赤司の部屋に珍しい雑誌――月バスがあり、目を惹いた。彼は回し読みで済ませるタイプの為、持っているとしたら、取材を受けた分が送られてきた時だけ。ただ、今の赤司はバスケットボールから身を引いている。取材などの可能性はとてつもなく低い。 「月バス、買ったの?」 リコはローテーブルに置かれた月バスに視線を向けたまま、切り出す。 「いいえ、大輝が忘れたものです」 すると、赤司が飲み物を用意しながら、思案など蹴飛ばすようにあっさり答えるものだから、「それで、なのね…」とおかしな相槌しか返せなかった。 昨日までキセキの世代が一人暮らしの赤司家に泊まっていた、と先程聞いた話題だ。そこに青峰が雑誌を忘れた、を加えると、微妙な疑問もすっきりする。 せっかくだから、月バス読もうかと手に取ってみれば――ひらりと、何かがフローリングに落ちた。どうやら雑誌の下敷きになっていたらしい。 「メモ?」 見てはいけないと思ったが、忘れ物の下敷きになる類のメモ。好奇心に抗えず視線を落とせば、書きなぐりの字。見ても大丈夫かな、と判断してしまう。興味だけで見てしまった――のが今回の失態だと、リコは後々後悔している。 「Yシャツ、Tシャツ、ジャージ、ユニフォーム、セーター……」 「どうしました?」 「これ、えっと…あ、ごめんなさい。見ちゃったんだけど、」 両手にマグカップを持って様子を窺う赤司に、リコは冷静さを取り戻す。どんな内容であれ、自身に非がある。先手で詫びると、赤司がメモに視線を落とし、「ああ」と唸る。 「秘密ごとではありません」 「そう? じゃあ、聞いても良いかしら」 「どうぞ」 赤司はリコにマグカップを渡さず、どちらもローテーブルに置いた。 「これ、何?箇条書き…にしては偏ってるし」 「偏ると思う訳は?」 「合宿とか、宿泊の持ち物表じゃないの? 衣服の上だけで日常品すらないのが不思議で」 「そういうことですか」 ユニフォームから部活の合宿を想像したのだろうか。リコはこの箇条書きを宿泊の際に必要な物、などに当てはめていたらしい。確かにそれでは不思議に思う。 赤司は『何か』問題提示でもしようかと考える。だが、今回は直球で攻めた方が面白いだろう。先が読めると、少しおかしくて、口元が弧を描きそうになる。けれどもそれを見せないのは、策略の最低条件だから。手段の欠片でも気づかれてしまうなんて、興ざめだ。 「それは『着て欲しい衣服』のリストアップです」 「着て…着て? 着たい、じゃなくて?」 キセキの世代が、赤司が、着るなら分かる。特にユニフォームなど、選手が着るもの。何故に、頼み、望んでいるような表現なのだろう。 「ええ、自分ではありません」 「自分以外で着て欲しいってこと?」 「不特定多数ではなく、特定の人物、僕ならばひとりだけです」 じれったい、とリコは内心思うも、赤司の手だろう。答えてくれているだけマシだ。ここで逆ギレしたら、聞きたい答えも聞けなくなる。 落ち着け、落ち着け。内心、不毛な呪文を唱える。 「僕の恋人――リコさん、あなたに、ですね」 「わた…し……?」 「もう少し正確にすると『愛しい人に着て欲しい、自身の衣服』のリストアップです」 自分以外、特定の人物、着て欲しい、自分の衣服――が、書かれている。自分のを着せたいのか。ああ、そういうことか。 「ばっ、馬鹿でしょ!?」 理解した瞬間、とリコは持っていたメモをぐしゃりと握りつぶした。 「男はみなそういう生き物ですよ」 「そうなのって頷きかけた私も馬鹿だわ!!」 赤司がこれくらいの項目、忘れる訳がない。どうせアホ峰か馬鹿シャラ瀬(「コイツと一緒にすんな」「オレの原型ほぼないっスよね!?」は幻聴だ)辺りが分かりやすいように書いたか、見せたのだろう。そんなもんだろうねええええくそがああああああ。 リコは不毛な苛立ちと共に、ぐしゃぐしゃになったメモを勢い良くゴミ箱に捨てる。自分勝手すぎる行為だが、しるかそんなもん、で吹っ飛ばした。 「みんなそんな訳ないでしょ。それ一種の性、へ、きだし」 4文字ですら躊躇う程の、恋愛初心なリコ。思うだけで声にしなければ失態もおかさないのに。愚直というか、真っ直ぐというか、素直というか、潔いというか、間抜けなところも、赤司は気に入っている。手中にあるようで、羽ばたいて何処にいるか分からないような、不思議な人。 内心愉しみながら、赤司は畳み掛けるように、問いかける。 「聞かないんですか?」 「何が!?」 落ち着かせろと言われても無理だ、のリコが声を張り上げて振り返る。それに嫌そうな表情ひとつせず、むしろ優位の自信がある赤司は緩やかな笑みを零した。