ヘラクレスの選択
-The Choice of Hercules-



※後編です。前編はコチラ





『さっき駅で別れた。寄り道しねーなら、1時間以内に帰るだろ』
 言葉どおり、見送ってすぐ連絡しているのだろう。携帯電話越しに聞こえる、騒がしい人混みの雑音と共に届く冷静な声色に、リコは目を細める。それは安堵というより、可笑しさからの緩み。
「分かったわ。子供たちが我が儘言ったみたいで、ごめんなさい。それと、いつも有難う――灰崎君」
『メシ作っただけだ』
 存外な態度だが、灰崎は事前に一度、連絡を寄越している。そして見送った後、今を合わせると、計二度も。リコが彼ら――子供たちの母親だと認識しての、大人の行動だ。
 保護者とその代わりとして当たり前のことだが、未熟だった学生時代を知っているからか。長い年月が経った今でも、大人らしい行動が、仲間内だと気恥ずかしい。それ故の適当な反応だと、リコも分かっている。
『なあ。姉の悩み、聞いてんのか』
「勿論、聞いてますけど。なに、母親してないっていうの」
『ちげーよ。弟が気ー遣ってやがる。今回のは重症だろ』
「灰崎君が知ってるなら、相談のってあげてよ」
『オレは聞いてねーし、知らねーよ』
 素行が悪い。他者に興味を示さない。一般論が通用しない。それなのに、身内と思った相手には、とことんあまい。
 これらは灰崎だけでなく、全キセキの世代に該当する感覚だ。極論のところが本当に似ている。類は友を呼ぶもの、とリコが思わされた程。
 リコは一番身近な赤司を思い出し、彼の苦労のことで、つい溜め息。
「……知らずとも、聞かずとも、分かってるくせに」
 言わなくて良いことだった。でも、何処かキセキの世代は皆臆病で、おかしな所が弱くて、つい背中を叩きたくなる。今だってそう。リコは問題の導線を着火させる。
『あ?』
「灰崎君は分かってないとか、思わせないでくれる?」
 灰崎は鈍くない。精神面で客観的な距離を必ず設け、核心を見つける。それを、相手を抉るために使用することも、面倒くさがって黙ることもあって。
 そしてある一部は、同じく感情に敏感かつ鋭い黄瀬より得意なところがある。それが今回のことに該当していた。
『…………テメエこそ、何処まで聞いた』
 灰崎にしては、慎重な一声。どう取るのが最善か、短い時間ながら選び抜いたのだろう。リコからすればこれが最善だったと褒めてやりたかった。
 自ら話題を振って、濁されるのは嫌いだ。素直で愚直に生きられた、育ててもらえた、幸せな子だと、今では分かっている。そして開き直り、恥じずに貫いている。
「いーえ。何処も聞いてないわ。あの子が今回のこと、言う訳ないでしょ。母親の勘」
『なら尚更、こっちに寄越すな』
「なんで? 邪な気持ちあったわけ」
『ねーよ』
 灰崎の即答に、リコは母親ではなく女として苦笑。まったく脈がない。
 否、リコは分かっていた。
 キセキの世代は本当に誰もが個性的だけれど、異端な部分での共通点も多い。先程も上げた身内のあまさもそのひとつだが、他にも幾つか。
「それにね。灰崎君は、もう…無責任じゃないでしょ」
 ひとつに、高校生の頃の彼らは、他者などどうでも良い、唯我独尊だった。
『……あの人が、困ることはしねーよ』
 だけれど、大切な人と出逢い、教わり、他者を愛し、変わった。そして、やっと、やっと見つけた大切な人を、大事にする。他に目もくれなくなる。故に、身内にあまい。
 ひとりを愛するのは、この国の価値観でなら良いことだろう。でも、愛に密度があるならば、彼らのは本気で重い。
 あと、その為に倫理観すら捨てるので、愛する過程で障害になりやすい年齢の差、性別すら気にしていない。
 だから総合的に、娘に可能性はあると、灰崎が大事にする『あの人』以外見ないから無理だとも、思っていた。
 リコの推論が曖昧なのではない。もうどちらか、極論の推測だった。答えは、今、出てしまったが。
「そう思うなら、今はそっとしておいて」
『そっと、ねえ…』
 向けられている気持ちに気づいていない、愚かな大人を演じているのだろう。リコはそれを察し、本当に女の扱いが上手いと呆れる。
 子供相手に振り回される大人もどうかと思うが。女の扱いに慣れすぎた男もどうかと思う。狙った相手に灰崎を選んだことが、娘の最大の難点だろう。
「そっちに任せるわ。拒絶しても良い。大丈夫よ、あの子はひとりじゃないもの」
 上手くいってほしいと思う。でも、それでも上手くいかないことだってある。むしろ、自分の思い通りにいかないことの方が多い。
 赤司ならば、リコと同意見、方針にならないだろう。灰崎と話す前に、灰崎の周囲を崩していく。思い通りにいかないこと点を、壊す。
 その行動は赤司の奥底に沈めた思いが強く影響している。
 とある技量の頂点にいるあまり、大切にして来た友人たちと拗れた縁が、どれほど辛かったか。誰もが称讃する頭脳でも、手に負えず、仲違いまで落ち、己の采配を失望し、涙を忘れたか。故に、自身の敗北を許せない。
 リコは赤司の心を、憶測ながら分かっていても。赤司の方針に添わないと決めている。
『容赦ねーな』
「弱く育てたつもり、ないもの」
