The coast is clear
「あたしが言うのも何だけど」 そんな前振りで、凄い複雑な――面倒くさそうな、困ったような、呆れているような、悔しいような――表情を見せる水鬼に、風鬼は息を飲んだ。 こういう切り出しは、だーーーいたい、良いことが、無い。 「なにかな、水鬼」 冷静に冷静に…と唱えながら、夕食を作る手は止めなかった。 風鬼自身が思うのもなんだが、失敗したら、ちゃんとしたご飯にありつけない。 沙耶が主になり、一緒に生活するようになってから学んだことだ。 思った以上に、妹達は不器用というか、頑張りやさんだけど、料理の神は降りてこなかった。 「まだ主さまに手ぇつけてないの?」 「―――ぶっ!!」 動揺して唾を拭くも、目の前の料理と水鬼からは避けられた。 料理人の鑑、と褒めていただきたい。 「ご、ごほっごほごほ…」 そして情けなく、むせる。 あーあ、と水鬼には予想済みだったようで、呆れ面に軽く首をかいていた。 「なさけなーい」 くうきーとか最近言い始めた金鬼が、いつのまにか水鬼の横でへらーと笑っている。 なんという止めだろう。 風鬼はかなり、動揺した。 妹達にこんなこと言われる日が来るなんて。 ぶっちゃけ、邪魔している自覚あるくせに、よくもそんなこと言うなぁとか思ったりもする。 声に出せるはずが無いけど。 心持ち弱い所為もあるし、風鬼は何処までも妹思いだ。 自分が犠牲になればそれで良いなんて思っているから、救えない。 「えっと、なんでいきなり…?」 はーっと息を吐いて落ち着かせ、軽く口元を拭いてから、風鬼は切り直した。 今日のメインは青椒肉絲(チンジャオロース)。 ピーマンと豚肉の細切り炒めがちょうど良くなったので、火を止める。 「本気だから手に負えない兄だわ…」 ちゃんと主様のこと見てるの?と呆れた表情に重さが増した。 「水鬼…?」 「ふうきー」 ふと、下から聞こえる声に視線を落とすと、皿を持つ金鬼がいる。 こんな気の利くことしてくれる子だったかな(いつもイヤとか断られる)、とか思いつつ「有難う」と笑顔を零して皿を受け取り、料理を盛り付けながら再度水鬼を見る。 「もう少し詳細にお願いします…」 自分のことなのに情けないこと極まりない。 料理の邪魔をするつもりは無い様で、水鬼も黙って待ってくれていた。 「最近、少し元気ないでしょ?主様」 「え?……うん、そうだね」 今その主様――沙耶はひとり学校に残って、補習を受けていた。 伊那砂郷に来る以前から、薙羽哉曰く「頭が可哀相」な勉学能力しか無く、その影響を受け、補習、なのだ。 本当は三鬼みな補習が終わるまで待っていたかったけれど、沙耶が先に帰っていて欲しいと言ったのと、自分達にも夕飯や洗濯などの家事が合ったため先に帰宅している。 「その原因を考えた結果、主様がいない内に聞かなきゃなーって」 それがどうして、手をつけたかつけてないかの質問になるのか、風鬼にはさっぱり理解が出来無い。 唐変木はある意味史上最悪な思考持ちである。 「えっと、水鬼…?」 「なに」 わかったことがあるとしたら―― 「僕がどう答えても、身の危険を感じるのだけれど」 「まぁ、そのとおりね」 「そのとおりー!」 当然という雰囲気の水鬼と、それに便乗してズバッと言う金鬼。 これに高虎がいなくて良かった…と風鬼は心底思う。 最近、というか元々沙耶しかフォローしてくれないほど、風鬼は肩身が狭い。 「本当はヤだけど、主様の幸せが一番だもの」 「……え?」 予想外な言葉に目を見開いた。 その意味を、どう解釈しても、良いのだろうか。 「喜ばせる気、さらさらないけど…事実だし」 「おねーちゃん、かわいそう」 目まぐるしく、頭脳を回転させる。 自分は何をすべきなのか、水鬼が何を言いたいのか、風鬼は必死に早く解釈しようと努力した。 彼女が機会をくれている。 こんなこと言う水鬼など、そうお目にかかれない。 「応援したようにみせて、別に応援してないけどね」 「ねー」 ふたりの会話が、脳裏を直撃する。 ハッと我に返ることには、妹達に散々言われている途中だった。 すっかり抜けていた。 水鬼は風鬼より沙耶、兄より主だ。 「むかつくし」 「むかつくしー」 「風鬼ってのも面白くないし」 「ねー」 相槌を打つ金鬼が一番酷い抉り方をしているような気がする。 どうすれば言いのだろう。 「高虎は…一緒か。あれに奪われるくらいなら風鬼で良いけど」 「うん?きんきはたかとらでもいいよー」 「――ダメだ!!!」 水鬼と金鬼のテンポ良い会話を、風鬼は大声で遮り、止めさせた。 これ以上は聞きたくない。 ふたりの言葉が、というよりそうなるかもしれないという未来を考えるのが苦しかった。 