his clothes
紫荒/未来捏造/恋人設定 「まさ子ちん、みてー。やっと見つけたー」 なにが。振り向き、問いかけようとした口が閉ざされる。紫原が両手を広げ、見せて来たのは見慣れた物だからだ。 学校指定のではなく、陽泉男子バスケットボール部のジャージ――の片割れ、上着。薄紫と白を基調とした、縦ストライプが模様。雅子がなによりも見慣れた、愛くるしい陽泉のもの。 「まだ持ってたのか」 紫原が卒業して2年は過ぎている。学校のにしろ、部活のにしろ、ジャージは部屋着等に使われやすいもの。だけれど、紫原が着ている姿を見ていない。てっきり捨てたか、実家に置いて来たと思い込んでたが故の発言である。 「実家から持って来た筈なのにないなーと思ってたんだけど、整理してたら出て来た」 「おーそれは良かった」 失せものが見つかることは良い。特に狭い部屋なのに見つからないなど、敗北感すらある。 「まさ子ちん、」 雅子が納得すると、いきなり前に突き出してきた。ジャージを近距離で見ても、無意味だ。なんだ、と視線を合わせると、緩い表情を見せてくる。 「はい」 「……はい?」 同音だが、紫原のは「どうぞ」であり、雅子のは「意味が分からない」という意味合い。 「まさ子ちん、使って良いよ。防寒着にどーぞ」 「いや、丹前持ってるぞ?」 「俺も持ってるし」 北国関係なく、寮生ならだいたい誰でも持っている必需品だ。しかも陽泉の場合、近所の人お手製、最強な愛情つき丹前だったりする。 「……お前の意図が分からん」 雅子は紫原が丹前を使用しているのを知っているし、逆も然り。何故に防寒着として勧めて来るのか、さっぱり理解出来ない。 「なんだっけ、男のロマン?」 なんで疑問なんだ、と雅子が思っていると、ジャージを肩にかけられた。 大きい、なんてものじゃない。肩に合わなすぎるし、裾が太腿に摩れるし、なにより腕の部分が長過ぎて邪魔だ。くるまっている感は良いが、腕が動かし難く、どう譲歩しても丹前の方が素晴らしい。 「……ああ、男のロマン、な」 「あ、意味分かるんだ」 「分かったことが残念だ…」 青少年がグラビアやAVで抜くことが当たり前と思っている雅子だ。男のロマンの低次元さにも知っているつもり――というか旧友相手に、嘲笑ってやった程。そして「してやると男喜ぶから、お前してやれ、な?」と助言まで受けた記憶すらある。 男が自分の衣服を着させる行為は、保護欲、庇護欲、支配欲か。今思い返しても、理解し難い男の価値観である。 「お前にそんな好みがあるとは知らなかった」 「うーん、まー体格に差がありすぎるから、考えたことなかったんだけどねーそのジャージ見つけたらさ、」 紫原の大きな手が、ジャージの裾、チャックを掴み、首元までしっかり締めた。世話されている感覚が珍しすぎて、雅子は驚くも、抵抗せず。 背丈もとより男女の差で首回りもだいぶ異なる。襟がだらしなく前に垂れ下がった。その所為で、首にかかった重力が少し苦痛だ。 しかも、両手がジャージの中で拘束される。動き難い、と腕を通すが、長過ぎて手が外に出ない。苦痛二重、無理矢理たくし上げ、手を出す。 「俺が着るより、まさ子ちんが着てる方がいいなーって」 「……そうか、良かったな…」 満足されても、少々困る。というかだいぶ対応に困る。 脱ぎたかったが、この空気でそれを出来るほど、雅子も無情じゃない。惚れた弱み、ここでも難関な壁と化した。 「これで、満足か?」 雅子は開き直り、両手を広げ、全身を見せる。すると紫原が舐めるように見て、口元を嫌に上げた表情を零された。変な方向にいきやがった、と内心思う。 「うーん。俺のもの、とも思うし、俺がまさ子ちんのもの、て感じもする」 自分のもの、なら分かるが、相手のものになる感覚が分からない。だが、とてつもなく嬉しそうにしている為、雅子は追求しなかった。 そもそも今更だと思う。ここまで許容――ジャージを着させられ、勝手に前まで締められても、されるがままでいる相手など、ひとりしかいないのに。それこそ声にしないが、紫原も分かっているのだろう。行動を目で追うだけの雅子に、ご機嫌そうだ。 「借りていいのか」 「貸すていうより上げる」 「貰わない。お前のだから大事にしろ」 「そう言うと思った。じゃあ半分あげる」 「半分……分かった。存外に使うつもりはないが、私の使い道に文句言うなよ」 紫原のもの以前に、雅子が陽泉のジャージを存外に扱うなど思っていない。今も腕を撫でて、淡く笑みを零しているのは、学校への愛おしさだろう。本当、男を前にして良い度胸している。 「もう、半分私のものだからな」 紫原が名を呼んで気を惹かす前に、雅子が顔を上げ、言葉を紡いできた。半分は私のものなのだから、文句は言うなと。嫌なくらい、生意気な表情をつけて。 卑怯だ。 紫原は内心そう嘆く。 いつも所有とか、彼女とか、特別とか、主張しない、本当に恋人なのかと思わせる態度をとるから。ジャージを渡し、なんとか心を安心させようとしていたのに。