連日の疲れか、中々起きれなかったナマエは目を覚ますためシャワーを浴びたところだった。
ブースから出て体を拭こうとタオルに手を伸ばすと、インターホンが鳴った。
知らない人だったら居留守を使おうと、濡れたまま急いでモニターを確認しに行った。
このタイミングでは見知らぬ他人だったらよかったのだが、画面に映っているのはクリスだった。
手に何か持っているので、恐らく用事があって来たのだろう。
「クリス、鍵開けるからもう少し待ってて!」
それだけ言うと、クリスの返事を聞いたナマエは慌てて脱衣所に戻って服を着た。
タオルドライだけの髪はまだ濡れていたが仕方ない。
もう一度モニターに手を伸ばし鍵を開け、どうぞ、と言うと自身も玄関に急いだ。
その時、ナマエは何が起こったのかわからなかった。
気づいた時には床に座り込んでいて、足に力が入らなかった。
異変に気がついたクリスが玄関のドアを開けた。
「どうした、凄い音が……」
彼の声にナマエはやっと我に返る。
「……すべって転んだ」
「え」
「床が、濡れてて……。ごめん、大丈夫」
先程、水浸しのままにのまま廊下を行き来したのが災いしたのだ。
盛大な尻餅を誤魔化すように笑うナマエだったが、手を付いて立ち上がろうにも右足に力が入らず痛みに顔をしかめた。
どうやら笑い事では済まなそうだ。
「おい、大丈夫か」
見かねたクリスが靴を脱いで上がってきた。
目の前にショートパンツから伸びる生足に、やや目のやり場に困ったが、今はそれどころではない。
座ったままの彼女を見るために、自身も床に膝を付き屈み込んだ。
「どうしよう、変なふうに捻ったかも」
「一応、病院だな。これから腫れてくるかもしれん」
ナマエは自分の間抜けさを情けなく思った。
仕事での負傷ならまだしも、このような下らない理由で怪我をするなんて。
「クリス、ごめん、肩貸して」
「こら、無理するな。立てないんだろ」
屈んでいる彼のがっしりした肩に手を置こうとしたら、あっさりと掴まれて制された。
しかし、これでは身動きが取れないので、病院にすら行かれないと抗議を声を上げようとした。
「そのままでいろよ」
有無を言わせない眼差しでナマエを体育座りのようなままにしておくと、クリスは彼女の両膝と肩を抱え横抱きにした。
「うわあっ」
突然の浮遊感に反射的にナマエは彼の服にしがみついた。
「落としたりしないから大丈夫だ」
「あ、うん……ありがとう」
思いの外、近くから聞こえたクリスの声に驚きナマエは大人しくなった。
肌に触れる彼の体温に距離の近さを意識せざるを得ない。
彼は部屋までナマエを運ぶといつも食事の時に使っている椅子に彼女を下ろした。
「車のキーを取ってくる。ナマエは何か必要なものあるか」
「そこの鞄と、パーカー取ってもらってもいい?」
貴重品の入った鞄と部屋着の上に羽織るためにパーカーを持ってきてもらうと、徐々に痛みを伴ってきた足首を見つめ、彼がキーを取ってくるのを座りながら待っていた。
クリスは車で病院まで連れていくと行ってくれたが、階段を下りなくてはならないし、先程の様子から駐車場まで歩かせるなどということはしないだろう。
とすると、また彼に抱えられての行動となる。
ナマエは想像しただけで顔が赤くなるのを感じた。
介助してくれてるだけだ、と言い聞かせるのだがどうも上手くいかない。
今まで仕事が大変だろうが多少の無理をしてでも自力でこなしてきた。
しかも、これは彼女の悪い癖でもあるが、あまり人を頼っても来なかった。
ウェスカーの元で居候していた時も、自分のことは自分でやり、家事も分担していた。
過保護ではあるが彼からの厚意は部下を思う気持ちであり、それ以上でもそれ以下でもない。
だからこそ、同じ屋根の下で暮らしていても、何も起こらなかったのかもしれない。
しかし、クリスはどうだろう。
対等な立場であるにも関わらず何かと自分の時間や労力をナマエに割いてくれている。
ウェスカーに無理をするなと言われても大丈夫ですよと笑って返せるが、クリスに同じことを言われるとそれに甘えてしまう自分がいることに気がついた。
思えば引っ越し初日からだ。
このままではいけない。
ナマエは鞄を肩に掛け、痛む足を庇いながらゆっくり玄関に向かった。
ちょうどそこへ戻ってきたクリスは、歩く彼女を見て目を丸くした。
「何してるんだ、無理するなって言っただろ」
「大丈夫だよ、ちょっと捻っただけだし。病院もひとりで……」
「行けるわけない、怪我してるんだから大人しくしてないと駄目だ」
反論する彼女にクリスほとほと呆れ目を細めた。
そのような彼にナマエは何も言い返せなかった。
彼に甘えるのも自尊心が許さず、またこれ以上無茶をして彼に呆れられるのも怖かった。
クリスは再び大人しくなったナマエを見て彼女が納得したと思い、先程のように抱き上げた。
「酷い内出血だな。ナマエ、部屋の戸締まりは大丈夫か?」
シャワーを浴びる前に戸締まりはしてあったのでナマエは問い掛けにこくりと頷き、その後は黙ったままだった。
足は痛いわ、この状況が恥ずかしいわ、クリスに申し訳ないわで、彼女は考えることを放棄したくなった。
診察を済ませ手当てをしてもらい痛みは大分和らいだ。
冷湿布が少しひんやりするが、しっかりと巻かれた包帯とギプスで自力で歩けるようにもなった。
しかし、これでは明日ジルと約束していたショッピングには行けそうもない。
薬局で処方された湿布や塗り薬、包帯が入った袋を抱え、ナマエは運転しているクリスに改めてお礼を言った。
「困った時はお互い様だ」
「でも……私ばっかりごめん」
「何言ってるんだよ、ナマエが作ってくれる飯は絶品だぞ」
そう言ったクリスにナマエは目頭が熱くなった。
自分をこんなにも受け入れてくれる彼を偉大にすら感じた。
「クリスは優しいね、ありがとう」
やっと笑顔になった彼女に、クリスもようやく肩の力が抜けたのだった。
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