相田リコは大学生の一人暮らしにそぐわないセミダブルベッドから起き上がり、寝ぼけ眼で周囲を見渡す。 綺麗に整った――言い換えれば殺風景な部屋には自分以外誰もいない。明かりは極力押さえ、小さなランプの灯りのみと薄暗く。シーツの擦れる音ですら耳に届くほどの、静けさ。 それに合わせ、ゆっくり脳を起動させる。 心持ち、頭痛。これは体調不良。それが原因でベッドを借りたのだろう。 半分思い出し、半分推測を立て、これに至るまでの経緯を思考する。 鈍い脳でも、表面はすぐに浮ぶこと。頭痛以外をあげてみよう。 自分の家ではない、彼氏の家で。自分だけが寝てしまっている。体調不良で。彼氏の誕生日に。 駄目だ。すでに酷い。これ以上考えたくない。 リコは精神的ダメージを含め、頭をかかえた。 恐れないで いとしい人よ
-Non temer, amato bene.- さて。 リコがこれまでの展開を思い出すまでの間。彼女の過去、構築、纏うものについて、少し説明しよう。 女子高生が部活の監督をするなど、容易いことではない。如何に選手を育て、試合戦略に長けようと、それだけ評価してくれる訳もなく。大人の真似事と後ろ指さされると分かっていた。 だから、監督を引き受ける以上、自身の保護ではなく部員を守りたい一心で、模範的かつ真面目な優等生を目指した。監督として最低限やらねばならない、信頼の欠片ある肩書き、材料だと考えたからだ。 リコはそれを有言実行する。学校でも知名度の高い生徒会の役職に就き、成績も学年上位を維持し続けた。 そしてリスクの高い監督になってでも大切にしたかった誠凛バスケ部と部員は公式試合で勝つようになり、優等生の努力が進学にも上手く繋がって偏差値の高い大学にも入れた。 茨の道があって、結果を出した為、周囲から勉学も戦略も優秀だと評価を受けたのだが。 初めての彼氏――赤司征十郎と迎える、彼氏の誕生日。しかも一年目のお祝い。頭脳を最大限生かし、気合いをいれて祝いたかったのだが。 誕生日まで1ヶ月を切った頃から云々悩んでいたら、赤司に指摘された。優秀な頭脳も全く意味がない程、初っ端、出端を挫いた。 そもそも素直かつ真っ直ぐな性格のリコをよく見ている赤司が気づかぬ訳もない。勿論、初めは様子見だった――が、リコは上の空で、彼女の瞳に自分を入れてくれないなど、面白くない。赤司にしてはガキくさい理由で、問い質してしまった。 動転したリコはそこに気づくタンミングを逃したまま、言葉を濁し避けることに専念するも、逃げ道を次々塞がれ、 「赤司君の誕生日どうしようか悩んでたの!!」と逆ギレ、暴露してしまう。 鳩が豆鉄砲を喰らったように目を丸くした赤司を見れたのは良かったが、それだけだ。企画も一瞬で粉砕である。 落胆のリコに、赤司は驚嘆の表情などすぐに崩し、淡く微笑み、 「では、その日は僕の家で一泊をお願いします。相田さんの初めてを下さい。僕の初めてをあげます」 さらっと爆弾を落として来た。 全てがおかしいのに、頭が真っ白になったリコからツッコミという選択などなく。赤司が微かに震えるリコの手を撫でるように取って、返答を待つ瞳に抗うことなど出来なくて。拒めなかった。 リコの敗北、その1――赤司の要望に、頷いてしまったこと。 次に、一泊するのならばと手料理をご馳走しようとしたが、言いくるめられ、赤司が作ることになった。 『誕生日の人が作るなんてダメよ』 ごもっともらしく抵抗するリコに赤司は再度微笑みひとつ。彼が淡く笑うことすら貴重と知っていて且つ権利があると自覚しているのはキセキの世代だけだ。リコは割と笑う人よね、という解釈でいる辺り、赤司が負けているのだが、それは余談だ。 話を戻すが、それに対し赤司は―― 『僕の料理を食べているリコさんが見たい。美味しそうに食べる表情が見れたら尚良い』などと言い、リコの手料理を阻止した。 リコの敗北、その2――祝うべき相手に丁重な持て成しを受けたこと。 三番目に、当日。 赤司の料理は、男子学生一人暮らしの腕を大幅に越えていた。