試される真実
-La verita in cimento-



※後編です。前編はコチラ





『この歳で挙式とか披露宴とかない』
 紫原が当たり前のように話題提示したら、雅子から断固拒否。
 紫原としても面倒なので、しないならそれで良いと思っている。だが、さつきや姉がよく夢馳せていたので「そういうもの」と認識していた。だからこそ、不思議で再確認してしまう。
『女の子の憧れとか、夢じゃないの?』
『憧れは…なくは、ない。が、三十路すぎて…いや、歳は関係無いし、一般的に失礼な言い方だな。発言を撤回する』
 一般論なんてどうでも良いし、俺以外誰も聞いてないけど。などと紫原は思ったが、雅子のあまりにも潔く格好良い様を瞳に入れて愉しむことだけ選び、次を待つ。
『私に当てはめると、違和感しかないんだ』
『なんで? 俺フツーに見たいし、着せたいんだけど』
『あーそれは…ありがとう?』
『なんで疑問なの』
『そこは置いといてだな。母がうるさいし、お前のご両親のことも考えると、着るくらい譲歩する…が、お前と私の周りを呼んで披露宴とか、想像するだけで羞恥だ。しねる、保たん』
 置いておかれても困るのだが、紫原はこれ以上ダメかと、指摘せず聞いておいた。
 前半は無難な方。譲歩とか普通使わないが。
 後半はそんなことかと思ったが、雅子らしくもあった。
 将来の夢が『お嫁さん』など、結婚願望持ち難い男子の紫原は、どちらでも構わない。ならば、雅子の意見――憧れと譲歩の限界に添うのが無難だろう。
 紫原は家族にその結果報告したが、子供5人目、しかも上が複数結婚しており、嫌に強い期待もなく「楽婚とかスマ婚みたいなもの? よく分からないけど、流行なんでしょ? ご挨拶ちゃんとさせてくれれば何でも良いわよ」と反対一切もなし、あっさり通った。
 ウェディングドレスの存在力にタキシードが勝てると思わないが、この雲泥の差はなんだろう。存外と拗ねるべきか、自由に感謝するべきか。
 紫原は家族の応援もあって、旦那として最上級の楽な物件になりあがっていた。


***


 そんな訳で、雅子の監督業、夏のインターハイを目処に、婚姻届を出す――ふたり共いつでも良かったが、名字変更の手続きが面倒だ、と眉間にシワを寄せて唸った雅子に、紫原から歩み寄った結果だ――ことになっている。
「お前の歳でそれは重荷だぞ」
 未来設計を疎かにしたつもりはない。だが、相手は思った以上に考えていて。自分が情けなくもなる、と雅子は内心反省する。
「なに、俺の心配?」
「お前くらいの歳なら、まだ遊びたいとか思う頃だ。それなのに、私の都合で、急かしただろ? だからこそ、好きなことをする時間は作ってやりたい。私はもう、いつでも良いんだ。色々考えてお前といると決めたからな」
「その揺るぎなさは嬉しいけどさー…まさ子ちん、あのねー? 俺は急かされたなんて思ってないの。あと、今でも十分好きなこと出来てるし、したいことしてるから、変な心配なんていらないの。分かった?」
 キセキの仲間内でも、早急すぎやしないかと問われている。好きなことをする時間がない、のではなく。ずっと傍にいるなら数年先でも良いのでは、という方向で。
 紫原でも、その思いはある。傍にいることが前提だから、婚約とか家族とかいつでも良かった。
 でも、縛りの強い枷がないと、雅子が何処かいなくなりそうだから。揺るぎないと声にするが、忽然と離れかねない、嫌な強さを持っているから。安心の要素を増やしたいだけ。
 どれだけあまやかせば、自分に依存するか。勝手にいなくなるなんて心配がなくなるか。紫原がそんな思いで動いていることを、勿論雅子には伝えていない。
「まさ子ちん、子供嫌い?」
「お前はどうなんだ」
「質問に質問で返さないでよ」
 紫原は雅子の視線が微かに逸れるのを、許さない。頬に手をのせ、顎に指をかけ、向き直させる。
「……嫌いじゃない。嫌いだったら教師なんてするか」
「じゃー良いじゃん。早い方が良いでしょ? まさ子ちん、高齢出産になるし」
「うるさい」
「ただまさ子ちん、監督のことあるし、びみょーだなーとは思ってたんだけど」
