Je te veux』の前




 黒子が誠凛1年の頃、突風の如くバスケの名門を負かし、のし上がった。それは、天才にしかない壁が発端で仲こじれを起こしたキセキの世代たちが、向き合うきっかけでもあった。
 まずは己と向き合うことから始まる。敗北は挫折と跳ね返りで大いなる飛躍――技量もだが、孤独以外の精神力を頑ななものにさせた。天才の座は一瞬ではなく、彼らは本物だった。
 季節は巡り、彼らが高校3年になる頃。緩やかに何かが壊れ、隔てるものなどなく、仲直りをする。
 そこから数年が経つが、縁は続いており、今回も学生と就職組、全員が一人暮らしをしている赤司の家に揃った。



 平均の一人暮らしより広めの赤司邸だが、身体のでかい男が4名もいるのだ。全員でテーブルを囲むことが出来ない為、フローリングに座り込む者、ソファを占領する者、ダイニングチェアに腰掛ける者――統一性などなくバラバラだが、各々気にせず満喫していた。

「紫原の『早く大人になりたいんだけどどうしたら良いの』には驚いたのだよ」
「ほんとっスね!」
 高校時代を思い出し、苦笑が滲み出る緑間に、黄瀬がタブレット端末をいじりながら思いっきり頷く。
「しかも脱童貞じゃなくて精神的ときたしな」
「大ちゃんサイテー」
「青峰君言葉を選んで下さい」
 青峰の便乗に、さつきと黒子が冷ややかな視線を向ける。女は胸とか言ってる時点でガキ、という露骨な見下し付きで。
「直球過ぎるのは駄目っスよー?」
「きーちゃんもサイテー」
「黄瀬君もそういう問題じゃないです」
「え!? 飛び火きたっ!!? というか黒子っちも男なのに俺は違うみたいな言い方ずるいっス!」
 黄瀬の緩和失敗。むしろ背後から飛び蹴りを繰り出されたような気分だ。
「女性のいる前で言うことではありません」
「きゃー!! テツ君素敵!」
「……えっと、なんすかそれ」
 この差なに。
 黄瀬はそれが何か分かっていても、つい文句というか苦情を言ってしまう。さつきの反応だけではなく、両手を合わせて目を潤ませる恋する少女に、キリッと紳士な相槌しか打たない黒子にも、だ。
「さつきのはモウモクって奴じゃねえの?」
「青峰が殊勝なこと言っているのだよ」
 唖然とした黄瀬からタブレット端末を受け取りながら、青峰は気怠そうに返答すると、緑間がワザとらしい驚嘆の表情を作る。最終的にはさつきと黒子まで混ざり、黄瀬から青峰に抉り先を変える――黄瀬放置を始めた。

「大変だったな、敦」
 そんな会話の間、テーブルにうつぶせる紫原の頭を赤司が撫でる。
「ほんとだよー…卒業式もけっこー大変だったけど、その後もつらかったしー」
 試行錯誤で揚げ足とって高校卒業と同時に恋人の権利を得たものの、遠距離恋愛である。
 遠距離に不安はなかった。数年越しであることと女性や恋愛にそもそも興味の薄い故、浮気心など一切なく。相手の雅子も頑なかつ強い女性なので、男に頼らないし、浮気されない自信もあった。
 が、そもそも紫原は若く、散々待ったのだ。未熟なくらい滾りやすくて、その場の勢いは強く抗えない。けれど『大人の駆け引き』を策略に掲げていたので、何度我慢したことか。
「それくらいしないと荒木監督の壁は崩れないもの」
「さつきの言う通りだ。彼女は名門バスケ部の優秀な顧問であり、教師でもある。好きという感情任せに出来る程の許容はない」
 卒業式と遠距離恋愛の『駆け引き』は、さつきと赤司の助言あってのこと。苦い声を出す紫原に、さつきと赤司が過去を思い出しながら、自分の采配に納得の声を上げた。