食器や料理のバランス、見た目も味も素晴らしかったのだ。女子大学生が声を揃える程の「女子力高ェ」に尽きる。平均を知らない、頂点を目指すのが基本の男だからこその料理だった。 しかも前日まで赤司に縁のあるさつきに相談し、服装を決めたりで緊張のゲージを上げすぎたのも良くなかった。 リコの敗北、その3――緊張と気づかぬ疲労の中、飲み物のアルコールに酔って、あっさり落ちたこと。 *** 長考ののち、リコは暗闇の中、盛大な溜め息をついた。 酔ったな、という記憶はある。だがその後、吐いたり、泣いたり、甘えたりした記憶もない。情報が飛んだのではなく、直後ぐったり落ちた気がする。 やや腕を広げ、服装を確認。さつきにコーディネートしてもらった服装のままだ。それでも赤司のベッドで寝ていたとなると、彼が運んでくれたのだろう。抱き上げられたような記憶と、驚きと恥ずかしい気持ちが微かに残っている。 回想、推測、そして予想。全ての欠片を集め、当てはめる。ほぼ筋は完成し、大きな食い違いはないと分かったところで、リコは気が抜け、再度ベッドに倒れ込んだ。穴があったら入りたい気分でいっぱいである。奇声もあげたい。 「どうしよう……」 時間戻らないかな。なんて現実逃避をしつつ、サイドテーブルに置かれた時計を見て、時刻を確認。 12月20日、23時16分。 2時間は寝ていたことになるが、日が越えていなかっただけマシだろう。気休めにそう思い、心を落ち着かせる。 ふう、と深呼吸。 今やるべきことを考える。逃避をやめる。現実を受け止める。 誕生日がもうすぐ終わる、時間がない。 決まった。やるべきことは、ひとつ。 リコは勢い良く起き上がり、手櫛で髪を整え、ベッドから降りる。衣服を軽く直して、赤司を探しに行こう。 急いで部屋を出る。彼女らしい、愚直なまでに真っ直ぐな勇ましさで。 一人暮らしの広さなので、飛び出せば大半リビングダイニングである。そこのラヴソファに腰掛けてスマートフォンを操作する赤司と、目が合った。 「リコさん、体調はどうです?」 緩やかに、問われた。その声に安堵もするし、ドキリと不安にもなる。 「赤司君……あの、その…」 次が続かない。即行動により何から切り出すか決めていなかった。またも失態。自分らしくない。 彼の誕生日を考え出した頃から、そう、こんなことばかりだ。 足が重たい。釘でも打たれたように、張り付き、動けなくなる。 「リコさん…?」 ソファのスプリングが軋み、音が鳴る。心配そうに問い質す赤司の声から、距離が近づいていることが分かる。それでも、リコの落ちた視線は上がらない。 「リコさん、」 優しい、甘やかす声色が全身をくすぐる。 だからこそ、リコは己を罵倒した。赤司の誕生日に、祝いも出来ない、と。むしろ彼の日常に己の失態を増やしているだけだ、と。 なんて様だ。年上らしい余裕ひとつも出来ないなんて。 うんざりしていないだろうか。料理もおもてなし出来ない女だと。誕生日も祝えない能力だと。体調管理も出来ない、だらしない人だと。 感情がぐしゃぐしゃに、混ざって、無性に泣きたくなる。無様さで泣くなど、己の矜持が許さないけれど。 でも、混乱する思考は留めることが出来なかった。 「………赤司君、……なら…いで…」 抱きついて懇願など出来ない。無様に無様を重ねるようで。それでもひとりで立っているのが辛くて、手を伸ばしてしまう。赤司の服の裾を掴みかけ、自分の動作に驚き、停止する。 情けない。情けなさ過ぎて、掴みかけた手を仕舞うタイミングも逃した。 こんなに弱くなってしまったのは何故だろう。 自分を監督に指名し、頼り、そして守ってくれた元・誠凛の彼らがいなくなったからだろうか。それとも赤司があまやかしてくれるからだろうか。リコは自分を構築するもの全てが尊く大切なので、ひとつにしぼれなかった。 「リコさん」 赤司の声に、リコの身体が震える。何を紡がれるか分からない怯えが表に出てしまった。 「リコさん、」 今度は少し可笑しそうな声色で、怯えを解くように。