 結婚を踏まえると、色々立場を考えなければならないのは雅子の方だ。主に仕事関連で直面する。雅子だけのことではない、働く意志の強い女性なら誰でも悩む分かれ道。
 出産の為に、嫌でも長期休暇が必要になる。確実に休暇が取れる、人気職業に就いているので、それだけならさほど心配ない。雅子の場合、そこに監督業が加わっている。それを踏まえると、長期休みなどありえない。
「それは、……そう、だな…」
 子供が嫌いならば、簡単だった。楽だった。ずっとバスケットボールにしがみつき、監督でいられた。
 でも、年を重ねてしまった。未来を現実的に馳せるように、夢を追うのを止めてしまった。教員に就き、生徒が成長していく姿が美しいと思うようになってしまった。
 雅子は昔から、嫌いではなかったが――今は、多分、好きだ。だから、欲する気持ちがある。思いが、捨てられない。
 子は授かるものだ。自分たちの思いでどうにかなるものでもない。
 子を宿してから判断出来る立場でもなく、これは未来との賭けだ。
 辞めても、宿さないかもしれない。そうなると、辞めなければ良かったと嘆く。
 辞めずにいたら、宿す可能性はゼロになる。もっと年を重ねてから、少し寂しいと零すかもしれない。
 違う。違う、違う。一度は、必ず後悔する。どの決断にしろ、もうひとつの答えが輝かしく見える時が来る。
 うやむやにしたくない話題。でも、上手い表現が見つからない。声にしたくとも喉元にすら上がって来ない。雅子は躊躇い、目を伏せてしまった。
 先程、振り向かせる為、雅子の頬に触れた紫原の手が動かない。今度は優しく撫でて、唇や鼻をいじって遊んでいた。無理矢理ではなく、待つらしい。
 その仕草に、苛立ちもするし、落ち着きもする。早く止めさせる為にも、一度肩の力を下ろす。
 ひとつ。絶対に、今、聞かなければならないことがあった。それを声にする力を、身体の底から強引に上げる。
「お前は、子供を…どう思う?」
「俺? 小さすぎて恐い」
 紫原には甥や姪がいて、そこそこ身近な距離だ。彼の言葉に、嘘は見えない。
「恐いって…まあ、お前でかいしな」
「それ。手とか色々なパーツが小さすぎて、潰しそう」
 雅子と比較してもだいぶ差があるほど、紫原は巨躯だ。子供なんてもっと小さくて、もっと恐い存在なのだろう。
 雅子は容易く想像出来てしまい、おかしさで少し喉を鳴らしてしまった。
「兄ちゃんに、将来設計しろって言われてさー多分、義姉ちゃんに怒られたんだろうけど。で、なんだっけ? あーそうだ、まさ子ちんとの未来考えたら、しっくりきたんだよね。子供嫌いじゃないし、いいかなーて。だから俺はナマで良いよってこと」
「……そうか」
 紫原が嫌いじゃないことに安堵する。ひとつの選択が消えることはなかった。だけれど、とてつもなく身体に重たい感覚が残っている。
「……………急だった?」
 長い沈黙のあと、いつもと変わらない音色。巨躯が首を傾げているだろうと、視界に入れてなくとも分かるくらい――雅子は紫原と一緒にいる。
「お前の言う通り、早い方が良い…いや、むしろ遅かったくらいだ。ありがとう、敦」
 未来設計など、婚姻決める時に話せば良かった。今更など遅すぎるのは、雅子が無意識で避けてきた結果だろう。年上ながら不甲斐ないと感じてしょうがない。
 背を押されたような気分になり、やっと顔が上がる。苦笑混じりに応答すると、紫原が少し逡巡した後、頬から離し、雅子の手を握って歩き始めた。
「帰ろーまさ子ちん」
「あぁ…そうだな」
 路上にて真面目な話もどうかと思うが、話の途中でこの流れもおかしい。でも、紫原なりにあまやかしたが故の言動である。
 雅子にはもう少し、気持ちを整理する時間が必要だ。その時間を与えてくれているのだと、理解し、ただただ引っ張る強さに身を任せた。



 暫くの間、どちらも黙って、静かに歩く。紫原は雅子のことを踏まえ、あえて何も言わなかった。その好意にあまえて、雅子も話題を振らなかった。
 雅子が買った最低限の日用品に、菓子と避妊具が加わった、軽くて量もない買い物袋が、紫原の手で、ふらふら揺れる。静寂な住宅地の道路とあって、物音すらよく聞こえた。
 何処か不釣り合いな空間に、少し冷静さを持ち始める。その間に、何を言うべきか、雅子は言葉を選び抜く。
