From A to Z






 ワザとらしいノックだ――と、扉を叩く音を聞いてそんなことを思ったのは、ずっと思い出せなかった幾つかの記憶を取り戻したからだろう。
自己分析しながらヨシュアは声をなげかけようとするも、その前に扉が開いた。
「初めまして。新しい乗客かな?」
 行儀悪く葉巻をくわえた男を、ヨシュアは微笑みで歓迎する。
 不思議と驚きはない。
アッシュが聞いたら危機感を覚えろ、と怒られそうだが。
 男は視線だけ動かして室内を見渡し、ヨシュアをとらえると、そこで止まった。
「やはりお前か――ヨシュア」
 柔らかな空気をすぱりと切り落とすような勢いで、男が己の疑問に納得の言葉を吐く。
 その態度に、見覚えのある面影が脳裏を掠める。
ヨシュアは瞼を軽くふせ、口元を緩めた。
「……ジョーリィ、君までこの船に乗っていたんだね」
 記憶に欠損があることを自覚している。
それでもモンドとジョーリィの言動と思案、アッシュが持ち帰ったタロッコと女の子、で容易く想像出来た。
「君の興味が船長室にあるとは思えないけど……用は何かな」
 ジョーリィが何に一番興味を持つか。
淡く微笑む表情は、彼の趣向を読み抜いた結果だ。
 だからこそ、船長室に運んだことが、予想外だった。 
 旧友と昔話をする為に、なんて誰が考えよう。
とりあえずヨシュアには思いつかなかった。
「……………」
 ジョーリィの沈黙に慣れている。
人の心を抉ろうとする時は進んで踏み込むのに、肝心な所で声に出さない。
躊躇っている雰囲気も嫌いじゃなかった。
それは流石に伝えた事はなかたけれど。
 ヨシュアの心が懐かしさで満たされる。
「ジョーリィ。リベルタとフェリチータに逢いましたよ」
 良い機会だ。
二度とない。
そう思い、ヨシュアが先に話題を振る。
「父さんの見惚れた女性はとても芯のある方なのだろうね。彼女のまっすぐさはとても綺麗で…外見だと赤髪は父さんそっくりだけど、その他が似なくて良かったね」
 昨日逢った、跳ねた髪に愛嬌のある笑顔のリベルタと、耳より高い位置で赤毛を二つ結びした可愛くも勇ましいフェリチータを脳裏に浮かべるだけで、自然と笑みが零れた。
「それは、同感だな」
 ジョーリィは気怠そうに、葉巻の煙を吐く。
 文面と態度だけなら、割と仲が良さそうに捉えられる。
が、第三者がこの場にいたら、温かくも冷たくもない無の空気が漂っていることに、不気味さを覚えるだろう。
 ふたりの距離は近くとも、遠くとも、どちらにも傾く。
しかも嫌悪と温厚が貫きあっている。
通例にしていた彼らの感覚が狂気の沙汰だ。
「私が言えたことではないけど……リベルタの育ての親に感謝していることを伝えて下さい。あんなに潔く、無邪気な笑顔をみせる子に成長したのは、その方のおかげでしょうから」
 ジョーリィが育てた、という発想は一切ない。
だけれど、モンドの手前、妥当な人物に任せていると疑わなかった。
「思いだしたのか」
「えぇ、一番大切なことを思い出せました」
 願いに対し返事がなくても、構わなかった。
そもそもそこまでの期待などしていない。
忘れた頃で良い。
切り出す機会があれば十分。
 やはりジョーリィが状況把握してここに来たのだと確信しながら、ヨシュアは頷いた。
「そうだ、君の子を見たよ」
「…………頭が沸いたか」
 微妙な間合いの反応だったと、分かっているのだろうか。
動揺の一瞬を、ヨシュアは目敏く捉えていた。
「沸い…?甲板に出ているところを少しだけですから、じっくりと見ていませんが、黒い帽子から癖のある黒髪がはみでた青年です。おや、違うのかな?」
 恋愛や家庭のことなど、噂で好みそうな類に聡い方ではなかった筈だ。
むしろヨシュアが不思議そうな面で「不思議だね」とつぶやき、二重でうざかった記憶がある。
 だからこそ、ジョーリィには釈然としない。
どうして、そういう発想に至れるのか。
聞きたくはないが、問わなくていい内容でもなかった。
でも――この男に、答え知りたいと、問いかけるくらいなら。
「――違う。あれは弟子だ」
 言葉を、想像を、遮る。
全てを拒絶する雰囲気で。
答えをもって話題を打ち消す。
無かったことにする。
「そうか、君の弟子か……私が早とちりしたようだ。すまないね」
 その返答に、ヨシュアは瞠目を露にするだけ。
 それならばそれで。
君が決めたのならば。
 表情を繕えるヨシュアの反応は判別しにくい。
けれどもそれが嘘くさい相槌だと分かっていた。
彼が繕いを完成させるまでの時間、日々を共に過ごして来ただけのことはある。
 ジョーリィはとてつもなく不快そうに眉間に皺を寄せ、苛立ちの色を見せた。
「私からは以上だよ。ジョーリィ、君の用件はなにかな?」
 ヨシュアは軽く手を差し出し、促す。
すると、ジョーリィが数歩前進して距離をつめ、その手に葉巻を押し付けようとするので、サッと避けた。
「通り抜けないし、それは私でも熱いよ」
「なんだ、触覚はあるのか」
 探求心による狼藉。
そう汲み取っての応答だが、行動に移す前に一言欲しい、とヨシュアは思う。
その譲歩そのものが可笑しいと、一番肝心なことには気づけていないが。
「それで、ジョーリィ」
「あぁ、もう済んだ」
「………は?」
「お前は早く去ね」
「え、えぇ。私の予感ですが、迷惑をかけます」
 ヨシュアごと捨て去るように、ジョーリィが言い切る。
そしてそれを受け取りながら、別のことを切り出すヨシュア。
しかもほぼ押しつける勢いで。
 露骨な舌打ちと共に、ジョーリィは身を翻す。
その後ろ姿に、ヨシュアが「そういえば」と思い出した口調で投げかけた。
 止める行為ではない。
良い機会の最後に、という軽い気持ちだ。
「ジョーリィ。目の色素が薄くなったのは錬金術による代償かな?」
 どうしてサングラスをかけているのか。
それに対し、ヨシュアはそう分析して問いかけている。
「代償ではないし、光線遮断力の衰えでもない」
 否定のみ。
理由らしき回答はなかった。
 足音がこつこつと響く。
きい、と音を立てて扉を開ける。
動きは止まらない。
「それならサングラスなんて勿体無い。その瞳は麗しいですから」
 出て行くジョーリィと、閉まっていく扉を見ながら。
別れ以外の言葉を紡いだ。
 聞こえていても聞こえていなくても。
どちらでも良かった。
いつもそうだったから。
それもこれが最後だ。
 この最後も、諦めない。
 いつか伝われば良い。
それくらい気持ちが、君には丁度いいから。
 ヨシュアはひとりになった船長室で、仄かに微笑み、微かな声色で唱える。


