The etarnal triangle






 その出来事は、ミネラルウォーターを取りにキッチンへ向かった時に起こった。
多分何度巻き戻し繰り返しても、同じ行動をしていただろう――と思うくらいには喉が渇いていた。
要するに、どうあっても避けられない展開だった。



「京也」
 名前を呼ばれ、キッチンからリビングに視線を向ければ、ソファに腰掛けた桃子が見えた。
「なに?」
 目的であるミネラルウォーターを冷蔵庫から取り出してから、問いかける。
ふたりに少し距離があり、声を張り上げなきゃいけないとか桃子から文句が出そうだと思い、リビングまで足を運ぶ。
 よくよく考えてみれば、そこから行けなかった。
後々、京也は後悔している。
「おいで」
 なにが。
 そう問いかけようとするも、桃子が自身の太ももとを叩いているのに気付き、言葉を失った。
しかも手に持っているもの――耳かきをくるくる回しており、そこに目が行く。
嫌な予想的中、追い討ち、決定打。
 桃子は、膝枕で、耳掃除してやる。
そう、言っているのだと、理解させられて、しまった。
「いや……いやいや、いやいやいやいや。それはない、俺の命があぶねぇから」
 微かながらシャワーの音が耳に届く。
消去法で響が風呂に入っていると導き出し、そちらに意識が飛べば尚更、拒みたい。
否、全力で拒んだ。
 鬼は花嫁に絶対服従なみの愛情を注ぐが、同血縁までそれを適合させない。
そう、花嫁だけだ。
脳裏に桃子の親友である神無の旦那・華鬼を浮かべたが、あそこは例外。
 とにかく、父の響を考えると――背筋がぞわりとした。
「何いってんの、あんた」
 珍しい態度をとる京也に可笑しそうな表情を浮かべながら、桃子は手招きしている。
「桃子、だから俺は」
「京也」
「人の話し聞けって」
「――はやく来い」
 問答無用。
独裁者のごとく、気紛れで息子を振り回さないで欲しい。
「………ねぇだろ、本当に」
 内心盛大な溜息ひとつ。
そう零しながらも、京也から折れた。
 全力で拒みたい心は変わらない。
羞恥など掻き消えてしまうくらい、身の危険を感じている。
 だけれど、拒み続けたって、こういう状態になった桃子が許すわけがない。
早く済ました方が良いと経験が教えている。
「どうした、いきなり」
 京也はソファに寝転がり、桃子の膝に頭を乗せた。
桃子を見上げるなんて久しぶりだと、幼き頃の感覚をぼんやり思い出す。
「んー?あんた、もうすぐ誕生日でしょ。お祝い」
 少し楽しそうな桃子の声色に、不機嫌よりマシかと思う。
不機嫌の時に耳掃除なんてしたら、耳かきを思いっきり差し込まれかねない。
「…………は?」
 驚いた。
確かに数日後、誕生日を迎える。
元々興味もないが、京也は自分のことながらすっかり忘れていた。
 祝われたことが無い訳じゃない。
年の概念が薄い鬼とは違い、人の桃子はそういうのを大事にしていた。
というより桃子が誕生日に良い思い出がない――響が祝う時の桃子は嫌そうに見えないので、もっと昔のことなのだろうと京也は考えている――ようで、京也には悪いイメージを残したくないらしい。
 そんな思惑あり、京也からすれば自分の誕生日ながら「放任主義で構いたがらない桃子が珍しく気にかけるイベント」という印象が強かったりする。
「え、っと……桃子?」
 自分らしくない、と京也自身思うくらいには、言葉が途切れた。
 子離れしろ、というほど桃子はべったりしていないというか離れすぎているから、たまに近いと戸惑ってしまう。
どうしていいのか、分からなくなる。
振りほどきたくなるほどのものでもないから、拒めない。
「何、欲しいものでもあるの?」
「いや、ねぇけど」
 桃子は物欲だが、響は桃子がいればいいし、京也も響に似た。
だから桃子にあげるプレゼント以外は形なきものが多かった。
そこに違和感はないのだけれど――
「なんで耳掃除なんだよ……」
「うん?思いつき」
 あーでしょうね。
 京也は心で頷いた。
当日閃きで決めたりするような女だった、としみじみ思う。
そういう感覚は慣れているし、嫌いじゃない。
「響と耳の形似てる…うわぁ、」
 耳は指紋同様ひとりひとり違うもの。
やはり親子、造形が似ている――と桃子は気付いた。
「引くなよ。つーか俺にそんな情報教えんな」
 仲睦まじい両親を見ている京也は『耳掃除をしている両親』に驚きはない。
ただ事実を突きつけられたことが、困るだけ。
 その後、会話はしばし途絶える。
秒針を刻む時計の音くらいしか聞こえない。
 こういう感覚も京也には悪くなかった。
柔らかいあたたかさは心地よい。
「……………やべぇ。桃子、眠い……」
 その発想がスイッチのように、だんだん眠たくなってくる。
「京也…?」
 悪い、もう無理。
返そうとするも、声にならなかった。
 静かだ。
異様なくらい。
そういえば、
なんだっけ。
ダメだ、眠たくて考えが――

