリメモ帳ってなんです?」
「あー氷室は知らないネ」
「お前、マネジに優しいから、差し引いて、書かれねーだろうなー」
 劉と福井が納得し、岡村も「そうじゃろな」と肯定している。さっぱり訳がわからない、と氷室が紫原を見上げると、気怠そうに首を傾けられた。不明の合図ではなく、筋を伸ばし、適当に聞いている仕草だ。
「んー? まさ子ちんがいないと、部員の気、緩むでしょ? それで適当な奴も出てくるから、マネジが監視してる訳。で、後日まさ子ちんに見せるためにメモしてるの。それが、チクリメモ帳」
 部員内の俗称であり、マネージャー内でどう呼ばれているか不明である。しかもその中身、部員は見たことがない。日頃どう思われているのか、赤裸々に分かると噂で広まっており、盗み見しようとする輩が出るのだ。ちょっとした勇者扱い、マネージャーと顧問からすれば「ただのアホ」であるが。
「Jeepers! アツシ、ダメだ。オレら終わった」
 バスケットボールに真っ直ぐなだけ――と問題児として自覚ない氷室だが、これは別らしい。というより、マネージャーの荒木監督贔屓は異常だ。そして荒木の罰も重い。書かれない部員を探した方が早い、そう踏んだと思われる。
「部活前だし大丈夫じゃない? あっても除雪くらいでしょ」
「除雪つらい、日本の冬は厳しいよ…!」
「いや、何処でも雪降る場所は厳しいでしょ。室ちんが住んでた州、降らないの? というか日本は、日本海側ね、関東とか滅多に降らないよ」
「なんで陽泉が南にないんだ!」
「あ、陽泉は必須なんだ」
「当たり前だろ。何を言うんだ、アツシ」
 自分が雪の降らない地域の学校に行かなかったことに嘆くのではなく、雪の降らない地域で設立しなかった陽泉に文句を零している。彼の中で、陽泉は当然事項、ブレやしない。
 これがデレか。否、氷室は紫原以上にストレートだ。特にバスケットボール関連では、デレもツンもない、ありのまま突き進む。 
「氷室うざい。で、それは何アルか」
 声に出されると恥ずかしいものがある。劉は話題逸らしをかねて、紫原から氷室に渡った雑誌――今の会話で筒状に丸まってしまったが――に視線を落とせば、福井と岡村が倣う。氷室もやっと目的を思い出したのか、それを手渡す。
「そうだ、忘れていた。これ、アツシの中学時代が載ってるんだ」
「そー…なんで部室にあんの?」
 中学生を特集にあげるなど、前代未聞――なことを、キセキの世代はやり遂げている。全中三年連続優勝、スポーツ界でもそうありはしない記録。その実力、経緯をまとめた特集だ。
 3年間、ずっと話題をかっ攫ってきたのだろう。写真も沢山撮られており、この特集でもふんだんに使用されている。それはもう、外見が少しずつ大きくなっていく様まで分かるほど。本当に、アルバムのようだ。
「あーこれかー…お前が陽泉に来るって決まった直後、渡されたんだ。参考資料みたいなもん?」
「回し読みしたのう」
「私も読んだアル」
「嘘つけ。読めねーとか言って、朗読させてたじゃねーか」
「よく知ってるネ」
 福井を真ん中に、岡村と劉が3人で雑誌をめくっている。たまに福井が「紫原おさねー!」など笑っていた。
「カントクがコレを?」
「プレイヤーとしては評価するが、個人的には厄介なガキがくるってな」
「えー!? まさ子ちんひでー!」
「実際厄介だったネ」
「陽泉に来た当初を思い出すのう…」
 キセキの世代が帝光3年時の全中優勝後、優勝旗と共に並ぶ写真が印刷されたページを、指の腹でなぞりながら、岡村はつぶやいた。劉もやけに実感込めて頷き、福井もから笑いを見せる。
「なんだ。アツシ、迷惑かけたんだね」
「室ちんに言われたくない」
 ぷいっと拗ねるように、コートへ視線を逸らす。体育館の壁付近に集まる自分たちの他にも、数名部員がいた。
 静かな空気はない。そろそろ準備も始まるので、もう少しすれば、コートは騒がしくなる。うざいくらいの大声と、バッシュの擦り音と、ボールの弾み音で。
 ふと、嫌に過る。あまりにもつまらないコート、つまらない空気を――