爆弾投下まで、さん、に、いち、はい―― 「僕があなたに、どれが着せたいか」 「聞かないわよ!! あと着ないからね!?」 「どうしてです?」 「どうしてって……!」 月バスを忘れていった、は偶然だろう。 それを片さず、昨日話題のメモも捨てなかったのは、こういう流れを想定出来たから。起これば愉しむし、何もなければ罠とすら気づかれずに終わる。それで良いくらいのもの。 リコはやっと見えて来た赤司の罠に、自ら引っかかった気が否めない。 予測範囲外だったと言い訳したい。見慣れた月バスとあの箇条書きでここまで読めるなんて、おかしい。 「……へ、変態」 「そんな僕を好きなのでしょう?」 性癖に引いたなど、有ることだろう。でも、今のリコは少し躊躇いがちに、頬を赤く染めている。着た自分を想像したのか、着せている赤司を想像したのか。リコの発言はもはや、どんぐりの背比べでしかない。 素直に内心でなら、白状しよう。自身の衣服を着るリコさん、見たいし着せたい。 赤司は引いていないと確信すると、攻めに入った。自然に、躊躇いもなく、リコの上着に手をかける。 「な、なにするの!」 けれども、行動を目で追っていたリコが慌て、がしりと両手で押さ込む。ボタンひとつも解けていない、正真正銘の未遂である。 「着てくれるのでしょう?」 「そ ん な こ と、 言 っ て な い !!」 「着て、くれますよね」 「どうしてそう高圧的なの」 「僕がお願いしているのに、高圧とは…」 命令ではない、と真顔だが、どう読み取ったって口調と内容が一致していない。命令にお願いの言葉がくっついているだけだ。後、赤司自身が「お願い」なんて言葉にしてもギャグでしかない。「いや、本当ギャグでしょ赤司君」がリコの本音だ。 「なんで脱がそうとするかな。ちょっと、手、離しなさい」 赤司はスポーツ選手の中では小柄だが、リコより大きい。重ね着した上から着ても、問題がないくらいの差はある。「何をしだすかこの男は!」とリコが威嚇するように睨むも、この件二度目の爆弾投下。 「上から着ても意味がない」 「……意味が分からないわ」 リコは理解を放棄し始めた。それでも心では警告音が鳴り止まない。赤司の手を補足する力を緩めなかった。 「素肌の上から着てくれないと」 「言い直すな、馬鹿赤司!!!」 キセキの世代か洛山の連中が聞いたら、ギョッと驚くような単語を吐きながら、リコは殴り掛かる。父親直伝、基本をしっかり押さえた構えだが、手を離して脇を締める動作が一瞬出来てしまった。赤司はその隙に、2歩ほど下がり、避ける。 「もう!」 「外したことを心底残念がらないで欲しい」 「あなたが変なこというからでしょ」 赤司は伸ばしたリコの腕を掴み、拳まで撫で上げる。握った五指を丁寧に解かせ、自身の指を絡ませた。 「あなたの手も僕のものだ。殴る側も慣れるまで、拳に相当な負荷をかける。そしてあなたは慣れていない。僕がその負荷を許すものか」 「………殴られそうになったことに怒りなさいよ」 「避けられるから気にしていない」 「それならあなたの懸念する負荷も起きないわ」 「僕以外にも、殴ろうとするだろう」 「……しないわよ」 今の話題だけなら、赤司くらいしかリコに言わないだろう。でも他の出来事、何かしらの危機類に護身術が出ないなんて否定出来ない。想定してしまったが故、一瞬言葉を濁してしまう。嘘をつくことが、嫌いな、真っ直ぐな、正統派、愚直だから。 「その件は追々、ちゃんと躾けよう」 「……は!?」 「今なんつった!」と暴言混じりな反応になりかけたリコの手を握ったまま、赤司は歩き出す。 「え、ちょ、赤司君!?」 「今は、着てもらわないと」 「着て…ああ! だから着ないって!」 何の話だったか思い出すと同時に、ダイニング兼リビングのすぐ隣、クローゼットに向っていると気づく。リコは腕を上下に振り、解こうとするも、絡まる指が、強い。 「赤司君!」 「嫌ではないのでしょう?」 「だから嫌だって」 「本当に嫌ならば、人はもっと違う表情をしますよ」 嫌でも惚れた弱みで絆されている、という感覚もある。リコの場合、同性癖か、絆されているだけか、判断し難い。それこそ今、証明すれば良い。 「リコさん、選ばせてあげましょうか?」 クローゼットを開けながら、赤司は振り返った。ぐっと唸って身を震わすリコの身体ごと引き寄せ、抱きしめることによって、彼女の心にあった逃げ道を四方八方塞ぐ。 「赤、司君…」 その後に紡がれた言動は――
競い合う正義と平和
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