リコは感情に対し、とてつもなく素直だ。
 例えば、髪のはねひとつでも。四季の暑さや寒さでも。ひとつひとつ喜んだり拗ねたり、怒ったりする。現状――大学から駅までの道筋でも、寒さに喧嘩を売るかの如く、目が据わっていた。
 首に巻いたマフラーに顔を埋めた姿勢は、自然と肩が上がる。それにより血の巡りが悪くなり、気温も低下するのだが、気持ちの問題なのだろう。言っても効果はなさそうだと思い、それを伝えず見守るだけにする。
「リコさん、」
「ん?なに、赤司君」
 声をかければ、不機嫌な表情は残っているものの、いつも、と思える表情を向けた。
 隠しているのではなく、変化している。偽るのではなく、素直にころころと移っていく。それ自体、自身が信頼されている証拠だと分かっていた。
 この移り変わりの早さ。幼いのではない。大人にまじって監督の立ち位置に就き、沢山の暴言を受け、世の中の評価に負けず、誠凛を守り続けた彼女の勇ましさを踏まえれば、否定出来る。
 単に、リコは頑なに守ろうとしていた誠凛男子バスケットボール部に近ければ近い程大人びる。逞しい壁を作り上げる。そこに周りの部員が崩させないよう、守りぬく。だから、ただの女子高生が感情を保たせ、揺るぎなく、強い表情を壊さずに逞しくあり、虚栄の歪を揺るぎなくさせた。そして、逆に遠くなれば遠くなる程、その歪は消え、年相応になるだけのこと。
 まず、不釣り合いな構成に、歪なギャップに、興味を抱いた。赤司はリコを見誤っていたことに驚き――そんな感情を抱く自分にも驚いた。
 誠凛を覚えたのは、大切な友人がいたから。そこに有能な指揮官がいることを知り、倒し、踏み台にすべき学校と捉えた。こんな表現だが、腕は十分買っていた方だ。
 この学校単位意識から、ひとりの女の子だけ着眼するようになった時点で惹かれていたのだろう。後々、そう結論づけたが、当時は分からず視線を追っていた。
 恋を、恋愛を、知らなかった。否、知識として得ていた。だけれど何処か遠く、無縁にすら思えていた為、恋と分かるのに時間がかかった。
 恋を、恋愛を、教えてくれた人が隣にいる。高揚する感情を抑えながら、問いを待つリコをじっと見つめ、言葉を紡ぐ。
「何か良いことでも?」
 寒い寒いと言うのはいつものこと。茜色の空が暗闇に染まってから時間が経っており、気温も日中からすれば、だいぶ下がっている。実際、息を吐けば、視覚で白と認識出来る程、空気は冷えていた。
 その割に、リコの機嫌が頗る良い。赤司はそう気づいていた。彼の頭脳が導き出したリコの行動、仕草、心理は的を得ている為、間違いなかろう。
「ふふ、分かる?」
 そして満遍の笑み。嬉しい時は、はっきりと浮かべてくる。感情の起伏、変化が表に出にくい赤司からすれば、明解すぎる、と心配になる程。
「昨日、パパの今年用が完成したの。しかも!上手く編めたから嬉しくてね」
 パパ、今年用、編めた。
 幾つかのキーワードで、リコが毎年、父親に手編みの何かを上げている所まで結びつける。リコの趣味が手芸と知っているのでそこに驚きはないが――
「失態だ」
呆然とした気持ちは、意識を無視し、勝手に吐露していく。
「……え?」
 赤司らしからぬ単語と反応に、リコが聴き間違いか、という態度を見せた。
 互いに、歩が止まり、驚き合う。とてつもなく珍妙な対面。捉え方が異なる、食い違ったまま。
「こんな初歩的なこと…何故忘れていた」
「えーと……赤司君?」
 赤司が少し悩む仕草まで見せ、唸っている。しかも自身を批判し始めた。青峰や黄瀬辺りにはちょくちょく声にする暴言を、自身に投げかけるなんて。色々な意味で終わった気がするのは、赤司の日頃の行いが原因だろう。
「ねえ、赤司君。私、変なこと言ったかしら」
 一度目は様子を窺うように。続けての二度目は、気を向かせるように。リコが名を呼んだ。
「いえ、まったく」
 驚きから心配の表情に変わっているリコを見て、赤司は「また変わった。素直な人だ」と思う。そしてそれはいつも思うことであり、平常心に戻すきっかけにもなった。
「じゃあどうしたの?」
「なら今すぐ言います」
 どうして、こんな当たり前のことに気づかなかったのか。違う、リコの趣味を知った時から望んでいた。強い願望が、記憶に残っている。
 気づき、上手く誘導しようとしていた筈だ。言い出すタイミングを見計らっている内に、抜けていたらしい。全く持って失態、不覚すぎる。
「うん、どうぞ」
 赤司の反応に面白みの余裕すら出て来たらしい。リコが促すように、両手を軽く前に出した。
 負けている気がして、少々癪に障るが、そこに引っかかっている場合でもない。赤司は今、言いたいことを、紡ぐ。