 帰って、面と向って言えるか、自信がつかない。あそこはあたたかくて、大事で、でも逃げ場がないから。直面して言えない、恐いだけ。だから、場としては今も十分おかしいだろうが、縋り付きたいタイミングを逃す訳にはいかない。
 微かに、深呼吸。
「……あのな。考えては、いたんだ」
 教師を辞めるということは、バスケットボールから離れる意味合いが強い。
 それらを捨て、家庭に入る魅力はあるのか。尊いものを諦めるだけの、尊い未来があるのか。仕事に向く女性なら、何度も考え、悩まされる部分。
「学校の方で、今後の相談をしたことはあって…だな」
「うー…ん? りじちょー?」
「そうだ」
「まさ子ちん、ありえないし」
「なんでだ? 監督に推薦して下さったの、理事長だからなんだが…」
 若い女監督を踏まえた教師として推薦したのが、理事長だ。直接縁があった訳でもない、友人伝で知り合った厚意を考えれば、一番に相談すべきだと思っていた。雅子が理事長に婚姻の報告を兼ねて切り出してみれば「残念ではありますが、子供も見たいですね」と笑顔だった。一緒に飲んだ際、「もっと子供欲しいんですよねえ」とだらしない子煩悩を聞かされたこともあるので、その後押しも納得がいく。素直に受け止められた。
「そうじゃなくて…若いじゃん」
「私より年上だぞ?」
「ふたつ上でしょ? 割り切れたら苦労してないしー」
「割り切……所帯持ちにお前なあ……」
「まさ子ちんだって俺が人妻と逢うなんてヤでしょ?」
「あーうん、分かった」
「分かってないよね、まさ子ちん」
 強く握ってくる手に、雅子は痛いと思う。でも紫原の理不尽な想いすら、おかしいで済んでしまうのだから、本当情けないくらい絆されている。
「あと最初に相談してよね」
「……それは、…わるかった。ちょっと、いや、だいぶ…恐くてな」
 すぐに、どうにかなる話でもない。ある程度選択肢が定まった状態にと考えていたことすら、浅はかだったとは。相談や頼ることが難しいと感じる、雅子ならではの反省だった。
 痛む手を、無理して握り返す。
 恐いなんて表現、吐露すること自体、許せない。でも、唯一それをしても良いかと思える相手が目の前にいる。言葉にしてと願う男がいる。だから、だいぶ無理をして、頑張って、弱音を吐く。
「陽泉に出来る限り、いたいと思っている」
 バスケットボールが何より尊い。そしてコートから離れた雅子にとって、陽泉が二番目に大事なものとなった。揺るぎないものとなった。
「うん、」
「でも、それ以上に…大切なものが出来てしまったからな。二兎追えるものでもない」
「……もっと言って」
 紫原は足を止め、手すら解き、抱き寄せた。
 家まで待てない。家まで待つ気がなかった雅子が先手だ。人気がないとはいえ路上でとか言われても気にしない。何を言われても勝てるし、人が通っても、どうでも良い。
「ちゃんと、言って。まさ子ちん」
 本当は、選ぶ前に相談して欲しかった。当たり前だ、何の為に自分がいるのかとキレそうになる。
 でも、紫原が惚れた女は誰よりも逞しくて、弱さを隠せる強さを持っている人で。頼らず自分で立ち上がって来たから、頼る方法がさっぱり分かっていない。
 今回の件だって、ほとんど自分の判断で決めている。ただ声に出すことが恐かっただけで、結論は出ていて。
 意見が分かれたらどうするつもりだったのか。幾つか答えを想定し、どう返すか考えていたに違いない。そしてどんな行動に移るかも決めていただろう。それを考えると索漠する。
 油断していると、勝手に消えかねない。心配が絶えない。教え込まなきゃいけないことがありすぎる、手に負えない年上。
 紫原は内心、「もっときつい枷増やさないと」と他者からみれば薄ら寒いことを考えていた。
「……お前は、何処にでも連れて行ってくれるんだろ?」
 紫原が一瞬懸念した路上云々の注意事項が、雅子の脳裏にも駆けた。でも、紫原の強さが、匂いが、鼓動が、それを覆い潰し、分からなくさせる。そして、声に出ることはなく。紫原が今、何を思っているかなども気づかぬほど、自身のことで精一杯だった。
「うん、連れて行くよ」
