In my spare time



※孟花設定の魏・会社な現パロです



 梅雨入りした。
 高層ビルの開かないガラス窓を打つ雨を見ながら、無意味な溜め息が漏れる。
 文若が天気に対し、思うことは少ない。通勤は自動車の為、傘などの億劫さもさほどなければ、外に出る営業職でもないからだ。しいて上げるならば、自動車を利用する人が増えるので、道が混むこと。休日を加われば、洗濯が干せない、程度増えるくらいだ。
 だがこれは自身だけの感想である。上司の問題を上乗せすると、年々、雨が嫌いになっていた。
 上司にとって、雨は――否、雨も、苦痛らしい。運転もせず迎えを来させるのに、雨を言い訳材料に使う。女性のように髪が跳ねるだの、頭痛がするだの、とにかく面倒くさい。大の大人が何を言うかと思うが、その苛立ち思想を事業で上手く利用、案にし、成功させている。信仰は浅い方だが、この時ばかりは神の采配に思う所があった。
 今も雨がどうこう文句を零し、作業が遅れ――は、よくあることだが、今日はやけに不貞腐れ、拗ねていた。愚痴に付き合わされ、別の意味で面倒臭い――上司待ちである。しかも、待っている案件を持って返らなければすることもない程、手元のを片してしまった。
 時間を無駄に消費していること。その無意味さが一番苛立ちを覚える。理不尽より不快極まりない。
 だが、何よりそれを仕事中に露見することが許せなかった。例え、高層ビルの最上階から少し下の階数にある休憩室に、自分以外居なくとも。時間帯は夕方、皆出払っているのではなく、このフロアに入れる人物が少ない。他のフロアに休憩所と食堂があり、大半がそこを使用するからだ。
 この使用頻度の少ない飾りの休憩室には、飲料の自動販売機、軽く話し合いが出来るテーブルと椅子、そのふたつだけ設けてある。通称、取締役を待つ拷問空間。今まさにそれであり、否定しようがなかった。
 転職を考えたことは勿論ある。才はあると自他認められているので、今なら次も見込めるだろう。それでも、この場を去らないのは。
 分かっている。分かっていても、認めたくない気持ちがあるわけで。現実はなんと厳しいのだろう。あの取締役についていこうと考えてしまった瞬間から、もう終わっていた。
 文若は苛立ちをなんとか重たい溜め息にし、吐き出す。飲み切った紙コップをぐしゃりと潰し、ゴミ箱に捨てようと腰をあげたところで――話し声が耳に届く。しかもこちらに近づいているのか、音量が少しずつ大きくなっていた。
 ひとりは、取締役の窓口と化している、職場の先輩である元譲。彼にしては心持ち丁寧に話している雰囲気からして、部下でもなさそうだ。そして、礼儀が不足しているので、目上でもない。このフロアに入れるのは、身分ではなく取締役が許した人物のみ。顔が広くない文若には、特定し難い。
 秘書辺りだろうか。そんな想定をしていると、視界に元譲が入り、目も合った。
「おお、文若。良いところにいた」
 生け贄以外なんなのだろう。そう思わせる相手が、元譲の横におり、文若を見て困惑している。
 知らない相手だからではない。すみませんと謝るべきなのか、でも間違いだろうと分かっていて、対処に困っているような。

「花か。久方ぶりだな」

 上司がめっきり熱をあげている女子高校生――年齢を踏まえると、どう考えても手を出すのはアウトだ――の花を口説きに口説き、恋人の座まで得たのが数ヶ月前のこと。
 それに至るまで、文若は何度も顔を合わせた。花の初見は、飽きられれば捨て去られる惨めな女性のひとり。そんな軽いものと捉えていた。失礼極まりないが、上司の女性癖はとてつもなく酷く、それを知っていると覆し難い。
 だけれど、二十歳にも満たない子と接し、少しずつ会話をして、今では「上司が熱をあげるのも自然か」という評価までついている。実際、飽きっぽい、来るものさほど拒まず、全く追いかけない上司が、一方的な程愛してやまない相手。それが目の前にいる花だ。
「こんにちは。お久しぶりです、文若さん」
 花は制服姿で、鞄も下げているが、雨に濡れた様子がない。
 彼女が職場に来たいなどの我が儘を強請る性格ではないと、文若は知っている。判断出来るくらいの縁も持っていた。だから、お願いを受け、元譲が迎えに行き、連れて来られたのだろう。
 会社そのものが彼女に取って異空間であり、戸惑いの対象。落ち着かなそうにしている姿にも納得いく。
「それで。良いところとは」
「お前、孟徳待ちだろ?」
「丞相待ちです」
 孟徳、丞相、とは。文若の上司で、会社の取締役、元譲を窓口担当にさせ、女性癖が屑で、女子高生に熱をあげている。実績と外見の良さ抜きで項目を上げれば上げる程、反吐が出そうになる、そんな人だ。
 先は読めていたし、相槌も無駄だと分かっていても、声にしてしまうのは、抗いたいから。本当に無駄ばかりだが、全て上司絡みだからこそ、折れたくない。余談だが、上司の孟徳や先輩の元譲は、この文若の矜持を「無駄な抵抗」と呆れていた。
「悪いが花と待っていてくれないか」
「貴方は?」
 暇しているので、頷くことが出来る。都合の良いと思われる二つ返事だけは避けたい。例え、信頼している先輩、元譲であっても。
「部下に呼ばれて、行かなくてはならない。終わり次第こちらに来よう」
「引き受けました」
「悪いな。花、ここで待っていてくれるか」
「はい、分かりました」
 一番不運なのは、花だろう。
 勝手に呼ばれて、勝手に見知らぬ場所で待たされて。申し訳なさそうにする花に、何故だか文若は八つ当たりどころか、同情すら沸く。彼にしては珍しい発想だと、本人は気づかずに終わったが。

