I was moved






 花には興味ないが、月と下で酒を呑むとなると話は別だ。だからそれなりに春を待ちわびる感覚も気に入っていた。試衛館にいた頃、気の合う仲間たちと酒を酌み交わして以降、その気持ちは強くなる。
 楽しかった、そう単純な言葉で言えるほど。春を待ちわび、桜が咲く前から呑んで、咲いても呑んで、くだらないことや、これからのことを話しながら、沢山笑った。
 だから、だから――あんなにも楽しかった花見が、もう手の届かなくなってしまったから、思い出しては苦しむのも嫌で、避け始めた。振り返るのも嫌なのに、あの鮮やかな思い出を忘れたくないとも思っていて。
 ほんの一度だけ、左之助が十番組組長をやっていた頃、千鶴と一緒に夜桜で花見をしたことはある。それだけ、自分の中で許し、千鶴といることを選んだ。
 それっきり――という辺り、存外思い出に対し脆い部分があるな、と左之助は春になるたび、思っていた。





 日本を離れ異国に移住し、海までほど近い場所に家を構えて数年。左之助の好みで決めてしまったが、千鶴はそれに対し「左之助さんのいる場所でしたら何処でも良いです」と言って微笑んだ――なんて惚気は置いておこう。そんな流れがあり、左之助はひとりでも、千鶴とでもよく海辺まで散歩にでかけていた。
「今日はこっちなのか?」
 なので千鶴から「お散歩に出かけませんか?」と誘われた今日も、海だと思い込んでいた。
 蔽い茂る葉の隙間から零れ落ちる陽射しと、少しひんやりとした風が吹き抜ける森林が、今回の散歩道らしい。
 ここは海と同じく家の近隣にあり、歩道の整備を少ししているので獣道でもなし、傾斜も緩やか、散歩にはちょうど良いから、この森林にも散歩へ足を運ぶことはある。
「はい、嫌でしたか?」
 隣より一歩後ろを歩く千鶴に視線を向けると、首を少し傾げて聞き返された。幼さの残る仕種で可愛いと思っていることを、左之助が千鶴に言ったことは無い。声に出してしまうと、千鶴は拗ねたりやめようと心掛けたりする、と目に見えていたからだ。
「いや。千鶴の行きたいとこで良いぜ」
 伸びた枝など、千鶴が怪我しないよう注意をしながら左之助が少し先を歩く。ふたりで並ぶことは出来るが、少しそそっかしい千鶴のことを考えるとそれが左之助にとっては最善だった。
「だいぶ、暖かくなってきましたね」
「そうだな」
 やっと冬も終わったな、と思えるほどには最近暖かくなってきた。京や江戸に比べて現在住んでいる場所は同じ時期でも寒く、尚更感慨深い。
「はい。春を待ちわびていたので、すごく嬉しいです」
 千鶴が歩くのに支障ない程度、左之助にくっついてくる。そんな小さな動作すら左之助には愛おしく、ついつい散歩中なのにも関わらず、千鶴を後ろから腕を回して引き寄せ、額より頭上に唇を落とした。
 触れる、という柔らかさ。ちょっとした愛おしいという気持ちを伝える態度。
 それを少し可笑しそうに、千鶴は幸せな表情を零した。
 出逢って何年もの時が流れているが、いつでもふたりの間には変わらない雰囲気がある。
 左之助はそれをいつも感じる際、昔よく不安に駆られた『変わってしまうこと』を思い出したり、本当に『変わらないこと』があると知った喜びを、噛み締めさせられていた。


「左之助さん。茂が生まれてからの年月は本当あっという間で……日本を離れ、異国の生活への苦労なんてすっかり気づかないまま慣れてしまった気がするんです」
「あぁ……そうだな」
 異国という移住は千鶴に沢山苦労をかけたと思う。
 左之助は千鶴と酒があれば生きていけると、そう選んだから何も感じていなかったが、女は強くも柔な部分がある。それでもいつも頑張っていた千鶴に有難いとも、申し訳ないとも思っていた。言葉にしても、千鶴は否定するだろうから――左之助が異国移住に対して詫びたことは無い。
「隊士の時も早ぇとは思ってたがなぁ……」
 目まぐるしく流れる時代を新選組として駆け抜けた時期もそう思っていたが、今はそれ以上だと思える。
 左之助と千鶴の間に産まれた息子――茂の、子供の成長が早いからかもしれない。手間がかかるのも愛情ならなんとでも補えるし、何よりふたりとも茂を愛している。だから、家族と過ごす時間が愛おしく、時間の経過が早く感じていた。