 自分だけでは雅子を落とすことなど出来ない。過言ではなく、事実だと気づいた紫原はまず、高校3年の初夏――進路を決めなければならない頃、キセキの世代たちに相談した。
 その時も、最強の赤司と情報網に漏れのないさつきが下調べし、助言をしている。
『子供じゃだめだ』
『自分の道を決めて、自分の足で立つようにならないと、向き合ってくれないと思う。監督で先生。真っ直ぐな大人だから、元教え子でも難しいよ』
 相手に向き合ってもらう、だけではいけない。まず自身が彼女のいる位置まで駆け上がること。
 同年代が頭を捻って捻って、大人の女性の価値観を見出したものだ。頭脳組ふたり――緑間の恋愛面はぼろくそなので、期待していない――が出した答えに間違えなどない。
 紫原はそれを信頼し、進路を決めた。まずは自分と向き合って、未来を選んだ。
 それを雅子は本当に喜んで、門出を祝福してくれた。本当に、先生であることに、嬉しくあり、悲しくもあった。
「監督はバスケ部、表の看板だ。面白いネタがあがれば不祥事と言われかねない。自分の矜持より、陽泉バスケ部、部員を守る人だろう」
「まさ子ちん、自分が傷つくこと、気にしないからなー」
 誰だって、傷なんか望んでいない。
 言い切る正論を持っている。本当は傷つかない方が良い、心の維持の仕方を知っている。
 それなのに、本当に大事なことに対し、自分を切り捨てることを厭わない。嫌なくらい揺ぎ無く決断する人。他者が理解出来ないくらい、大事な物の為に自身を投げ出せる人。
「そういう女性って精神も強いから、心を守って欲しい瞬間が少ないんだけど、そこを見逃さなければ勝ちだよ」
 傷ついても立ち直る力が平均以上だと、隙もない。弱っている自覚がある時はもう歩き出せている証拠であるほど、逞しい。参っている、という自覚すらない稀な時が絶好で貴重な攻め時。
「僕もわかります。それ」
 青峰から投げ出されたダブレット端末を受け取り、画面をいじりながら、黒子が頷く。下を向いているので、表情はいつも以上に読めない。
「どれ、がだ?」
 それにやや興味を持った緑間が問い質す。
 黄瀬は黒子の理由を予測出来ているので、「この場でそれ言っちゃうとか、黒子っちえぐい紳士っスねー」という微妙な笑みを浮かべた。その思惑は、集まる彼らの心情が誰に向いているか複雑化しているからだが――そんな黄瀬の心情を様子見の赤司だけが察している。
「監督がバスケ部を、部員を守る為なら傷つくのを厭わない感情です。本当は脆いのに、強くあろうとする逞しさだけ人一倍で。だからこそ、僕たち部員も監督を…カントクを、守るんです」
 大学に進学してもバスケを続けている黒子だが、その面子のことではない。黒子の心には、ずっとずっと、誠凛の先輩や後輩、カントクがいて、その思いを胸に秘めている。
 真っ直ぐバスケと向き合えたのは彼らがいたから。黒子は彼らをとてつもなく、大切にしている。
 紫原と黒子の『監督』は、完全一致をしない。片方は、バスケ以外、普通の女子高生だったから。傷ついていることも、壁の脆さも分かりやすかった。
 そしてもう片方は、現役から降りてもバスケから離れない大人だから。心の殻の強さも築き上げ、傷つくことを隠せていた。
 だけれど、根本的な所は重なっている。一番大切なこと――強くあろうとし、崩れることなく進み続ける監督を、傷つかないよう、守りたい。
「うん。ありのままのまさ子ちんを、守りたい」
 教師の正論も、大人のずる賢さも、彼女特有のプライドも、顧問として自ら傷くことを厭わない強さも。全て備わっていなければ彼女ではない。惚れた人ではない。
「……うん、そばにいたい。ずっとそばに、いたいよ」
 こくん、と紫原が頷く。
 自分に対する決意のように。今は傍にいない、遠い地にいる相手へ向けるように。