 リコは赤司だけを想えない。
 天才にしかない悩みや葛藤があるように、頂点の高さに心折れそうになっても、もがき、諦めず、抗った奇才や秀才、凡人の傍にいたから。挫折も努力も、苦痛も歓喜も。出来る限り、子供たちに教えたいと思っている。
 なにより、一緒に歩んで、教え教わって、赤司の肩の力が抜けた瞬間、安堵を覚えたから。彼と同じ血が流れている。似たような言動に、この方針は揺るぎないものとなった。
『そーかよ』
「ええ。だからこの件は――ひゃっ!?」
 自宅にいたこと、外からの電話で雑音が多く、相手の声に集中していたことが原因だろう。背後から抱きつく力と、首や耳を掠める髪のくすぐったさに驚きを隠せない。とっさに逃げなかったのは、慣れた感覚、匂いがあったから。
「ただいま帰った、リコ」
 携帯電話のない方の耳に、溶け込ますように。片耳にしか聞こえないくらい、小さな小さな音量で。
 あまく囁く声に、少し苛立ちが含まれている理由を、リコは分かっている。腹部にまで回った腕に、空いている手を添えた。
『オイ、生娘みてーな声だすんじゃねーよ』
「ううう、うるさい!」
 実際、初々しい奇声だった。聞かれたこともだが、発した自分にもありえなくて、怒鳴ってしまう。
『いきなり聞かされたオレの身になれ』
「はいはいごめんなさいね!またよろしく、じゃあね!おやすみ!」
『宜しくなのかよ…赤司宥めとけ。じゃーな』
 灰崎の推論は適格で、宥めろまで付けて、通話が切れた。互いに礼儀がなっていないが、互いに礼儀を求めていないので、咎める気もない。
 リコは携帯電話を上着のポケットに仕舞おうとするも、その前に背後から奪われた。今まで黙っていたことは褒めてやりたいが、声をかけず抱き寄せられたので、プラマイゼロ、声にしない。
「おかえり、征十郎君」
 その一声に、抱き寄せる力が強まる。
 帰って早々、自身に気づかないリコに拗ねて、苛立っているのだろう。大人になってだいぶ男らしくなったと思ったが、未だ何処かなにかを拗らせていて、上手く躾けられなかったと思う部分でもある。
 赤司の矜持が『素直に肯定』を拒むから、正直痛い気持ちを飲み込む。
「リコは……娘の悩みを、何処まで分かっている」
 赤司自身のことでも、リコのことでもない話題が出て、リコは内心驚いた。電話の内容からして突発性はないが、これから触れてくるとは。
 何時から聞いていたのか。リコは瞬時に、灰崎との会話を回想しながら、予測を立てる。だが、その時間すら与えないのが赤司だ。確信出来るだけの年月、傍にいた。互いに、相手のことを読み取れている。
「しかもリコと祥吾のが一致している」
 灰崎の声は、聞こえなかった筈だ。大声で話さない男だし、雑音も多く、リコですら聞き取りずらかったから。電話の相手が分かったのは――名前を呼んでいたからだ。ひとつ確定、次に移る。
 悩みの内容は話していない。互いに核心部分を避けたし、疑問少なくとんとんと進んだ。それでこれか。
 本当は何も、分かっていないのかもしれない。赤司は予測で投げかけ、リコを引っかけ、核心を取る時もあるから。
 ただひとつ、絶対に当たっていることがあった。赤司は、灰崎の方が近い距離と、子供のことを分かっていることに、妬いている。
「あの子本人からは聞いてないわよ? 私も灰崎君も、勘でしかないわ」
 会話を聞いていたのならば、分かっているであろう項目を、あえて声にする。
 リコは用心深く、言葉を選んだ。自分のためではない。娘のためだ。
「リコさん」
 矜持の強い男だから、無意識だろう。昔の呼び方に、リコが戸惑う。
 リコは赤司を今でも君付けで呼んでいる。長い名前で呼びづらいし、自分らしくないけれど、驕るだけの知識を持つ赤司には、呼び捨てより君付けの方がしっくり来たからだ。子供っぽいわね、そう年上らしく笑ってみせるような。絶対上に立たせない意志でもある。
 赤司は逆に年齢差は覆せないと諦めた代わりに、呼び捨てを選び、丁寧さを捨てた。そして、それを忘れ、さん付けになる時、リコはついあまやかしてしまう。
「娘は特に…僕に似てきた」
 こうなると、赤司は一人称ですら昔のに戻る。リコは懐かしさすら感じ、絆されていると思ってしまう。
「それキセキによく言われるんだけど…そんなになの?」
 話が逸れた。赤司の意図的だろう。
 リズムが崩される。リコは呑まれないよう、自我を意識する。
「ああ。僕ですら、昔の僕を思い出し、重ねてしまう程だ」
 自身の子供でなければ、可愛くない性格や態度だわ――と、リコはそんな感想が脳裏を掠めたが、流石に喉元で止まった。
「だから、分かるんだ」
 首元に、頭部を擦り寄せられ、リコはつい身じろぎする。そこそこ短めに切りそろえられた髪の毛とはいえ、くすぐったい。
 離す気のなさが、自身の表情を見せたがらない、に繋がる。
 赤司は自身の欠点を自覚していた。自覚させたのはリコであり、そうなったからこそ、リコは赤司を好きになった。それでも、欠点で悔しがるところを、リコにすら見せたがらない。
 十分格好悪いところを知っているのだから、隠す必要などないのに。仕方ないと、リコも無理に追求しないが。