「左之助さん。何も言わずに連れてきちゃいました。ごめんなさい」
「は…?」
 千鶴に技量があるのか、左之助が緩すぎたのか。
 申し訳無さそうに、眉を下げて微笑する千鶴に、左之助は気持ちが追いつけない。
「着きました」
 その言葉で、左之助はやっと、千鶴に謀られた、ということに気づく。
 次の瞬間――風が頬を撫で、ふと視線が千鶴から離れる。どうしてそちらを向いたのか、理屈なんてもはや分からない。目に飛び込んでくるもの、それだけで頭がいっぱいになった。

「……――桜」

 息を呑む。
 異国の事で知っていることの方が少ない。日本にあるものが異国に無いことの方が多い。だから、桜も異国には無いと思い込んでいた。
 気持ちが溢れ出る。抑えきれない。懐古の思い出が、駆け巡る。
 唐突に飛び込んできた桜に、視覚や感情が隠せない。動揺が露わになる。
 無意識で千鶴を引き寄せた。
 千鶴もいなくなってしまうんじゃないか、なんて不安に駆られて。
「茂が見つけてくれたんですよ。この桜」
 千鶴が左之助の腕の中で、静かに言葉を紡ぐ。
「――茂が?」
 その言葉に、心静まる。溢れていたのが嘘のように、落ち着く。
 千鶴の視線は桜に注がれていて、どういう表情をしているのか分からない。左之助も倣って桜を見上げた、というより見直した。
 日本によくある染井吉野特有の幹や花びら、色彩では無いが桜のひと種類だろう。蕾ではなく、もう満開に近い。一番美しく、花見としては良い、七部咲き。
 もうそうお目にかかれないと思っていたからだろうか。感無量、という感覚でそれ以上、伝えようにもない。
 茂と一緒に、ってことだけですっかり忘れていたが、自分自身こんなにも四季の花が好きだったらしい。俺が花ねぇ、酒もなく……と左之助は心で少しテレくさいような、おかしな気持ちになる。
「はい。それから私をここに連れてきてくれて、これが何かと聞いてきたんです」
 この辺では見ない淡い色の花をつけた樹木を見つけたと言った茂に、散歩兼ねてそこへ連れて行ってもらったのがきっかけだった。
 茂は日本国外で生まれ、過ごしている。それだからこそ、左之助と千鶴は茂に日本を知っていて欲しくて、四季の中にある行事をひとつひとつ、丁寧に行ってきた。事細かにいうと、日本のことを異国でやり遂げるのは難しく、それっぽいなんてこと幾つもある。
 家族一緒に何度も四季を、行事を繰り返し、茂もどういう文化なのか肌で感じられる子供になった。
「私も初めてこの桜を見た時は驚きました。そうしてすぐ、左之助さんにも見せたいと思ったし、躊躇いもしました」
 千鶴はその時、どんな表情をしていたのか。左之助にとってそちらの方が気になった。また、悲しませてしまったのだろうか、という悔しさが滲み出てしまう。
「躊躇い、か」
「はい。左之助さん、桜を……避けていた、でしょう?」
 試衛館にいた頃、花見名目で飲み交わした思い出を直接話した記憶は無い。他の誰かから聞いたことがあったのかもしれないし、酒好きが桜の下で呑まない違和感から気づいたのかもしれない。
 左之助は思っていた以上に、情けない感情の揺れを隠し通していたいと、千鶴に格好つけていたかったのだと、改めて痛感させられる。
「それと、その時……茂に桜だと教えたら、こう言ったんです」
『父さまは母さまといっしょの月見は大好きなのに、どうして花見はしないの?父さまってきせつかんじるおさけ、好きでしょ?』