 たった1年や2年前のことなのに、あまり覚えていない。記憶から削ぎ落した、とも自覚している。

 あの頃は、バスケットボールで何をしてもつまらなかったし、飢えていた。どう挑まれても、遅すぎて、力が弱すぎて、身体を動かしている感覚もなかった。勝手に溢れ出る力と意欲が、あっさり結果になるから、楽しかった筈なのに。手に吸い付くような感覚で触れていたボールを持つのも、面倒くさくなった。
 この溢れ出るものを、何一つ消化出来ず。ただただ流し続け、それを受け止めてくれるものもなくて。全てが、苦痛に感じていた。
 それでも手には、ボールが勝手にくっ付いてくるから、試合に出場した。結果も出した。それで大人は文句を塞ぎ、部員もうざい瞳で見てこないから、妥協した。ねっとりとした焦がれが、地味に面倒だったけど。
 同じく飢えて、失望しきった友人の瞳も面倒極まりない。コートの上でボールを持っても、何が面白いのか、互いに分からなくなって。声に出して意見交換するなんて馬鹿らしくて。こじれきったものを、どうにかしようなんて、思いもしなかった。
 面倒くさい。それに尽きる。
 あと、弱い奴の声なんて聞きたくもない。言葉に意味をなしていないと、思えたから。
 ぐしゃぐしゃに勝手なこじれ、黒いモヤが身体を覆って。それでも高校は行かないとと思っていたから、スカウトに来た人とは逢った。
 勉強も面倒くさいし、それで学校が決まるなら楽だ。どれだけ恵まれていて、普通出来ないことかも分かっていたから、それを捨てず、利用した。
 だけれど、何か喋って帰っていっての繰り返し。相手の顔も、そこの学校名も、景色の色も、覚えていない――つまらない面会。
 心も空虚で、つまらないのに。バスケットボールしかないことに、落胆した。己の道の狭さにつまらなくも思った。
 そこそこ器用だから、他にもある筈なのに。転換するのも億劫で。
 この頃には、面倒極まりなくなっていた。
『まだ、バスケをする気があるなら』
 スカウトで来ているのに、こちらの様子を窺って話す大人が多かった。冷静に思えば、笑わずつまらなそうに動く姿を、誰が「やる気に満ちている」と思うだろう。でも、その時は分からなくて、毎回、がっかりした。つまらないを解消してくれる、未来を差し伸べてくれる可能性がないと。このくすぶっている、奥底で飢えている『やる気』を導いてくれなくて。
 あるスカウト面会の去り際。学校のパンフレットに視線を落とし、「今回も覚えられそうにないや」と思っていた。面会も飽きてしょうがなかったので、数ある候補からあみだくじでもしようかと考え――

『外に、出ないか』

 今から、外の空気でも吸いにいかないか。
 その意味合いではないと、すぐ先のことを言っているのではないと、分かっている。完全な抽象表現。
 出たいと思わないか。そんな、やや弱い押しではない。問いかけているのに、引き寄せる強さがあった。
 この狭くなった世界の外に出ないかと、手を差し伸べられている。奥底の気持ちへの可能性なんて、多大な期待もしていないけれど。一縷の、なにかに、思えた。
 驚いて、いきなり顔を上げ、今日来たスカウトの人を見る。
 向こうも少し目を丸くし、軽く息を吐くように笑って。あ、綺麗だ、と場違いなことを思った。そして、ガキ扱いが腹立たしい筈なのに、それどころじゃなくて、ただただ「外って何処」と問いかけた。
『秋田だ』
 聞いてなかったな、このガキ。
 そういう雰囲気があったと、思い返してみれば、分かる。事実、去る間際まで右耳から左耳へ素通りしていたから。
『ええー…それはない』
 そんな遠い、面倒な場所、と思って、落胆の声をあげる。でも、何処かで、その候補だけは、切り捨てずに、選択に残していた。
『……そうか』
『ねえ、秋田の、何?』
『陽泉だ』

 結局、選択はひとつしか残らなかった。
 だから、その『陽泉』にした。
 何処でも良かった。
 何処でも良かった筈だ。
 この面倒な雰囲気から、友人たちの飽きた瞳から、離れたかった。楽しくて、きらきら輝いていた瞳があったことすら否定されているとしか思えなかった、この場から。
 動きが遅すぎて、張り合えない強さで、飛べない高さで、ゴールに入らない、つまんないプレイばかり。つまらなくてつまらなくて、もう辞めて違うことしようって思っていても。考えるのも面倒になって、結局ボールを離せず――落胆していた自分に、訳のわからない明りが指した。くすぶっていた「やる気」は、みなが散らばり、自分も『外』に出れば変わると確信まで至って居た。

 あみだくじにしようとしていた気持ちを投げ捨てて、直感で。伸ばしてくれた、あの手を掴んだ。
 本当に、何処でも良かったけど。直感で選んで良かったと、思う日が来るとは思いもしていなかった。