「僕にも、編んで下さい」

 その間は、自分のことを考えてくれる。
 酷く必死な、愚かしい感情だが、リコは使命感で惚れた男をも蚊帳の外に追い出す。しかも主要以外引っこ抜き続けるので、外堀というか、自ら沢山植え込まないと、忘れられかねない。
「……編む?」
 今度はリコの頭が真っ白になった。先程の赤司同様、どうして気づかなかったのか、と動揺している。
 手編みを、誰にでも贈ることが出来る。ほぼ父親行きだった為、それ以外を考えていなかった。当たり前のことに気づかず、自ら作ってあげるわ、みたいなネタを振っていたことに、羞恥する。
「その、あの…」
 いつもならば、多分、素直に頷けなかった。ひねくれて、言葉遊びすら始めてしまう。
 でも、今回の赤司に、戦略がなかった。彼らしからぬ、単刀直入なお願いに、参ってしまう。
 そもそもリコは裏表のない願望に弱い。大事にしてきた誠凛の皆がリコの思いを読み取り、そう態度に示して来たので、拍車をかけている。
 動転し、反応が遅れてしまった。何をすれば、自然なのか分からない。
 リコは視線が合わせられず、俯きながらも、隣の赤司の腕を掴む。少し待って、と伝えるように。
「リコさん?」
 今度は耳まで赤い、と感情の変化に楽しんでいる赤司が、察しているのにも関わらず、様子を窺うように名を呼んだ。裾を掴むリコの手に、己の手を重ねて。待っている間すら、愛おしそうに、愉しんで。
「……うん。編むから、使って?」
 恋愛に関して初心なリコはこういう時、『いつも』の概念を崩してくる。勇ましさも強さも、頑固も、意地っ張りも、さもないように、無自覚で振り回す。
「よかった。大切に使います」
 恥ずかしがるリコに、どう抗えと言うのだ。いつもなら、するりと紡げる言葉ですら、意識して声にしてしまう。内心、赤司は降参状態だった。
「それなら、早速だけど…赤司君が好きな色の、毛糸…買いに行きましょ?」
「えぇ。それが良い」
 赤司は平常を崩さぬよう努力し、相槌を打つ。そうでもしなければ、感情に抗うことなく、強く掻き抱いていた。
 家でふたりきりながら、制御する必要がない。だが、今は帰り道であり、外であり、そこそこ人もいる。こんなところで抱きしめでもしたら、リコは別の意味で頬を赤に染め、怒鳴るだろう。
 そんな展開、興ざめだ。この躊躇いと、気恥ずかしそうなリコを見ていたい。
 だから抵抗し、気づかぬ振りをしながら、リコの手を取る。
「お店着くまでに何が良いか、考えといて。手袋、セーター、マフラー、帽子…くらいかしら。一度は編んだことあるから、善処するわ」
「悩みどころですね」
 リコから握り返された手の強さに、笑みを零し、赤司から歩き出す。隣り合わさったふたりは、街並に溶け込みにいった。


***


 今日のリコは散漫だと。心ここにあらずだと。その日初めて逢った、待ち合わせの食堂ですぐ、気づいた。
 だが、眉は顰めておらず、表情に陰りもない。視線を背けず、話を聞き話し、相槌を打つ――いつもの態度。どちらかといえば、そわそわしている、何かを待っているような。そんな集中のなさだと分かると、赤司は指摘せず様子見することにした。
 授業上がりの夕刻。漠然と何処か行こうとだけ約束していたので、行きたい所を問えば「赤司君家行っても、良い?」と返って来た時は、流石に動揺した。彼氏の一人暮らしの家へ、声に出す程だから、誘われているのではないかと。
 それならどれほど良かっただろう。リコの不自然さとそれが結びつかなかった勘は、残念だと思ってしまう時ほど外れないもの。赤司の内心など知らないリコが外れなかったことを照明したのは、家に着いて少し時間が経過――赤司が紅茶を入れ、ソファで待っていたリコの隣に腰を下ろした――後のこと。