ここぞって時に、心臓ごと鷲掴みしてくる程、気持ちを持って行かれるから困る。お前は私のものだと、素で伝えてくるから、たまらない。 「いいよ。まさ子ちんが思うとおりに使って」 自分のジャージを羽織る雅子ごと、紫原は抱き寄せる。 「あ、エロいことに使っても良いからね」 「馬鹿だろ、お前」 「え、そこは大事だし」 雅子の呆れた相槌が行動に変わり、そこそこの力で紫原の脇腹を殴った。 *** 母校の部活ジャージを渡して1週間が経った頃。 紫原はソファの背もたれにジャージがかけられているのを見て、箪笥の肥やしになっていないことに安堵した。相手が相手だけに「忘れていた」を踏まえていたからだ。 エロいことに使って良いと声にしたけれど、無いだろうとも思っていた。もし、していたとしても、ソファにかけっぱなしにしたりしない――と言う訳で、消去、残念。 「なに、使ったんだろ」 ジャージなので防寒着が無難、というよりそれしか使用方法がない。でも相手が相手だけに、無難すら突破してくる。 自分のジャージを見つめながら、こてんと首を傾げた。 それから小さな室内で、ジャージを見たのは数日後。 またソファにかけてあった。同じことに使ったのだろう。 やっぱ防寒着かな。だったら俺の居る前で使って欲しいのに。 そう思うと、不満ばかり募る。紫原はひとりなのにも関わらず、少しばかり頬を膨らませて、拗ねた表情を滲ませた。 そして三度目は、すっかり忘れかけた半月後。紫原が気づかなかった――要するに片して見つけられなかっただけ、偶然巡った、三度目。 ソファに心持ち身を丸め、寝転がって眠る雅子がいた。その身の上にジャージをかけ、きゅっと掴んで暖をとっている。身体の差があるので、上着だけでも膝を折れば少ししか足が見えず。ジャージに包まれているような状態。 掛け布団、ブランケットの水準と化した自分のジャージを見て、これまた安堵してしまう。何度も何度も繰り返すが、相手が相手だけに、愛する陽泉のジャージでなければぞうきん――発想が酷い。だが、雅子は色々な意味で想定をへし折る――にしかねないからだ。 「まさ子ちん、ただいま」 紫原は身を屈めて、雅子の頭部に唇を落とす。人の気配か、くすぐったいだけか、微かに身じろぐも、起きる様子はなかった。 ふわりと雅子の匂いを感じとる。誘われるようにもう一度近づけるも、体勢が辛いので、床に膝をついてから、首元に鼻をよせた。 「あ、」 ふと気づいたことに声が出かける――が、なんとか飲み込んだ。 危ない危ない。紫原はそう思いながら、着眼点に確認すべく、再度身を近づける。 長いことかくれんぼしていたジャージだ。柔軟剤の香りしかついていなかったそれに、雅子の匂いが混じっている。自分のジャージに、自分の匂いはなく、でも、女の匂いがつく。 「………やばい」 今度は声を飲み込めなかった。それぐらい、紫原の中で高揚している。事実に気づくと、想像以上にキた。 確かに、ジャージで自分を思い出し、エロいことなり、心に留めてくれれば僥倖と、淡い期待もしていた。すぐ打ち消されて、がっかりしたけれど。それなのに、自分が自分のジャージでエロいことが出来そうになるとは。盲点。否、すっかり抜け落ちていた部分。 「ありえないし……!」 眠る相手を襲うと、後で何が――蹴飛ばし、家から出されるなどもありえる――起こるか予測出来ない。最低限距離をとってから、膝を崩し、腰を下ろす。 「マジない、なんなのこれ、俺が引っかかるって何それ」 気分は、最後の最後で反逆、どんでん返し。 衝動が抑え切れない。らしくないと思いながらも、煩悶の捌け口として、拳を床に叩き付ける。 「……ん、あ…帰っていたのか、……」 何度か叩いた後。物音で目覚めたのか、雅子が短い吐息を漏らしながら眉を顰めた。ゆっくり瞼を開き、照明の目映さに数回瞬き。軽く目をこすりながら、身を起こした。その動作で身を包めていたジャージが腰辺りまで落ちる。 「おかえり。なにやっているんだ、お前…大丈夫か?」 紫原が地べたに座って床を叩いている姿など、大層滑稽だろう。起きたてなら尚更のこと。大丈夫か、という発言も否定し難い。 「大丈夫じゃないし」 「ん、分かった。まずは叩くな、腫れるだろ…」 雅子が身を乗り出し、紫原の手を掴む。学生の頃から「バスケが出来なくなるだろ」と零しながら、勘違いしそうになるほどのあまさで手入れするバスケ馬鹿だ。珍妙な行動の心配より、手に職をつけているが故の心配と、紫原は分かっていた。 「まさ子ちん、責任とって」 「……は?なんの」 話についていけない、という表情の雅子をソファの背もたれに押し込みながら、紫原は覆い被さる。 説明なんて面倒くさい。する時間も勿体無い。何か紡ごうとしている口を塞ぐ。 視界の隅、雅子の足下にある自分のジャージに気づく。着せて、もっと匂いをつけさせたい。 だけれど、それをしたら一生ブランケットにすら格上げ出来なくなるだろう。それも嫌だ。 今の快楽を取るか、未来の優越を取るか。時間の猶予のない、そこそこ苦渋の決断が迫っていた。 back |