 沈黙すら花に気を遣わすと思った文若は、まず席に座らせる。
「どうして来たのか、聞いても良いか」
 だいたい予測は出来ていたが、言い分をさせた方が良い。そうすることにより、花がすっきりするように思えたからだ。
「今日、孟徳さんに逢わないかって連絡があったんですけど、友達との先約があって断っていたんです」
 男を優先しない、という価値観。友達を大事にする、先約優先、と表現するべきだろうか。そういう傾向すら孟徳には斬新だろう。へこみもするし、「花ちゃんは優しいよね」とかほざいていそうだ。などと、文若は出端から上司の女性癖を屑扱いする。
「けど今日、雨で中止になって。そしたら、元譲さんから、来てくれないか、と連絡を受けて…」
 女に振られ、拗ね、しかも苦痛な雨の日。仕事をしない孟徳に更なる追い打ちである。今日の面倒くさかったの原因が分かるも、残念極まりない。
 花は孟徳の発火剤、否、ご褒美として呼ばれた。まさに生け贄。文若の感想は間違えていない。
 元譲が花を何と思っているのか、文若には聞かずとも読み取れる。花も分かっているだろう。それでも、互いに何も言わない。元譲と文若は後ろめたいから。花は孟徳の傍にいられるから。利害一致でしかない。
 大人の都合で振り回すべきではないのに。誰もかしこも、大人として終わっているとしか、文若は行き着かなかった。
「そうか。お前にとっても、私にとっても、丞相が早く来るのを待つしかないな」
「そうですね」
 文若の表現が面白かったのか。花が困惑から少し可笑しそうな表情を含ませ、口元を緩めた。
 さて。文若はだいたいの経緯を理解した。だが、世間話が出来る相手とはいえ、所詮女子高生の思考など分からない成人男性である。花にとって、得と気が緩む方向で時間を有意義に使うべきだ。
「花。勉強で何か分からないことはないか?」
 テーブルがあり、学校鞄を持っているので、丁度良い時間凌ぎになる。現役ではないから、数学や物理、古文漢文などが来ると少々辛いが。文若はそう懸念しながらも、提案する。
「え、あ…でも、……はい」
 花が戸惑いを見せるのは、想定範囲内。話を飛ばした、いつも勉学を教えている訳でもないから。
 でも、花はしばし逡巡したのち、意図を見出し、鞄を漁り始めた。
「……じゃあ、お言葉にあまえて。政経、教えてもらっても良いですか?」
 懸念すらも読んだようで、一番なんとかなる分野を選んできた。文系だと踏んではいたが、文若は内心ほっとしてしまう。
「悪いな」
「いえ、私も友達も詳しくないから、説明受けてもいまいちなところが多くて」
「そうか。そろそろテストもあるだろ、その範囲内を重点的にしよう」
「はい、よろしくお願いします」
 律儀に頭を下げて来たが、お互い迷惑を受けている側であり、ある意味対等である。文若もここまできたらと開き直った結果であり、感謝されるほどでもない。
 だが、教わる側がこの態度を取るのは無難だ。あえて何も指摘せず、文若は差し出された教科書を開いた。