「娘は何に、あそこまで苦しんでいる」

 やはり、悩みの内容までは分かっていなかった。でも、出張が多く、長期家を空ける赤司が、少ない交流でよく気づけたもの。
 否、昔の自分と被るからこそ、すぐ気づいた。
 その意味を含ませる為に、話が一時逸れたのか。リコは納得、呑まれかけた感情を抑え込んだ。
「もう…本当に征十郎君も灰崎君も、あまやかしすぎだわ」
 答えを、教えなかった。
 娘の父親であろうと。リコの夫であろうと。リコは娘に直接聞いていないし、相談も受けていない。しかも、灰崎にあそこまで否定されたら、懸念しようもないので、告げ口しない。
 頑さに、赤司の吐息がリコの肩にかかった。ここからは聞けない、自身でどうにかしなければならないと思ったのだろう。
「子をあまやかして何がいけない」
「征十郎君は厳しく育てられたんでしょ?」
「父は父で、僕は僕だ」
 溝が深い。リコは父の景虎と仲が良いので、この拗れ具合を理解出来ない。でも、赤司を構築するひとつだ。そこそこ愛おしく、面白くも思っている。
「リコさんに似て欲しかった…」
「『お父さん』を尊敬しているんだから、私には似ないでしょ」
 リコは大きな子供を宥めるように、自ら頭を傾け、赤司に擦り寄せた。
「尊敬、か……」
「あの子を弱く育てたつもりはないの。あの子は征十郎君じゃないわ」
 征十郎君じゃないから、くじけても、己の采配を失望しても、涙は忘れないわ。恐れることはない。同じ道は辿らない。
 リコはそう思う。そう思い願うからこそ、強く言い放つ。
「僕が弱いみたいな言い方はよしてくれ」
「それなら離して」
「それとこれは違う」
「違うなら、正面からが良いんだけど」
 少し声を弾ませてお願いすると、拘束が解かれる。赤司がリコの腕を軽く引いて反転させ、今度は正面から抱きしめた。リコのお願い通りになる。
「苦しみも、あの子には必要よ。でもあの子はまだ子供だから…本当に辛かったら、私たちを頼ってくるわ」
「どうして言い切れる」
「そう育てたから」
「母親は……逞しいな」
「征十郎君はちゃんと、父親らしい威厳があるわよ?」
 おかしな心配はいらないの。
 リコが赤司の背中に腕を回し、軽く撫で、叩いた。落ち着かせるように。

「大丈夫よ、大丈夫だから」
 あの子も、征十郎君も。

 リコは赤司だけではなく、帰路に向う子供たちや灰崎にも向けて、静かに、願い、声にする。何度でも、伝わるように。確証がなくとも自信に満ちた揺るぎなさで、紡いだ。




※対で1年後『感傷的なワルツ



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