「あのね、赤司君。編み上がったから…どうぞ」

 誰も気にしていない、気づかないとはいえ、大学内では落ち着かない。人気のない、静かな場所で、渡したかった。それだけなのだと、赤司は気づかされ、心に溜め息ひとつ。リコの切り出して来た内容自体に不満はないので、表に出さなかったが。
「思っていたより早いですね」
 授業は勿論のこと、課題も出ているので、想定では、後2週間かかると見込んでいた。だからこそ、リコの散漫さをここに繋げられなかった。
 赤司のものさしに、リコがきょとんと不思議そうな表情を浮かべる。彼女の中では時間をかけた方らしく、趣味と言い張るだけの腕があるようだ。
「開けても?」
 赤司は紙袋を受け取りながら、問う。
「もちろん。それは貴方のものよ、赤司君」
 内心ドキドキしながらも、つい強がった声がのってしまうのは、いつもそういうやりとりをしているから。
 いつ渡そうとか、どうやって切り出そうとか。そんなことを、朝から考えていたのもあって、リコの精神は疲労していた。
 いつもなら悩みもしないことに躊躇ってしまうなど。木吉が入院した際に編んだ分は、良い出来映えを表情に乗せながら渡せたのに。
 赤司だけ。彼だけ、いつものことが通用しない。本当に、彼だけ特別であると、再確認させられてしまった。すぐ傍にいてもいなくても、感情を揺さぶってくる赤司に、悔しくもある。
「……すごいですね」
 一方受け取った赤司は、リコのハラハラした視線より、驚きが優っていた。
 毛糸は一緒に買いに行ったので、雰囲気に崩れもない。だが、既製にないしっとりなめらかさ、気持ち良い肌触り。男性用では無難のVネックニットにケーブル編みを基本とした編み込みはくどくなく、ほつれもない、綺麗な編み目。
 手編みってこういうものなのか。そもそも初めて手編みを受け取った為、比較しようがないのだが、リコの技量に直面――想定以上の完成度に、単純な「すごい」が零れてしまった。
「赤司君がそう言ってくれると…安心するわ」
 リコはそんな赤司を見て、露骨にほっと溜め息と、肩の荷を下ろす。
 毛糸の色は、赤司の髪と同系、彩度が低く薄めのバーガンディ。始めは無難にショコラやカーキを検討したが、木吉や日向を思い出し、あからさまだが赤系統にした。
 選んだ際、赤司があっさり頷いて良かった、と今でも思う。他の色とか出されたらボロが出かねない。さらっと思っていたことを声にし、揉めるところだった。
 その場を凌ぎ、編み始めてみたものの、冷静に考えてみれば「露骨すぎないかな、これ」という色合い。着てみてもらうまで、別の意味で自信がなかった。
「着ても?」
「どうぞ?」
 同じようなやり取りを先程したばかりだ。赤司にしてはとてつもなく珍しい、彼らしく言うならば失態をおかしている。喜んでもらえている、と内心思いながら、リコは茶化さず、促すだけにした。
「では、目の前で失礼します」
 一声かけるも、リコの返答を待たず、赤司が一番上に着ていた服を脱いだ。それを軽く、適当に畳んでから、貰ったばかりのセーターを着る。
 すぐやってきた、二度目の彼らしからぬ態度に、リコは視線を逸らす。急かして着るものかという疑問と、そうさせる起爆剤を提供したことに嬉しくもある。
「大きさは、どう?何処かあまってたり、短いところ、ある?」
「いえ、ピッタリです」
 寸法は勿論測っている。だが、こうも上手くいくものなのか。精密機械を使わず、人の手で編んだもので。赤司の声に不思議という感情が乗った。
「有難うございます」
「どういたしまして」
 赤司の嫌味のない笑みに、リコは素直な気持ちを込めた。