俯いたリコの顎を掴んで、持ち上げて。 「僕はそんなこと、思っていない」 裾を掴む手前で止まってやり場に困ったリコの手を取り、指を絡める。 「……え?」 「貴方を不安にさせている。僕に落ち度があった」 溢れて、するりと零れてしまったリコの懇願は、微かであり、掠れていた。それでも、どんなことも逃さないよう注意を払っていた赤司には聞こえた。分かった、聞き届けた。 強く握り、君に触れたいと主張する。リコの懇願を否定していると伝える。 「ち、違う! 赤司君は悪くないから!」 「ならば、リコさんも悪くない」 「でも、せっかくの誕生日なのに――」 「それなら、僕が望む言葉を下さい」 勢いが少し戻って来て、リコらしくなったところで、話しを少し逸らす。すると、リコは数秒完全停止したのち、何度か瞬き。安堵のあまり肩の力を抜いて、いつもの優しい笑みを零す。ゆるやかな動きだったが、その流れも赤司には悪くなかった。愛おしく感じた。 「………好きよ、赤司君」 こんな状況でも聡く、望む答えをくれるリコに赤司は満足する。しかも怯えながら、不安そうに吐露する表情もグッときたから尚機嫌は良い。 リコの悪酔いに多少「こんな展開は予測してなかった」と思ったが、酒に弱いと知ってアルコールを出した采配にミスを感じていた。 「これはお預けかな…」と思いながらリコを寝かし、いつもの生活のに戻って夕飯の後片付けをし、風呂にも入って、リコさんを抱きしめながら寝ようなどと考えていたら、彼女が起きて来たのだ。 やはり、ミスはなかったと思い直す。 奥手な彼女だから、押し倒す急展開は避けたかった。その流れは、どういう状況であれ、絶対拒まれる。リコから望むくらいでなければならない。だからワザとらしくイベントに乗じて予告したのだが――こういう効果は絶大らしい。赤司がリコの唇に触れると、おそるおそる首に腕を回してきた。 リコは大切なイベントに使命感を持ち、望むものを叶えようと努力している。そんなリコに赤司は「僕の彼女は可愛すぎる」などと、内心思う。冷静なんだか沸いているんだか微妙なところだが、幸せに満ちているのは確かだ。 「リコさん」 先程から何度も、何度も、彼女の名を愛おしく呼んでいるが、尽きない。 本能に抗うこと無く、リコの腰に手を回し、引き寄せる。吐息が肌に振れ、あまい声が耳に届き、熱を増す。少しアルコールが混じっているが、それを出した側がどうこう言えるものではない。 「お誕生日おめでとう」 「有難うございます」 「赤司君。渡し損ねてる、えっと…私が探して用意したプレゼントもあるんだけど、」 余裕がないな。そう、赤司は自覚しながらも、戸惑うリコの唇に触れ、言葉を遮った。 「それも魅力的で楽しみですが…後でいただきます」 今は僕が望んだプレゼントを下さい。 知識として脳に入れていた『恋』を己がしているのだと教えてくれた、与えてくれた相手に、格好良くいかない。がっつく性格ではないんだが、とも思う。 自身の行動に納得いかないが、吐露してしまった言葉をなかったことにも出来ない。赤司は抵抗せず開き直って返答を待つことにした。 「……がっかり、しないでね」 リコの赤面と小さな頷き、そして忠告。 昔馴染みのさつきから付き合い始めた頃「リコさん体型気にしているよ」という情報を得ている。赤司としては「大輝じゃあるまいし」と失礼なことを思ったが、目の前でそれを見ると、予想以上に可愛い。それと身体がゾクゾクするほど、クる。 「しませんよ」 しょうもない歓喜を表に出す失態はしない。リコを離し、手を握って彼女が飛び出して来た部屋へ誘導する。抵抗もないが、少し気恥ずかしそうなリコを見て、赤司の心は満ち溢れた。 リコと話し、接し、触れるたび、自分の新しい一面、まだ知らなかった一面、埋もれていた一面を垣間見る。それを恐ろしいのではなく、悪くないと思えることが、堪らなく良かった。 この3日後→それぞれの人がこうむった ちょっとした呪い back |