「で、この雑誌と監督になんか関係あるのか?」
 福井の問いで、紫原は我に返った。
 思い出しても、胸に痛みが残る記憶。でもあれがなければ、この場に居ない訳で。あれはあれで良かったのだと、紫原にはまだ思えないけれど。
 すぐ解決しない思考を隅に追いやり、視線を皆の方に戻す。
「アツシが、カントクはこの頃の自分にキョーミ持つと思えないって言うから、直接聞いてみようってことになったんです」
「あー…まあ欲しいとは言ってたけど、なあ?」
「ワシにふるな、福井」
「知っても得しないネ」
「……なんとなく分かったし」
 荒木の個人的感想がどんなだったのか、嫌も分からされた。
 それでも、いや、それだからこそ。陽泉に必要、欲しかったとはいえ、『外』と的確に零せたのか。
 荒木が監督業に入ってまだ数年。福井と岡村曰く、紫原などのキセキ以上の天才肌は陽泉にいないと聞いている。そうなると部員を見て知ったのではない。
 彼女の経験談なのか。近くにそういう相手がいたのか。
 外を出て、そいつがどうなったか、知りたいのではない。荒木の思いが知りたかった。
「お預けだね、アツシ」
「氷室も昨日の連絡事項聞いてなかったアルか」
「聞いてたよ? すっかり抜けてたけど」
「それ忘れたっていう」
 氷室と劉、互いに辛辣である。似て非なる、帰国子女と留学生の背中合わせに、思うところがあるのだろう。
 喧嘩の前兆として、劉のアル口調が消える。次に、氷室の英語率が増す。時間も経たず、肉弾線に移る。血の気の多い若者といえど、部活を背負うふたりが、最悪な流れを未だ改める気すらない。
「待て! オイ!」
「羽目外しすぎじゃろ!」
「んー待つのめんどい。メールする」
「お前は氷室を押さえろ、馬鹿やろお!!」

「はい、氷室君と劉君と紫原君、マイナス5と」

 不満そうな「えー?」を零す紫原と、慌てる福井と岡村の背後から、冷静な声が聞こえてきた。空気を切り裂き、全身に水を浴びせるような感覚すらある声だった。
 福井と岡村が振り向くと、自分と同期、引退したマネージャーがメモ帳――俗称、チクリメモ帳の一冊だろう――を持っている。監視、喝をいれろと荒木からお達しを受けたのは、部員だけではなかったのだ。
「おい、5ってなんだよ?!」
「車の違反ならそこそこキツいよね」
「ひっ! 鬼がおる!」
 3年間共に部活動をしていたのだ。言葉にせずとも読めることを、声にして抗いたい時もある。
「氷室、初日に5は多分危険ネ、協定結ぶアルよ」
「よく分からないけど、そうしよう。マネジは味方につけろってカントクも言ってたし」
 劉と氷室は違反の点数制度を分かっていないが、福井と岡村の怯えでなんとなく危険を察した。バスケットボールは好きだからこそ、罰で時間を潰したくない。

「『早く帰ってきて、まさ子ちん』」

 その言葉に、聞いていた全員が、驚愕の面で、勢いよく紫原を見る。紫原は部活前なのにも関わらず、何故か持っていた携帯電話の画面を指でスライドさせていた。
 先程、この男は何を言っていたか。
 そして、今の言葉は何か。
「……アツシ?」
「あれ、ケンカやめたの?」
「うん。あのさ、カントクにメール、した?」
「うーん。聞きたいことあるのに、3日も我慢とか、すげー面倒だから、早く帰ってきて、てメールしといた」
 メールの本文が声に出ていたらしい。
 単なる、子供の我が儘と、自分勝手と解釈すれば良い筈だ。なのに、それ以上を、それ以外を、懸念してしまうのは何故だろう。もっと先、何かが起こるような、変わるような。ありえないと否定していた境界線を越えてしまうと。
「………返信くるのか」
「来たとしても本文聞きたくないアル」
「ワシ、帰るぞ」
 何も感じなかったことにする岡村が踵を返す頃には、同期のマネージャーがいない。裏切りの早さも一番で、岡村は「だからマネジ恐い!」と震えた。

 その後、部活終わりに携帯電話を確認した紫原から「まさ子ちんから返信きたよー『楽しみに待ってろ』だってー」あっさり絶望の予告を食らったのは言うまでもなく。罰なんてどうでも良くて、早く聞きたいと、楽しみにしている紫原の――いつもより少し緩く笑う表情が、場の空気を更に怯えさせた。





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