無意識で胸もとの服を掴む。 無意識で拒んだ、声。 自然と強く、叫んでいた。 「奪わせない」 苦い声が口元から零れていく。 嫌だ、そんなの、ダメだ。 靄が濃くなる。 苦しい。 取られたくは、ない。 離したく、ない。 主としてだけではなく、ひとりの女性として、風鬼は惚れている。 勿論それに対し自覚はしていた。 そして、沙耶もそう想ってくれていることを言ってくれたし、態度で見せてくれる。 それなのに、未だ不安があった。 自分に自信が無いのに、どうやって相手を振り向かせ続けることが出来るだろう。 「………その決意、ちゃんと主様に見せなさいよ」 風鬼の発言に、水鬼は目を丸くしたが、冷静を取り戻し、呆れた溜息をつく。 想いは強い、と水鬼にも分かっていた。 沙耶も知っていた。 だから、風鬼を蔑まなかった。 だけれど、風鬼にはけしかけることも必要だ。 望む威力が弱い、想いは強いのにそれと上手く絡み合わない。 「そうしてほしいよねーおねーちゃんっ」 金鬼の投げかけは、風鬼でも水鬼にでもなかった。 いかにも沙耶がいる、みたいな――ではなく、金鬼の横に沙耶いる。 いた、本当に。 「えっ…?!」 「あ、主様!!?」 水鬼も気づいていなかったようで、風鬼と一緒に沙耶を見て驚いた。 いないと思って話していたのだから、致し方なかろう。 「お、おおおお、お帰りなさいませ、えええっといつからそこに……?」 余計なお世話だったかもしれない、と水鬼は慌てた。 そして、風鬼も何処まで聞いたのか、と声には出さないものの、心では嵐如く動揺している。 「はじめからー!」 はーい、と金鬼が手を上げて、答えを述べる。 沙耶はというと顔を赤らめた状態で苦笑した。 「申し訳ありません!主様っ!出すぎたマネを…!!」 「……水鬼、気にしないで。私のために言ってくれたんだし」 物凄いスピードで頭を下げる水鬼に、沙耶は慌てて止める。 本当に気にしてないない。 水鬼の思いを沙耶は知っている。 ただ少しは驚いたけれど。 「ふうきにお皿用意したの、おねーちゃん」 その間に金鬼が風鬼の傍により、耳打ちする。 さっき手際良くお皿が出てきたのはそれでか、とやっと風鬼は理解した。 金鬼は沙耶のことが気づかれないよう、風鬼と水鬼の会話に乱入したのだ。 金鬼は金鬼のやり方で、沙耶のことを思い、行動した。 「有難う、金鬼」 「どういたしましてー」 軽く頭を撫でると、嫌がることなく、金鬼は笑った。 いつもは蔑ろだけれど、こういう気持ちは素直に受け取ってくれる。 「……主、様」 風鬼が沙耶に向き直って声を掛ける。 落ち着いて、と心に唱え。 その呼びかけに、沙耶が顔を上げた。 少し驚いて、不意をつかれたように。 顔が、赤い。 少し戸惑っているような、表情。 これは、多分拒絶じゃない。 自惚れかもしれないが、そう読み取れた。 「僕はちっぽけですけど、」 一緒にいたい。 貴女の笑顔がみたい。 幸せにしたい。 この手で、そう出来ること、何よりも、したい。 「貴女が好きだから」 息を飲む、声に出ない、動揺。 沙耶を見て、風鬼は思う。 初めて、言ったな、と。 どうして言えなかったのだろう。 こんなに想っているのに、言えなかった愚かな自分。 「僕の、傍に…いて下さい」 ダメだ、それ以上声に出せない。 手を伸ばす。 沙耶の頬に、指を掠め、撫でる。 触れたかった、貴女に。 沙耶の瞳が、揺れる、細めて、笑う。 待ち望んでいた、と言われているような。 優しい、風。 ふわりと靡くように。 「私を、離さないで……お願い、風鬼」 風鬼の差し出した手に、沙耶の手が重なった。 風鬼の指に、摺り寄せ、想いを、込める。 「………はい」 微笑んだ。 嬉しくて、愛おしくて。 すると、沙耶も柔らかい笑みを、見せてくれた。 零れる涙。 綺麗だ。 「なんとかなった、かな」 キッチンとダイニングを仕切る一枚壁にしゃがみ込みながら、水鬼が顔をしかめた。 金鬼も首を縦に振り、「うんうん」と納得している。 いつのまにか水鬼と風鬼は(一応ながら)撤退。 風鬼はともかく、主のためにも邪魔は出来無い。 「主様がどれだけ風鬼を見つめているのか、気づいていないなんて…」 気づかないで沙耶を想っているからタチが悪い。 女の子が望むって凄い価値を分かっていないし、損な役回りばかり。 「とうへんぼくー」 「それなくなったら風鬼じゃないけどね…」 「かなしきさだめ?」 主が幸せならそれで良いのだが、風鬼の恋沙汰は興味が無いため、腹立たしさが残る。 「でも、まぁ……高虎よりは良いか」 「うん」 なんだかんだ、水鬼も金鬼も、兄が好きだったから、そう思ってしまう。 いつも妹のことばかり優先する風鬼が、幸せを手にしても良い、と。 back |