長らく行っていた解析がやっと終わった。
ナマエは深呼吸して、結果をまとめた報告書を整える。
今日はずっと端末とにらめっこ状態だったので、頭から首、肩、そして目の疲労に襲われた。
帰ったらホットタオルを用意しようと思いながら帰り支度に取りかかることにした。
デスク周りを片付け、明日クリスの元に持って行く報告書は引き出しにしまう。
さて帰ろうと思った矢先、オフィスをノックする音がした。
もう夜も遅いのに誰だろうとドアの方へ視線をやると、そこには顔も見たくないピアーズが立っていた。
「お疲れ!」
「……こんばんは」
さっさと帰りたかったナマエだが、もう誰もいないオフィスに来たピアーズの用がある相手は自分だということが嫌でもわかる。
帰宅オーラを出すために鞄を手にしようとしたが、それはピアーズによって制止された。
「何ですか」
「いや、疲れてるナマエにマッサージでも」
「ピアーズさんだって疲れてるでしょう」
イライラを隠すのも面倒になり、ナマエはあからさまに彼を睨んだ。
しかし、そのような様子を気にすることもなく、ピアーズは遠慮しないで、と彼女を椅子に座らせようとその肩に触れた。
「触んないでください!」
その瞬間、ナマエは弾かれたようにピアーズから離れ、鞄を持って脇目も振らずにオフィスから出て行った。
彼女のデスクの前に残されたピアーズは、ショックを受けたようにその場に立ち尽くす。
行き場を失った両手が宙に浮いている様が何とも哀れであった。
翌日、ナマエはクリスのいるオフィスまでやって来ていた。
昨夜のうちに報告書を届けると連絡はしてあったので、恐らく彼を捜すのに手間取りはしないであろう。
連絡をすると毎回報告書を取りに来てくれるクリスだったが、今回は珍しく届けてほしいという返信があった。
あまり支部のオフィスには来たことがなかったが、久しぶりに足を踏み入れたそこはナマエに取って何だか新鮮に映った。
自分のいる場所とは違い、体格の良い隊員達が忙しそうに動き回っている。
どうかあの忌々しいピアーズには会いませんようにと思いながら廊下を歩いていた。
研究所のオフィスでの彼の態度を思い出すと、途端に腹が立ってくる。
確かに昨日は疲れていたナマエだったが、敵からの施しを受ける等プライドが許さなかった。
とはいえ、一方的に彼女が敵視しているだけなのだが。
しかし、アルファチームと書かれたプレートを見つけ、先ほどまでの怒りも忘れナマエはほんのり微笑んだ。
これからクリスに会えるのである。
「誰かお探しですか?」
ドアの前に立っていたナマエの後ろから、誰かが声を掛けた。
ナマエは、オフィスに入る人の邪魔になっていたことに気がつき、すぐに振り返る。
「すみません、私……」
「あ!この前ピアーズさんが手を振ってた方ですね!呼んできますよ!」
そこにいたのはフィンだった。
ナマエは面識がなかったが、彼の方は以前ピアーズが彼女に声を掛けていたところに居合わせていたのですぐに気がついたのである。
訓練の帰りなのか、首にタオルを巻いて人の良さそうな笑顔を浮かべたフィンが発したのは、まさかのピアーズの名前。
その名を聞いたナマエは引きつりながらも必死に笑顔を作り即彼の言葉を否定した。
「いいえ違います、そのような人に用はありません」
「あれ、違いましたか」
「えっと、ナマエと申しますが、クリスは在室してますか」
「……隊長!?」
きょとんとしていたフィンはクリスの名前を聞くと急に姿勢を正した。
そして何かを思い出したように息を飲んだ。
以前、彼女を見たときに何故か見覚えがあるような気がしたのだが、その理由に気がついたのである。
かつてクリスが勢い余って隊員証を落としてしまった時、中に彼女の写った写真が入っているのが見えたのであった。
ほんの一瞬だったが、そこには少し若いクリスと彼の妹、そしてナマエが寄り添って笑う姿があったのを覚えている。
隊長の親しい人に無礼を働くわけにはいかない。
フィンはすぐに戻ります、とだけ言うと急いでオフィスに入っていった。
ナマエはコロコロ変わる彼の表情が可笑しく、ドアの向こうに消えて行った彼を微笑ましく感じた。
良い部下がついているということはクリスの人柄も一役買っているのだろう、と思ったが、一方でピアーズのことは良い部下だなんて意地でも認めないぞと、フンと鼻を鳴らした。
傍から見ればナマエもフィンと良い勝負の百面相である。
「おお、ナマエ!待たせて悪かったな」
「クリス!」
先ほど閉まったドアから、今度は巨体のクリスが片手を上げて出て来た。
その姿を見るや否や、ナマエの表情は花が咲いたようにパッと明るくなった。
持っていた報告書を渡せばクリスは彼女に礼を述べる。
「忙しいのにありがとうな」
「ううん、私たちの仕事なんだから当然だよ」
「これからも頼んだぞ」
そう言ってクリスはナマエの頭をくしゃりと撫でた。
ナマエは照れくさそうに目を細めて笑う。
むさ苦しい支部の一角に何とも穏やかな雰囲気が漂っていた。
クリスが開けたドアの奥で、フィンはその様子をニコニコしながら見ていた。
普段、黙々と任務をこなし自分たちを指揮する上司であるクリスの楽しそうな様子に感動しているのであろう。
しかし、その横では彼とは対照的に無表情で突っ立っている男がいた。
ピアーズである。
彼女のクリスに向けるあの笑顔……、出会って間もないが自分に向けられたことは一度もない。
そして、昨夜のことを思い出す。
「俺の何がいけなかったんだ……」
何がと聞かれれば全てだと言わざるを得ないが、そう呟いた彼を見たフィンはギョッとした。
クリス達の様子、というよりもナマエを見るピアーズの目が狙撃手そのものだったのだ。
用が済んだらしく、ナマエはクリスに小さく手を振り来た廊下を戻ろうとしていたが、それをピアーズは呼び止めた。
「ナマエー!!」
「ちょっと、ピアーズさん!?」
フィンの制止も間に合わず、彼はドアへと猛スピードで向かった。
その様子にナマエは驚きと嫌悪で目を見開いたが、彼女もまたあり得ない速さで、迫り来るピアーズに向かってドアを叩き閉めた。
すぐそこにいたクリスは思わず顔を顰める。
その直後、オフィスに鈍い音が響いた。
予想通りと言うか、止まり切れなかったピアーズは閉められたドアに顔面を強打し、その場に踞っている。
「この前から空回りしてませんか……」
同情を含んだフィンの一言が、彼にとどめを刺したようである。
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