 前々から不思議だった、という雰囲気で聞いてきたらしい。
「だから今回も、私と一緒に見に行けば、左之助さんも桜が嫌いじゃなくなるって」
 桜が嫌い、というのは間違った解釈だが、避けていたのでそう思ってしまう流れは普通だ。
 見つけた自分が連れて行くのではなく、千鶴と行けば大丈夫だ、と茂は思う発想が子供らしいというか、飛びぬけているというか。そこまでしてでも、左之助に見せたかったのは――
「一緒に四季を楽しんで思い出にしたいから、息子のために諦めて、花見して欲しい……と」
 父親は息子の願いをかなえるものです。
 そうはっきり千鶴に言いのけた。
 両親の愛情をちゃんと受け止めた結果なのだろうけれど、千鶴は呆気に取られ、しばし反応が遅れてしまったのは言うまでも無い。
 そしてその言葉に、確かに良いことならば息子と一緒に過ごしていくのが父親と母親のやるべきこと。大人の事情なんかで子供を振り回してはいけない。そう思い、千鶴は茂の発想に荷担した。
「茂は、私達が思う以上に気づいているみたいで……驚かされてばかりです」
 右斜め上の行動をしてくれる。思っている以上に子供ってのは両親のことを見ていて、大人みたいに察して、気遣う。少し以上の成長をしていく茂に、千鶴は驚いたし、嬉しくもあった。
「なんだ、そりゃあ……」
 間接的に聞かされた左之助でも呆気にとられる。
 触れている千鶴から子供の成長を喜ぶ感情が溢れ出ていることも感じていたし、自分も同じ気持ちに満たされていた。
 茂は何を思って、千鶴に頼んだのだろうか。息子に気遣われるなんて自分を情けなくも思うし、そんな息子に誇らしく思う。
「生意気になりやがって」
 四季感じる花見を思い出にしたいから父が諦めてくれと要求する息子に、左之助はそう思わずにはいられない。そうして、それなら仕様が無い、花見でもするか……と思えた。
 いつか息子も巣立ってしまう。息子も離れていくのに、それでも良いと思えてしまったのは――父親になったからだろうか。千鶴は勿論のこと、左之助も息子の茂にあまい。
「左之助さん。左之助さんの子供を、茂を、産めて……すごく嬉しいんです」
 初めてでは無い。千鶴は何度もその言葉を零してきたし、左之助は何度も聞いていたが、いつも真新しく聞こえた。
 千鶴が言葉を噛み締めるよう、左之助に抱きついてくる。
 茂が愛しくて心満たされている千鶴を見て、未だ左之助は息子に焼く。だけれど結局のところ、女としての千鶴も、母親としての千鶴も、どちらも綺麗で、堪らなく好きだった。なので、母親の表情をもう少し見ていたかったんだが……と名残惜しく思った、の方が今は強い。
 左之助は千鶴の腰に回していた腕に力をこめた。幸せの余り泣きそうな千鶴の額、瞼、頬と口付けし、想いを伝える。
 愛していることも、これからも傍にいることも、変わらないことを教えてくれたことも、変わっても恐くないと思わせてくれる息子を産んでくれたことも、全ての感謝を、今も、そしてこれからも、沢山伝えたかった。


「――う…ま、……か…さ、!」

 微かに千鶴以外の声が耳に届く。聞きなれた声、危機感が湧かない。
 左之助は千鶴を抱きしめたまま、声のする方に視線を向ける。先ほどまで千鶴と歩いてきた道の方から、小さくも茂だと確信出来た。
 左之助の視線に気づいたのか、茂が腕を振りかざしてくる。小さな手に、左之助の大好きな銘柄の酒。
「あぁ、くそ……俺の降参だ」
 何処までが茂の計画なのだろう。何処から千鶴の入れ知恵、提案なのだろう。
 息子のためとはとはいえ、謀ったことに怒ろうと思っていたが、ここで茂が来るとは予想もしておらず、怒る気力が削ぎ落とされてしまった。
「左之助さん、夜桜の花見もしましょうね。いつかのように、今度は茂と3人で」
 気の合う仲間と共に酒を酌み交わすことが出来なくなっていることに気づいた頃、一度だけ、千鶴とした花見を今持ち出されるとは。
 本当に敵わない。
「あぁ」
 抱きしめたまま、茂から視線を外し、千鶴と目を合わせてから頷く。
 すると千鶴が嬉しそうに、柔らかく微笑んだ。未来は必ず幸せで満ちていると思わせてくれる、そんな雰囲気のある表情だった。



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