「ならば、僕たちは今も変わらない」

 赤司は周囲の気を引き締めさせるべく、手を軽く叩き、乾いた音を鳴らす。
 紫原が高校の頃、大人の女性に振り向いてもらうにはどうしたら良いか、相談したように。今も、彼の相談に答えるまで。
「紫原っちですら、大人の女性に振り回された訳っスから!」
 年上を落とすのは大変スね、と張り切る黄瀬。
「つーかオマエ、染めるどころか染まったよな」
 男は染めさせろよ、と文字通り青臭い青峰。
「そういう男も良いと思うよ? 大ちゃん、女性が皆ついて行く側だと思ったら駄目だからね」
 そんな幼馴染みを小馬鹿にしつつ見守るさつき。
「年下も有望株だってとこ、みせつけましょう」
 一緒に頑張ろうと意気込む黒子。
「人の恋路には踏み入れたくないが、雑誌を買っておいたのだよ」
 億劫そうな言葉と共に、とある雑誌を机に出す緑間。
 その雑誌を見て、一同驚きと感心の声をあげた。興味がさっぱりない青峰でも知っているほどの――
「では、敦らしく、荒木監督を落とすプロポーズを考えるぞ」
 かの有名な結婚情報誌か、と騒ぐさつき以下面々の空気を、赤司の仕切る声でぶった切る。

 これが、紫原がプロポーズする数ヶ月前の出来事。
 指輪のサイズから値段にメーカー、それを渡すタイミングなど。全て計画的かつ雅子好みに練り、入れ知恵をしたのは誰でもないキセキの世代たち――紫原の友人たちである。



未来の散歩道
-A walk into the future-












「そこの5人は何故にタブレットを回し合っているのだよ」
 黄瀬、青峰、黒子、さつき、紫原の順でタブレットを回している。しかも話し合いの最中であろうと止まることなく、くるくると繰り返していて。嫌でも目につく。
 緑間が眉間にシワを寄せてしまうのは、自身と赤司が何故か含まれていないからだ。何の隠し事というかイジメみたいなことをしているのか、釈然としない。
「モノ○リー、正確にはモノ○リージャパンっス!」
 彼らが遊んでいるのは、20世紀初頭アメリカ合衆国で生まれたボードゲームのアプリケーションソフトウェア版だ。すごろくを基本とし、周回しながら盤上の不動産を取引する。資産を増やしたり、他からレンタル料を徴収したりして、自分以外を破産させるのが目的だ。要するにどんどん他のプレイヤーを蹴落とし、覇者になるまで続くゲームである。
 黄瀬が言い直したのは、マス目の地名が販売される国により異なっているから。彼らのは本家の和訳したものではなく、完全日本語化されたものである。
「5人が最適ですから」
「テツがもっともなこと言ってるが、単に面倒なふたり除外してるだけな」
 頭脳派が混じると面白みが欠け過ぎる。遊戯要素は必須。捨ててはダメ、絶対。
 緑間の指摘があろうと、彼らの動きは止まらない。くるくる、ボードゲームは続く。
「さっちんもけっこーえぐいよね。あ、スタートにとまったー」
「そんなことないよ? ムッ君の強運には負けるもの」
「8だから…え、銀座!? ちょっと待って! 家だけは勘弁して欲しいっス!!」
「桃井さん、銀座を所有してますからね」
 銀座はスタート手前にある、一番高額地のマス目だ。維持するのも大変だが、上手く建てれば、他プレイヤーから相当の額を頂戴することが出来る。
「さつきは銀座の女か」
「なんかエロイ響きっスね」
「ふたりともサイテー。きーちゃん、家存続の慈悲あげないよ?」
「やっぱりさっちん、えぐーい」
「二度ネタはやめた方が良いですよ、黄瀬君」
「俺だけ矛先向けるなんてヒドイっス!」

「ハブくなんてダサイのだよ!!」
「そのゲーム、8人まで対応だろ。僕も混ぜるべきだ」

 はぶられたふたりの虚しい声が、黄瀬の懇願という交渉の叫び声でかききえた。




※今回のモノローグ・過去部分→『氷のような姫君の心も-前編 / 後編
※後日の陽泉→『無限なるものへの讃歌-前編 / 後編
※全て↑の、終わりに→『Je te veux/curtain call



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