My heart still remembers
いつものようにぐっすり寝ていたら、玄奘が「朝を過ぎていますよ」と起こしにきた。 困った口調ながら毎日欠かさず起こしにきてくれることが嬉しいなんて言えるわけもなく。 「おはようございます、悟空」 「………おはよ、」 気だるさでそれを隠しつつ、悟空は目を覚ました。 「二度寝しないでくださいね?」 「わかってる」 起床を確認してから玄奘が部屋を出て行く。 これがいつものこと。 長居しないのは、悟空が引き寄せて一緒に二度寝したことがあり、それを学んだゆえだろう。 すぐいなくなることに寂しさと不満があるけれど、しくった自覚もある。 これについて悟空は諦めていた。 寝台から離れ、早々と身支度をし――ぐだぐだしていると、今度はそれなりに怒ったと顔を合わすことになるので、限度が必要なことも把握している――部屋を出てみれば、やけに静かだ。 いつもは子供の声で騒がしいのに。 「あぁ…」 悟空は何かあったのかと一瞬焦るも、外を見て納得した。 安堵を混ぜた唸りをひとつ。 雨が降っている。 寺院の中で遊んでいても、流石に外よりは落ち着いてしまうようだ。 外へ視線を向けたまま、逡巡。 昼食を作るまで少し時間がある。 何処となく脳がぼんやりしており、今子供たちと逢ったら色々ボロボロになりかねない。 それを避けたいのが本音だ。 降りしきる音につられ、 「まぁいいだろ」 傍にいない玄奘に向けて、言い訳を零し。 悟空は外に面した廊下へ足を運んだ。 雲行きは悪く、昼なのにも薄暗い。 気分は滅入りそうだが、雨漏りの心配もしなくてすみそうな、恵みといえるほどの優しい雨。 湿気がさほど高くないようで、肌はべたつかず、しかも寒くない。 加えて風もゆるく、屋根の下ならば雨にもかからなかった。 「悪くねぇな」 そう、悪くない雨。 嫌でもない雨。 悟空はひと欠伸してから、廊下に腰をおろす。 特に意味などない。 何となく、ここでしばらく雨を見ていたかった。 こんな衝動、悟空は持ち合わせていない。 どういう動機か察しながらも、あえてすぐに答えを出さず――ゆっくり紐を解くことにする。 元々早急は好まない。 だるくのんびり出来るのであれば、それに越したことはなかった。 しとしとと、雨が啼いている。 花弁や草木、屋根に雫が落ち、流れていく。 大地が水浸しになるのも時間の問題。 これで晴れたら、子供達が外に飛び出し、服をグシャグシャに汚すだろう。 面倒な未来も想像に容易い。 それでも、それでも。 今日の雨は綺麗だ。 自分らしくないと馬鹿らしそうに、悟空は瞼を閉じる。 視界を閉ざしても、静かに雨音が耳に響いた。 身体に反響する。 静かに静かに、微かな雨音が、水面のように浸透していく。 記憶に引きずられている。 それだ。 それがしっくりくる。 廊下で腰を下ろした珍妙について、理解させられた。 嫌で仕方が無かったものを、今では素直に受け止められる。 自分には無い感覚も自然に感じ、大事にしても良いかとすら思えた。 それに至ったのは、心の余裕、だろう。 安心して未来をえがくようになったから。 愛おしい女が傍にいて、笑って、すごせるから。 「ったく……勘弁しろよ」 そう零しながらも、悟空の声色に苦痛は見られない。 自分のものではない何かを拒まず、ただただ受け入れる。 ゆったり心を侵略し、脳裏に浮かび上がるもの、ふたつ。 ひとつは、綺麗な自然の一角で、距離をあえて定めながらささやかな逢瀬を大事にするもの。 もうひとつは、距離が縮まらない立ち位置に苦味と対等の安堵という複雑な感情を抱くもの。 ふたつだけ、ふたつで埋め尽くす。 やはりどちらも悟空のものではない。 魂が重なり悟空になる前の――元・身体の持ち主が持つ記録と、別の魂が持つ記憶。 どちらもとても「雨」を大事にしていた。 魂を吸収しあい、新しい魂に変えても残る思い出、意思、尊い気持ち。 だから旅をしていた頃は、雨が降る度、頭痛が強まったのか。 記憶のズレ、混乱、訴え。 それほどまで大事なもの、と今更納得した。 さあさあ、と軽い雨音が、感情の侵略を強める。 どれだけ「雨」が尊いのか。 勝手に伝えてくる。 溢れ出させる。 「そんなに良い女なのか、」 金蝉子って仙はよ。 身体に残るふたつの魂は、立場も思考もほとんど対極だが、ひとつだけ、一緒だった。 捧げた心、押し留まった距離。 愛おしむように雨を見つめる横顔が、とても綺麗だと。 条件は違えど、同じこと想っていたなんて。 その心に溢れる感情を、悟空はよく知っている。 似て非なる魂3つ、共感するものがあって。 気付きたくなくとも、察してしまう。 「俺も一緒か」 ――同じ光を宿す魂に惚れ込んだ 金蝉子と玄奘は同魂だが、転生の時点で同一人物とならない。 頑固なところは似ているものの、だいぶ性格も違う。 それでも、同じ光に、命をかけた。 「まーでも、俺の勝ちだな」 勝ち負けの問題ではないが、つい張り合ってしまう。 会話なんて成り立たない、身体の中に未だ残っているかもしれない――自分が全て飲み込んだ可能性もあるけれど、確認していないので曖昧のままだ――居候の魂と。 余計かつ不謹慎で失礼極まりないことだと、悟空は自覚している。 だけど、何百年も頭痛に悩まされ、散々迷惑かけられていたのだから、八つ当たりくらいさせてもらいたい。 「何に勝ったのですか?」 何にって。 愛する女を幸せにするために、自身が生き抜いたこと。 手放すのではなく、見守るだけでなく、最後まで支えて死ぬのではなく、共に生きること。 地位も違う、背負うものも違う。 でも、惚れた女どうこうの言い訳にはならない。 こればかりは答えしか評価しないものだろう? ほぼ似た光を手にしたのは、悟空であり、それについての勝ち、だ。 「玄奘か。どうした」 「質問に質問を返さないでください……やけにご機嫌ですね」 「まぁな」 「……悟空?」 「玄奘、」 悟空は玄奘の細い腕を掴んで引き寄せる。 すると簡単に懐に倒れこんだ。 「ご、悟空?!」 「ちょっとは俺を構え」 「話が噛み合ってません!」 質問の、何の勝ちか、について。 玄奘に説明したら説教だなんて、分かりきったこと。 悟空が言うはずもない。 「もぅ。ご機嫌な悟空は何処か不気味ですね」 「おい、こら。それは言いすぎだろ」 「………悟空。痛みは?」 玄奘が悟空の頭を軽く撫でて、やわらかく微笑んだ。 旅をしていた時も、こうやって心配してくれていた。 変わったことがあるならば、触れながら問いかけてくれること。 あとは変わりない。 気持ちも、優しさも。 本当に、玄奘が与えてくれるものは揺るがない。 「ない」 嫌な痛みはなかった。 少し下種かつ余計かつ卑怯かつ生意気なことを思っていたから、その概念すら忘れていた。 「今は……雨も嫌いじゃねぇよ」 その返答に玄奘は一瞬目を丸くするも、すぐに笑みを浮かべ、 「それはよかった」 自分のことのように、安心する。 優しく微笑むこの光は、誰でもない俺のもの。 心を侵略していた自分以外の感情をそれで掻き消し、悟空は玄奘を強く抱き寄せた。 back |