 雅子は自身を「翼がもげて動けなくなった大人」と思っている。彼女には次の道が出来て、突っ走っている時点でそんなことはないのに。現役から離れる、絶望の底に落ちた時、それは刷り込まれて。
 そこに紫原はつけ込んだと表現しても、過言じゃない。自分が翼になって、連れ出そうと言い切っている。
 そして今も強く肯定する。雅子が傍にいるならば、自分は何処にでも連れて行ける自信があるから。
「それなら…お前と、何処にでも行こう」
 バスケ馬鹿で、陽泉にしがみついて、尊いものに触れ続けたいと固執する雅子が発したこの思いに、どれほど価値のあるものか。紫原は分かっている。
 必死に振り向かせようと、努力した結果が――誰も持ちえていない自分だけの特権が、ここにあった。
 全身が滾る。カッと発熱したように、熱い。
 この熱を何処にも放出したくない。内側に留め、身体中満たしたい。
「もう一声」
 それだけでは満足出来ない。
 まだ、まだ。もっと、もっといっぱい。満たされたいと、紫原は願ってしまう。
「子供、出来たら欲しいな」
 お前に残せる想いがあれば良い。そう思うから、家族も良いかと結論づけた。大事な幾つかを大事に仕舞うことを許せた。沢山の感情をくれる男に、どれだけ返せるか、雅子なりの課題がある。
「無理だったらそれはそれで構わない。死ぬまでふたりでいよう。そう思えるくらいには、自分の人生預け、託してみたい」
「あー…うん、うん」
 身長差があるので、抱きしめる体勢はそこそこ辛い。なので、紫原はいつでも少し抱き上げる。今も、手に持つ買い物袋程度なら支障なく、ガサリと袋の音を立てただけ。雅子を容易く、勝手に、抱き上げた。
「俺に、まさ子ちんの全部、ちょうだい」
 紫原の安堵した声色に、緊張を察する。そんな態度、何処にも見えなかったから、本当おかしな男だと、雅子は思う。
 足が宙に浮き、距離がなくなった為、雅子から首に腕を回した。抱き寄って、安心させる。
「お前がちゃんと…考えてくれて、嬉しかった」
「でしょ、俺ちゃんと考えてるよ」
「惚れ直した」
「……………………うん、帰ろう、まさ子ちん」
 長い沈黙のあと、雅子をいきなり下ろし、再度手を繋いで、歩き出した。
「え、あ、は? あぁ」
 大きな背中をじっと見ながら、雅子は引っ張られるように、進まされる。紫原の突然な行動に訳が分からない。戸惑った声が続いた。
「まさ子ちんてたまに、すげーワザ出すよね」
「ワザってなんだ。必殺技みたいな言い方をするな」
「いや、マジで。そういうデレつらい」
「つらい?」
「俺の身が保たない」
「……あー…今日は私がしようか」
 デレの枠組みが未だ理解出来ていないが、方向性は読み取れた。何がどうなって、彼のスイッチが入るのかも不明だけれど。今はそれに乗っても良いと思える。未来を見据えた思考に、嬉しくもあったから。
 雅子が内心の感情をつい声に変換すると、紫原が振り返って、信じられない表情を見せた。感情の起伏が分かり難い男の、物珍しい態度だ。
「あ…!? ありえないし! この流れで言う?!」
「あぁ、声にするものでもないな」
 はしたない、というより黙ってしてやる方が年上らしいか。なんて微妙な解釈をしている辺り、雅子の機嫌は相当良い。
「俺はまさ子ちんから聞けるの嫌いじゃないけどね!」
「なら、なんだ? 嫌ならしないが」
「そんなことも言ってないし、違うし。何これ、デレ椀飯振る舞いしすぎだよね、うん。よろしく、なんでも良いよ、すげー楽しみにしとく」
 必死に訂正されても困る。想定範囲内も広く、動揺があまりないのに。そういう性格じゃないだろ、と雅子の口元が笑った。
 すると紫原がおもむろに視線が外す。前に向き直り、「デレがこわい」と唸りながら、歩幅を早めた。雅子は「早い…」と思いながらも、文句言わず付き合う。
 もっと話さなければならない未来のことが、沢山ある。でも今日は全て投げ出し、肌に触れたいと、熱さが欲しいと強請ってしまう。紫原が引っ張る、手を掴む、離れない強さ、揺るぎなさに、安堵を覚え。傍にずっといようと、雅子は改めて願った。


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