※後編です。前編はコチラ





Several years later…



 ゆるゆると、柔らかい感覚が心地よい。ふわふわと、優しい音色を聴いていたい。だけれど、少しばかりくすぐったい、緩やかな気配が無視出来ない。
 まどろみからひき離れ、重たい瞼を開くと、まばゆい光が飛び込んできた。何度か瞬きし、それを緩和させる。
「あ、起きちゃったじゃん」
「うるさくなかった」
「しずかに、してたよ」
「それならまさ子ちん、起きないし」
 こら。
 怒っているとは思えない音色で、咎めている。
「……ん、…うん?」
「まさ子ちん?」
 聞き慣れた声。この流れでは不釣り合いな、あまったるい呼び方。目を覚ました雅子は、鈍い動きと瞳で呼んだ男――紫原を一瞥する。
「おかあさん、おきた?」
「ごめんなさい?」
 謝っているようには見えないが、反省しているらしい。雅子は紫原と自身の間に挟まれた息子ふたりを見つめ、頭を撫でる。気にしていないと、伝えるように。
「ん、寝てたか」
 いつでも寝起きに、分かりきったことをぼやく。脳がとてつもなく遅い起動で、馬鹿っぽいが、見せてくれる唯一さが紫原はお気に入りだ。初めて見た時からずっと、今でも、雅子に伝えたこともないが。
 短い欠伸を手で隠しながら、雅子は片腕で身を起こし、周囲を一瞥する。
 良く言えば活発的、悪く言えば落ち着きのない息子ふたりを含む4人家族が住むには狭い間取り。それ故、家具は最低限に。暗めの色合いの天井と壁紙――赤司の厚意あっての賃貸だ。資金面も含め、内装は補修以外していない――も相まって、ファミリー向けには程遠いシックな空間だが、住めば都、見慣れた視界に、ほっと一息。
「お帰り、敦」
「まさ子ちん、ただいまー」
「いつ、帰った?」
 状況を把握すると、またもふわっと小さく欠伸ひとつ。眠気がとれず、力も湧かない。雅子は身体を支えていた片腕を戻し、再度寝転がる。
「俺? ついさっきだよ」

『敦、家族が待っているだろうから、もう上がって良い』
 赤司の仕事から解放されたのは約一時間前のこと。嫌み混じりと気付けたのは、彼が愛おしい人を日本に置いて単身、しかも今回ドイツから直と休みなしの移動と知っていたからだ。八つ当たりを食らう前にと、文句も言わず、そそくさと帰路についた。
 それなのに、お出迎えがなく、不思議と首を傾げて歩き回れば、妻と子はリビングで昼寝をしていて。物音で起きたのは息子の兄弟だけ。寝不足の雅子は深い眠りについていた。
 その理由を、むしろ原因を作った紫原は起こさぬよう子の前に座り、小声で話し始めーー今に至る。