 それからしばらく。赤司は着心地を確かめ、満足に浸っていた。それに嫌な気が沸かないリコも、見つめるだけの静観。珍しくゆったりとした空気が流れていると思ったのはリコだけであり、赤司平常進行。
 要するに、リコは見誤っていた。己の失態に気づいていなかった。そして、向こうから指摘されることとなる。
「リコさん、」
「ん?なに?」
「何か、思うことでも?」
 着衣した赤司を見つめるリコの瞳に引っかかる。何か含んだような、何か隠しているような。いつもじっと観察し、取りこぼしの無いよう注意を払う赤司だからこそ、見抜けたこと。
「え、いや、ないけど…」
 前兆などなかった筈。それなのに、違和感を問う赤司に、リコが慌てた。
「なんです?似合いませんか」
「ううん、赤司君は本当、赤が似合うわ。そうじゃなくて――」
「そうじゃなくて?」
 失言した。それを重ね、次を促す赤司が憎い。リコは逆恨みで睨みつける。
「…………よく…気づいたわね」
「無防備な貴方がいけない」
 物珍しいと緩んだ瞳、感情で見ているから、隠し切れないのだ。こちらに否はないと言い切る赤司に、反論出来ない。誤摩化せたことに墓穴を掘ったのはリコだから。
「言わないと…ダメよね、これ」
「言わないつもりでいることに驚きますね」
「驚いてないくせによく言うわ」
 宙に視線をふよふよ動かした後、指をいじり、躊躇い――ようやく、顔をあげた。赤司のしつこさを知っているからもあるだろう。やっと、決心、観念したようだ。
 相変わらず変に強い瞳だと、赤司は思いながら、次を待つ。
「赤司君にピッタリだなって」
「……はあ、それがいけないと」
 リコから確認された。なのに繰り返される意味が分からない。
「え?違うわ。鏡の前で自分と完成したセーターを合わせてね…あ、着てないわよ!?」
 完成した後、ほつれがないか確認していた時のこと。試着のように腕を伸ばし、身体に編んだセーターを合わせた。
「私より腕が長くて、肩幅があって…やっぱり体型が違うんだなって思ったの」
 自分用ではないからピッタリになる訳がない。
 大幅な身長差はないから錯覚を起こしていたが、大きさに驚いた。馬鹿みたいな、恥ずかしいことを、脳裏に浮かべていたと空笑いも出たが。
 着ている姿を見て、ピッタリだと確認して、自分と合わせた時の差を思い出した。それが視線に移行してしまい、熱を帯びてしまっただけのこと。
 ただ編んだ後にしてしまったこと、思い出したこと、声にしてしまったこと、三段階で重ねると、頭が沸いている自覚も出てくる。
「そういうことですか…」
「そういうことな…ちょっと、怒らないでよ!」
 全て白状しました、と言い含めて視線を合わせるも、赤司のまとう空気に、リコが物理的に身を引いた。だが、互いにソファで膝を合わせる程の距離だ。赤司の手がリコの腕を掴み、逃さない。
「私は赤司君の身長、気にしてないわ」
「えぇ、知っていますよ」
 気にしていない。そう否定も出来ない、赤司の達観出来ていない部分。
 周囲が巨躯ばかりだからもある。何処か捨て切れない部分でもあった。それをリコが気づいていることも知っていたが、声に出されると面白くない。
「……それが言いたかった訳じゃないから…」
「分かっています」
「その威圧感やめて」
「勘違いしないで欲しい。僕も男です。貴方より大きい」
「分かってるからっ…その、拗ねないでよ」
「おかしなことを言わないで頂きたい」
「そう返すなら、怒らないで」
「僕は至って平常ですよ」
「………そう」
 微妙に噛み合っていない、会話。リコがとてつもなくありえなさそうな、否定的「えぇ?」を露骨に出した。
 赤司は青筋をたてそうになったが、感情の起伏を隠す方だ。それを見せず、拘束していた腕を解き、目の前で両手を広げる。
「リコさん」
 声の応酬を捨てた。赤司が、名だけ呼び、声色に強制を含ませる。




さあこの腕の中においで
-Vieni fra queste braccia-










 赤司の意図を察したリコが、一瞬身体を震わせるも、そろそろ胸元に身を置く。距離がゼロになってから、赤司は腰に回した手に力を込め、抱きしめる。
 身体の差があることを実感してもらうべく。強く抱く。
「……赤司君も、男の人なのよね」
 抱きしめられると、包まれていると実感する。身体の硬さや手の大きさ、首回り、ひとつひとつ分かると、気恥ずかしくなるし、柔らかくもないのに心地よく感じて。
「それはどういう意味合いで」
 身長の拘りを含んでいるのか。そう言いたいのだろう。
 変に子供っぽいところあるわよね、とリコは内心思いながら、腕を回し、擦り寄せた。



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