The view where we had were not changed






 暑さが微かながら涼さに変わってきたような、まだまだ暑苦しいような。
文化祭関連の話題が増えてきた頃。

 今年もClassZの担任を受け持つことになった真奈美は、放課後、生徒の補習を行っていた。
流石にA4のような個性の極みはいないが、今年は今年で大変なのも確かで。
 補習が終わる頃には教師もだいぶ帰っており、職員室はいつも以上に落ち着きと静けさに満ちている。
真奈美はそれを感じて、疲労感がドッと増すのだが、
「北森先生、補習お疲れさま」
優しく微笑んで声をかけてくる恩師・悠里を見たら、疲れも嬉しさに変わるというもの。
 悠里は昨年度海外で教鞭をとり、1年のカリキュラムを終了させてから本校に戻ってきた教師陣――GTRのようにT6と呼ばれていた5名と悠里のことだ――の中で、一番最後に帰国している。
聖帝に通勤するようになったのも本当につい最近。
再会して数日なので未だ感激も一入だった。
「今、コーヒー淹れるところなんだけど、飲む?」
「……いただきます!」
「もう少しで出来るから、待っててね」
 偶然ではないことを、真奈美は知っている。
補習時間や下校時刻から真奈美が戻ってくる時間を想定していたのだと。
そう思えば、疲れも吹き飛び、笑顔に変わる。
真奈美は真面目に「南先生って魔法使いみたい」などとぼやき、GTRが疲労のメーターがオーバーしたらこうなるのかと心配したほどだ。
 同じようなことを繰り返しているが、これは真奈美の盲目的尊敬が関係している。
中学時代どれほど尊敬していたのか、彼女自身思いを大事にしているようで、話題に上げやしない。
それに悠里は悠里で「新任したばかりで空回りしていたし、褒められるものでもなかったかと…」と苦笑しており、『盲目的尊敬』の根源発掘は迷宮入りしている。
 余談だが、その所為でA4やP2やGTRやR+(そろそろしつこい)が悠里にやきもきしていることを、真奈美は知らない。
 悠里が出来上がったコーヒーを真奈美に渡し、生徒の話をしだすと、その場はさらに華やかというか、明るくなる。
真奈美が嬉しそうに生徒の事を紡ぎ、そんな姿を見た悠里は微笑んで相槌を打つ。
バリアでも張っているような、空間を作り出すのだ。
 そんな場をいきなり切り裂くように、扉が豪快な音を立てて開く。
慌てているのか、強引だからか、判断しにくい物音に、残っていた教師みな驚き、視線を向けてしまった。
 扉付近にはひとりだけ。
 近くで見ても、遠くから見ても、スタイルのよさが際立つ体型と、綺麗に着こなした服装。
いるだけで浮くような格好良い男が、気持ち息を切らせている。
 その男は、辺りを見渡しながら何か声に出そうとするも、ある一点で視線がピタリと止まり、何もかも動かなくなった。
 不審者にしては珍妙な行動である。
 男は、学生に該当しない。
昨年度から臨時講師をし、今年度は特別講師として着任しているB6のひとり――


「………あら、翼君」

 悠里の素っ頓狂な声が、やけに響く。
そうなってしまったのは、翼の視線が悠里から動かなくなり、彼女以外反応してはいけない雰囲気から室内が静まり返ったからだ。
「どうしたの?そんなに息きらして」
 B6が職員室によく来ていた頃の感覚があるのだろう。
悠里は驚いているものの、何処か落ち着いていた。
机に飲みかけのコーヒーを置き、とても自然な足取りで近づく。
「翼君?」
 少し手を伸ばせば触れられる距離で止まった。
不思議そうな表情で、翼の顔を覗くように見上げる。
「南、先生――」
 感情のこもった声。
忘れていたかのような頻度で瞬く瞳。
何かを否定するような雰囲気。
「前から格好良かったけど、逢わない間に一段と格好良くなったわね、翼君」
 相変わらず格好良いわ。
 どうしたのかな、と思いつつ悠里は微笑んだ。
悠里が瞳に映っていることすら嘘のようだと、信じがたいほどの感慨無量な面持ちなど気付かずに。
 悠里は分かっていない。
そこをすぐ察していたら、翼は、翼たちは、もっと前に色々と報われている。
「貴方って人は……どうしてそこからなんだ」
 イケメンに弱い悠里らしい発言。
男が綺麗な女にすぐ視線を向けてしまう感覚とほぼ同属の悠里を、何度制御したことか。
B6やT6という格好良い分類の中でも逸材を置いてしまう辺り、相当なものだろう。
 翼は固まりきった何かが溶け出したような、そんな気分になった。
 馬鹿らしいような。
気が緩んだような。
笑いたくなるような。
 懐かしさが込み上げる。
「褒めたのよ?」
 むぅっと怒っている姿は、とても態(わざ)とらしい。
冗談のつもりではないが、気を緩ませようとしたのに乗ってくれない翼に拗ねているのだろう。
「格好良いなど、分かっている」
 そんなことを紡ぎたいわけじゃない。
もっともっと言わなくてはならないことがあるのに。
 悠里の波にのまれている。
それも悪くないが、もどかしくもある。
「憎たらしい発言だけど、しょうがないかな」
 汗を無造作に拭う仕種も、少し困った表情も格好良い人など、そういない。
自覚してしまうだけの根拠はある。
悠里は可笑しそうな表情のまま、肯定した。
「先生、」
 逢って一番言いたかったことが、声にならない。
 勇気がない訳でもない。
 ただただ、感情がとろい。
「なに?」
 言い淀んだ翼に、悠里は合いの手を出すような、柔らかい声で返す。
 翼は背中を押されたような気持ちになった。
いける、今ならいける。