「まさ子ちん、まだ寝て良いよ。俺が見とくから」
「いや、お前仕事あがりだろ…私が、」
 未だ現実味のないものだと思う、紫原との渡欧、フランスへの移住から数年。苦労の多い日々は慌ただしく過ぎ去る中、子にも恵まれた。
 不思議な生活で、今もきついのは家計を支える紫原であり、出来る限り休んで欲しいと思っている。だというのに、紫原は年上の雅子をあまやかせる時が少しでもあれば、惜しまない。互いに譲らない部分だった。
「はいはい、ふたりとも、覚えたの歌ってあげてし」
「覚えた…?」
「最近すげー熱心に頑張ってたから、もうお披露目で良いかなって」
「だから何が」
「『Ah! Vous dirais-je, Maman』」
 長男がはっきりと声に出した。
 両親の遺伝か、歳のわりに大きな図体をした長男は、髪色や質など、外見なら紫原を彷彿とさせる。だが、瞳の強さは雅子に似ていた。
「おぼえたよ」
 その隣、年子の次男は、光の反射で紫色が混じっていると分かる黒髪。こちらは外見雅子似だが、雰囲気は緩く、掴み所がない。気怠そうな面が薄い辺りは、雅子の遺伝様々だった。
「えっと、聞けば良いのか?」
「まさ子ちんは黙って。ほら、さんはい」
 紫原のゴーサインに、勢い良く便乗した兄弟が、いきなり歌いだす。熱唱ではなく、まどろみを誘うーー子守唄のように。
 曲調からして、何を歌っていたのか、雅子でも分かる。
 紫原が覚えていた中で、唯一子守唄として使えそうな曲。毎度毎度それしか歌わなかったから、定番かつ揺るぎないものとなっていた。明るい曲で寝難い筈なのに、兄弟はそれしか知らないので、「子守唄といえばこれ」と思い込んでいる。
 付け加えると、紫原は姉から英語歌詞のみ教わっていた。初耳で指摘した時からずっと、日本語歌詞は雅子が、英語訳は紫原が、役割分担して。兄弟の中では同曲なのに、はっきり別で区分されていた。
「……ん、これは」
 いつも聞いている、歌っている歌詞と違う。やっと聞き慣れてきた言語、フランス語の歌詞だとも分かる。
「オリジナル、原詞だよ、まさ子ちん」
「これ、フランスものだったのか」
 あのね、お母さん。そんなタイトルだと訳すと、「星は何処に行った」と問いたくなる。
 覚えたての歌詞を、一緒に歌う息子ふたりを愛おしく思っていると、雅子はまたも眠たくなってくる。目覚めたと思っていたのは、錯覚だったらしい。瞼が重たくて、だんだん視界が細くなっていく。
「雰囲気変わるな」
 歌詞を聞いていると不思議な気持ちだ。星なんて全く関係のない、恋心を奏でたものだから。
「まー替え歌だから」
「替え歌なのか」
 相変わらず博学というか、知識量の多い紫原に驚かされる。見た目と感情がいまいち一致しないことに慣れているが、賢い部分は未だ釈然としない。
 今回のは知っていたというより、子に聞かれても良いように調べたのだろう。面倒くさがりな男だが、雅子の疎い知識を踏まえれば、教育面は自然と決まる訳で、それ故の行動。父親らしいことをしている紫原に、雅子はまた違う、良い一面が増えたと嬉しく思えた。
「慣れかな…恋心より星がいい」
「まさ子ちんなら、そう言うと思った」
「悪かったな」
「ほし?」
「ほしがいいの?」
 兄弟の歌が止まった。両親で何を批判的なことを話していたのだろう、と雅子は内心反省する。
「いや。そのまま歌ってくれ」
「いい?」
「だいじょうぶ?」
「ああ、聞きたい」
 兄弟は紫原に似た、なんとも緩い笑みを見せ、歌を再開する。
 生活環境とは恐ろしいものだ。同曲で3種類の言語を知り、話せずともそこそこ理解し、歌うまでに至るマルチリンガルな兄弟なんて。勉学に誇れない自覚のある雅子は、親ばかより「これ本当に自分の血流れてるのか」と、喜ぶより不思議でしょうがない。
「まさ子ちん、」
 紫原の腕が、息子ふたりを越え、雅子の頬に触れる。撫でながら、顔にかかった髪を整え、大きな手で視界を遮った。
「――おやすみ」
 子の歌い声が心の防壁を崩し。紫原の言葉は呪文のように。睡魔に抗い、頑張って起きようとしていた気持ちを削ぎ落す。
 それから1分も経たないうちに、雅子はまたもまどろみに落ちていった。
「……ねた?」
「ぐっすり?」
「寝たね。ふたりも昼寝して、良いよ」
 いつもならば有り余る元気で動き回る兄弟が、騒いでいない。紫原が帰ってきた嬉しさで目覚めたものの、眠気は残っていて。身体は素直に休みたがっていると、容易く読み取れる。
 そもそも昼寝をさせるために、雅子が添い寝していたのだ。ここをクリアしなければ、次に進めない。
 紫原は兄弟の上に乗っているブランケットを掛け直した。早く寝ろと促す。
「おとうさんねないの?」
「お父さんは寝ないの」
 仕事上がりの疲労感はある。愛おしい人と子がいれば、尚更気は緩んだ。でも、やらなければならないことが脳の片隅で幾つも思いつき、結論を出していた。
「うーん」
「わかった」
 納得いかない様が、兄弟なりに紫原の性格を読んでいるのだろう。それ以上問うことはなかった。
「おとうさん」
「んーなに」
「little star」
「うたって」
 紫原家唯一の子守唄――の紫原版、英語歌詞の曲名の略称が出てきた。世の中の、ではない。家族だけの認識、兄弟がつけたものだ。
「えー…俺も歌うの?」
 今度は父が子守唄をしろ、と兄が要望し、弟も後押しする。じっと睨むように、強く見つめてくる様は、雅子を思い出す。そして、紫原はその瞳に――雅子に似ている部分何処でも、弱い。
「……はー…寝てよ? 起きてたら捻り潰すからね」
 紫原としては面倒極まりないが、ここで折れないと、寝ないだろう。子供の我が儘は思った以上に揺るぎないと分からされている。
「ねるから」
「はやくうたって」
「まさ子ちん起きちゃうから、もう黙って」
「おやすみ」
「おやすみなさーい」
 じとっと父を見てから、ぐっすり寝てしまった母を見て、兄弟共に目を閉じる。
 それを一瞥してから、紫原は子供の頭を一度ずつ撫で、鼻歌のような緩い子守唄を紡ぐ。
 紫原の歌が聴こえると、もはや暗示。雅子と同様、子供たちもあっさり眠りに落ちていった。





Twinkle, twinkle, little star
-それは、きらきら輝く、小さな星のように-




眩くも、尊い。大切なもの。




 3つの寝息を確認すると、紫原は子守唄を止める。
 家族、という形が、紫原には今でも不思議だ。学生の頃、まったく想像していなかったからもある。ただ共にいたい相手との未来を願い、形を選んだだけなのに。
 リビングの端で、片し忘れたバスケットボールが目に入る。あれを手に取って、突き進んで、同じ境遇の友達と出逢って、はぐれて、良い先輩とまた走り出して、雅子に恋をして、地に足をつけて、未来を描いて――今の道がある訳で。
 やはり不思議だ。
 家族の昼寝を見守る、日々の出来事があるなんて。これも星の瞬きのように、ほんの小さな、一瞬。それでも、それすらも、大事に思えるとは。

「世の中、不思議なことばかりだね…まさ子ちん」

 彼女がよくつぶやく、言葉を倣って。父親として歩き出している自身へ、伝えるように。紫原は微かに口元を緩め、目に映る3人の寝顔を、愛おしく思う。
 気が、緩んだのだろう。くう、と微かに腹が空いた。赤司と居た時に、何かしら食べていたが、それから時間が経っている。
 せっかく皆、寝ているのだ。旧知のさつきから貰った駄菓子を隠しているので、それをこっそり食べよう――と紫原は思いつき、腰を上げた。


→03/The end roll




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