「何をやってる、桃子」

 ビリッと京也の背筋に悪寒が走った。
眠気が飛ぶ。
脳がフル回転する。
 異様に静かなのは、風呂場の音が消えたから。
響があがったから。
そして危機感があるのに何処か落ち着いているのは、誰か分かっていて、それなりに安心しているから。
あと、起こしても「勝手に動くな」と桃子が怒るから。
幾つか答えは出たけれど、一番最後が最重要項目である。
「響?耳掃除だけど」
「だけど、じゃない。おい、京也」
 怒りの矛先が移動した。
 京也は予想してたことだろと自分に投げかける。
響がこれを見たら苛立つと、殴り殺しかねない展開だと、分かっていた筈だ。
それでも折れたのは京也であり、そういう教育にいつのまにかなっていた桃子なのだけれど。
「ちょっと邪魔しないで」
 響がソファの背もたれ側から桃子の手にある耳かきを取ろうとする。
が、桃子は空いた手で響の手を叩き、阻止した。
京也の頭上で夫婦が睨みあい。
「誕生日祝いなの。たまには母親らしいことさせなさいよ」
 やると決めたからには完璧に遂行する。
そんな意識と母親らしいと主張されても、京也としては困りものだ。
とりあえずこの流れをどうにかしてもらいたい。
「……誕生日?あぁ、それでそれか?」
 とても不服かつ、そういえばと思い出したような響の声。
何でも嫌だろうけれど、桃子が言うならと少し悩んでいる。
「もういいよ。俺、退くから」
「京也」
 耳かき、(耳に)突っ込むよ。
 そう言われているような雰囲気で、名だけ呼ばれる。
 ぐっと無意識で起き上がろうとしていた身体が止まった。
先ほど思った別の危険が起ころうとしている。
 鬼は万能だが完璧でもないから難聴する――だろう、多分。
京也は例を知らないので断言出来無いが。



「はい、終わり」
 終わり、を告げられ、京也は身体を起こす。
 結局のところ。
桃子の主張を尊重することにしたのか、響は邪魔をなかった。
耳かきが終わるまで、京也はずっと嫌な気配をひしひし感じたが、桃子は我関せず。
マイペースなお祝いは気持ちよくて眠くなる半分、身の危険から早く終わって欲しい半分と、とても複雑な気持ちいっぱいだった。
「どうも」
 一応――危険を感じるお祝いなんて普通無い――お礼をすると、桃子は口元を軽く上げて笑った。
満足そうな、母親の感覚まじりの表情。
こういうのは滅多に見ない。
 京也はもうひとつ、貰った気分がした。
「響は?」
「する」
 飴と鞭。
分かってやっているのか、分からずやっているのか。
桃子の問いかけに、響は即答する。
「つめた…!ちょっと響、髪濡れてる!」
 膝枕の際に触れた響の髪が冷たかったようで、桃子が非難の声をあげる。
起きろ!と怒り、響の肩に乗ったタオルを奪って髪を拭き始めた。
響はというと、桃子にされるがまま、口元を緩め、笑っている。
「じゃ、おやすみ」
 寝るにはまだ早いが、そそくさ退散するべし。
京也はセンターテーブルに置いていたミネラルウォーターを手に取る。
「おやすみー……って、そうだ、京也」
「なに」
 引きとめないでくれ、と京也は思いながらも、振り返った。
「お誕生日おめでとう」
「いや、だからまだ誕生日来てないから」
「当日また言ってあげる」
 誕生日が今日でないことを忘れていた訳でも、今本当に言いたかった訳でもなく、ただ思ったから口にしたような雰囲気で、桃子は嬉しそうに笑う。
「……どーも」
 桃子のざっくりした感覚は今更どうこういうつもりもないし、未だ分かりかねる。
だが、指摘するのも馬鹿らしいと思うくらいには慣れてしまった。
 苦笑いとテレ笑いというなんとも珍妙な感情を混ぜなが、京也は再度一応なお礼を返した。



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