「      」

 いきなり腕を掴まれ、悠里の身体がぐんと前方に引き寄せられた。
 抱きしめられていると瞬時に分からなかったのは、翼の零した声を聞き取りたかったから。
 本当にかすかな声。
もしかしたら心の吐露であり、声になっていないものだったのかもしれない。
その曖昧なところの、その感情を、どうしてか凄く聞きたいと願った。
 全てを蹴落とし、そこを優先しても、悠里には聞こえなかった。
分からなかった。
残念ではあったが、抱きしめる強さに――本音をいうと少しきつくて苦しいのだけれど――翼の偽り無い感情が垣間見え、免除しようと思った。
「……色々な先生から聞いたよ。『先生』、頑張ってくれたんだね」
 悠里が直接お願いした相手が翼であり、翼がB6を集めた。
悠里の願いを知っていたからこそ、待っていた側の人で一番責任を持っていた。
「………約束、だからな」
 本当は、翼から抱きしめるなど、いけないのだろう。
喜びの抱擁はあるけれど、翼の感情はそれにとどまっていない。
在り来りかつ適当に言わせれば、邪心があるのだから。
 それでも、それでも、感情は溢れるばかり。
離すことなんて出来無い。
 手を焼くほどあっちへこっちへふらふら格好良い男に弱い発言も、柔らかい微笑みも、警戒心なく包んでくれる感情と鈍さも、全て求めていたもの。
 愛してるなんて言葉で伝わらない。
否、自分が唯一の存在だと、分かってくれない。
熱の含んだ視線も、悠里には「ありえない」という概念から気付いてくれない。
何処までも『先生』の枠が高く厚く広い人。
「先生、先生。南先生…」
 名が、悠里の呼称が、愛しているという台詞に変換しているような、そんな気分になる。
微かながら声となったものを、悠里は受け止めるように何度も頷く。
 名前がこんなにも愛おしいのだということを、悠里から教わった。
彼女が名を呼んでくれる事が、一番嬉しいことも、知っている。
 そしてそんな時に限って――
「翼君、有難う」
 名を呼ぶのだ。
 優しく、雰囲気だけで包み込んでくる。
翼にとっては不意打ちに抉ってくるような、そんな衝撃。
 教師としての発言なのに、それ以前の――女性としてとらえてしまう。
錯覚ではなく、悠里が無防備に紡いでいるからだろう。
 弱い。
翼が大事にしたいと思う感覚を、悠里は出し惜しみしないから、困る。
 そう、困る。
困り果てる。
 虚像ではなく、真実だから、誤認だと己を叱咤出来ない。
 気の利いた返答が思いつかない。
  貴方の前では、貴方が言ってくれたように、格好良くいたいのに。
 いつまでたっても、離せない。
引き際を理解しなければいけないのに。
 拒む。
自分を、理性を、拒んで。

 こんなにも長く、こんなにも強く、ひとりを想う事が、辛いのに。
 貴方の声には敵わない。

 諦め、きれない。


「約束、守ってくれて有難う」

 その言葉に、その声色に、その感情に、泣きたくなった。






※これの少し前、裏側として『Poison』あり



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