「Il mondo e bello perche e vario.」
(世界はすばらしい、なぜなら世界は多様だから)
(君の世界に、幸あらんことを)








 不老のことを最後まで問わなかった度胸もとい螺子の飛んだ所も懐かしい。
 初めて逢った頃から。
どんな言動をとっても、苛立ちの表情を見せず。
何処までも分かり切ったような口調で。
まったく他意のない台詞を吐いて。
助言をおしつけていく。
 温厚で、頑固な男。
最後までそれを貫いていた。
 昔に捨て去った感覚が嫌に思い出される。
感情を掻き乱される。
不愉快でしかたがない。

『どうした、ジョーリィ。サングラスなんて……思春期か!』
 何がそんなに嬉しいのか、理解不能だ。
男の瞳がキラキラと輝いていることが一番不気味だった。
『違う。右目への視線が苦痛で対処したまでだ』
『苦痛?あぁ、スティグマータか。瞳の色と模様がお前らしくて好きだぞ?ほら、はずせ』
『モンド、しつこい』
 男が思っているだけで、知っているだけで、良かった。

『あ、ちょっと驚いた……ジョーリィの瞳って綺麗なのね』
『お嬢様。私をどう見ているのかな』
 気づいたことが嬉しいという表情が、悪くなかった。

 本当に類似している。
肢体を貫くような台詞をあっさり紡ぐ。
 ずかずかと心に入り込み、当たり前のように居座っているな錯覚。
本当は、向こうが引き込んでいる感覚。
 もっと重要な点は幾つもあるのに。
彼らはいつも瞳を見て、満足そうに微笑む。

「血に捕われたのは私か…」

 ぼやきはひんやりとした空気に混じり、掻き消えた。
 視界が立ち籠める霧で埋め尽くされる。
不快な感覚を心の隅に追いやれば、自然と溜め息が漏れた。
 紛らわすように、事の整理に切り替える。
 幾つか成すべきことを片した。
まだやれることはあるが、最低限に動く気しかない。
そのひとつ、モンドに手土産――これも今、済んだ。
 あとは時を待つばかり。
他が動いて、事の終わりを見届けるだけ。
 ジョーリィは軽く腕を横に流し、葉巻を海へ落とす。
長らく航海してきた男に対し侮辱の意を兼ねたのだが、何処か手向けのように思えて。
己の動作に後悔を覚えた。



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