 傍の自動販売機で飲み物をふたつ買い、ひとつは自身に、もうひとつは花に渡してから、しばし講座が開かれる。大半が文若の声であり、花は相槌を打つ程度。まさに教師と生徒のように、無駄な会話ひとつなく、明るくも暗くもない雰囲気だった。
 一区切りのところで、文若が飲み物を口に含む。しばしの小休憩。その間、花が窓越しに外を見ていた。
「どうした」
「え?雨、止まないなって」
「あぁ、そういえば今日は雨で中止と言っていたな」
 文若からの世間話、しかも花が話した内容を追求している。それ自体珍しいことだが、文若は無意識で、花は他を知らない為、互いに気づかず。花は文若を見て、軽く頷き、少し寂しそうな表情を浮かべた。
「友達と、駅前に新しく出来たクレープ屋に行く予定だったんです。ただベンチがあるくらいの小さなお店だから…雨の中食べるのはやめて、後日にしようってことに」
「あぁ、雨天延期か」
 学校行事の箇条書きのような、無機質な単語で解釈するのは微妙だ。文若も言っておきながら内心「どうなんだ」と思ったが、花は笑うだけ。文若の上司みたいに揚げ足をとったり冷やかさない、まともな子だとしみじみ思う。基準が悪いだけだと、文若は分かっていたが、払拭出来なかった。
「雨は…雨は、約束が叶わなくなるから、嫌だと思ってたんですけど…今みたいなこともあるから、やっぱり、嫌いと思うのやめました」
「今、みたい…丞相を待つ、ここに来たことがか」
 恋人に逢えるなら嬉しいことだろうが、生け贄みたいな大人の都合を許すこともない。そう怪訝そうに返すと、花が首を横に振る。
「文若さんに勉強教わっている、『今』です」
 雨音が微かに聞こえる会社の休憩室で、文若に高校の経済を教わっていることが。
 状況が可笑しいから、と解釈するべきだ。なのにこの改まったことに、文若は嫌な気がしない。大人になり、些細だと思うようになった事項を、改めて尊い表現で受けるのも悪くないと、思えてしまう。
 これが、妹を持った兄の心境なのだろうか。保護を意識してしまう心境なのだろうか。ふと、答えを見出せない疑問を抱いていると、
「文若さんは、雨、好きですか?」
世間話の延長を尋ねられた。
「雨、か…」
 止む気配のない、強い音を鳴らす雨。ガラスを伝う大粒に、先程何を思っていただろう。もう、思い出す気にもならない。
「そうだな…嫌いではないな」
 じっと外を見ていたので、花の表情は分からない。でも安堵した気配を感じ、文若は瞼を閉じる。
 しばし雨音だけの休憩室。上司を待つ時間だけの講義も、あとどれくらいだろう。否、どれだけ待っていただろう。時間感覚が抜け落ちていることに内心驚き、文若は腕時計を見た。





 部下の用事を終え、あえて先程とは別経路で孟徳のところに来てみれば。いつもこの調子で仕事捌いてくれないか、と思う勢いで案件を終わらせる孟徳がいた。
 元譲は溜め息がつい出てしまったが、孟徳も気にしていない、分かっているようで、指摘して来ない。
「あと一時間で終わるか」
 扉から少し歩いた程度、孟徳から遠い距離を維持する。変に近づくと八つ当たりされかねないと学んでいるからだ。
「一時間もかからん」
「……あのな、孟徳」
 予想を大幅に越える仕上げだ。やれば出来るのに、散々ぐだぐだしていた今日の大半を返して欲しい。
 生け贄の花は効果絶大ということか。否、それだけではない。元譲は他も分かっている。
「元譲。花ちゃんを何処に置いてきた」
「休憩室しかないだろ」
「ここで良いだろ」
「そうしたら褒美の意味がなくなる。お前、彼女が目の前にいて、仕事終わらせる気あるか?」
「ないな」
 終わった、この取締役。
 青筋すらたてたくなる発言だが、元譲も達観している。諦めている。だからこそ、飢えた屑の前で待たせることを良しとしなかった。判断は的確である。
「文若がいると分かっていて、花ちゃんをそこで待たせたお前に何をなすり付けようか考えていた」
 珍しく悪巧みを声にしている時点で、もうどうでも良いのだろう。それより、目の前の仕事を終わらせ、花を独り占めしたいに違いない。
 よく知っているな、と元譲は思うも、文若が先に休憩室で待っていたことを思い出し、修正する。どうせ、孟徳が待っているよう指示したのだろう。そこに花を連れた元譲が通る確率も高い。容易な検討、妥当な発想、聞かずとも分かること。
「花をひとりにする訳にもいかん。ここまで不安そうにしていたし、知る相手が居た方が良いだろう」
「不安そうな花ちゃんも良い。元譲、見たのか」
「見ないで迎えに行けないだろ」
 お前のために行ったのに、妬かれても困る。というか原因はお前だ。元譲はそう含ませた呆れ面を返すと、いつのまに顔を上げていたのか、孟徳と視線が合う。機嫌の良さと苛立ちを交えた、何処か歪で、何処か不安そうな瞳と。
「危険か、文若は」
「無自覚なところがな。あいつ良い歳してガキくさい感情持っていたことが問題だ」
 それ、孟徳にも言えることだろう。そう返さなかったことを褒めて欲しい。元譲はそう自分を上げながら、別の意見を声にする。
「花には、自覚させない雰囲気があるのだろ。錯覚させる雰囲気というべきか」
「……だから牽制も出来ん」
 文若に自覚がない中、牽制などしたら、気づかれかねない。加えて、花も分かっていないからこそ、無防備に接している。茶化すことなどすらしない。
「……牽制、な」
 そんな可愛いものだろうか。口説きに口説き、周りを精神的に潰して来た男が、牽制なんて言葉を使うなど。申し訳ないと思うくらいが丁度良いだろうに。
「お前に逢えることを楽しみにしていたぞ」
 言わなくても良いことを声にしてしまったのは、珍しくいつもと異なる『面倒ごと』を考えている孟徳がいたから――世話なんてやいてしまう。
「当たり前だ」
 すると、それすらも読めていたのだろう。変な気を回すなと言わぬばかりに、孟徳が言い切った。

 しとしとと、雨は降り止まず。彼らの内心、関係に、先も見えず。晴れ間を望まずにはいられなかったのは、誰だろうか。



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