クリスの車から段ボールに詰めた荷物を部屋に運び、二人はようやく一息ついた。
3階までの階段を大きな荷物を持って上るのはキツいだろうと思っていたが、重いものは全てクリスが持ってくれたのでナマエは始終彼に感謝していた。
「仕事終わったばっかりなのに、ごめんね。クリスだって早く休みたかったよね」
「気にするなって。これからは隣同士よろしくな」
「うん……!ありがとう」
白い歯を見せて笑うクリスにナマエも釣られて微笑んだ。
一時は彼に余計な気を遣わせてしまったか不安に思っていたが、杞憂だったようだ。
ナマエの希望で、靴は玄関先で脱いでいた二人はスリッパを履き、テーブルを挟んで椅子に腰かけていた。
彼女の用意した冷たいコーヒーを、クリスは一気に飲み干して話を進めた。
「今日の夕飯、どうするんだ?」
「うーん、こんなだからコンビニ行こうかな」
詰まれた箱の山を見渡してナマエは応える。
「それならピザでも頼んで俺の部屋で食わないか?」
「え、お邪魔していいの?」
一人で食べるには多すぎるため、滅多に宅配ピザを食べない彼女はその提案に飛び付いた。
「ああ。散らかってるけど……」
「実は私も片付け苦手なんだ」
笑顔だったクリスが部屋の状態を思い出してまずい、という表情になった。
しかし、ナマエは気にせずあっけらかんとしていた。
それでも彼は、初めて家に上げるナマエにあのままではいけないと思ったのか、片付けに戻ると言った。
「じゃあ……私はシャワーでも浴びてる。仕事でも汗かいたし」
「わかった。ピザは適当に選んでいいか?」
「うん。種類たくさんありすぎて選べないから、クリスのおすすめでお願い!」
玄関で靴に履き替えた彼に、また後でと言い、ナマエは風呂の準備をはじめた。
段ボールからシャンプーやタオルなどを探し出すと、もう部屋は雑然としてしまった。
少しずつ整理していくしかないと思い先が思いやられたが、彼女はバスタブにお湯を張りシャワーで体を洗いに行った。
1時間後、ナマエがクリスの部屋を訪ねると彼はすぐに彼女を招き入れた。
そして、ナマエはリビングで足を止める。
「クリス……」
「どうした?」
自分の後ろで顔をしかめた彼女を見てはっとした。
咄嗟に自分のTシャツの臭いを嗅ぐ。
素早く片付けを済ませ、これもまた素早くシャワーを浴びた彼だったが、もしかして汗臭いのではないかと思っての行動だった。
「え、クリスこそどうしたの?」
「いや、急に止まったから……俺が臭うのかと思って」
「ち、違うよ!クリス、せっけんのいい匂いだよ!」
そうじゃなくて、と慌てるナマエにクリスはとりあえずほっとした。
「部屋、綺麗じゃん」
「それはまあ、さっき急いで片付けたからな」
ナマエはウェスカーの言っていたことを思い出した。
確かにオフィスにあるクリスのデスクはどこか整頓されておらず、一方でナマエのデスクは見た目も整理されていて必要な物は機能的に配置されている。
しかし、彼の部屋は職場とは対照的にかなり整っているように見えた。
「もしかして私とは反対なのか……」
ぽつりと呟くナマエは一種の焦りを覚えた。
これでは傷の舐め合いどころの騒ぎではない。
「ねえ、クリス、あの」
「ん、ビール飲むか」
「あ、私は何かジュースかお茶で」
「オーケー」
冷蔵庫の前いる彼に、再びそうじゃなくて、と詰め寄った。
そのただならぬ様子にクリスはぎょっとした。
いつもテキパキと仕事をこなしている同僚が、缶ビールを持った方の腕にすがって何やらお願いがあるの、と自分を見上げているからだ。
「ナマエ、話なら聞くから」
そのような彼女をどうにか宥めて、クリスは飲み物をテーブルに置いた。
同じくテーブルにある、まだ開けてないピザの箱から漂ってくるおいしそうな香りが空腹を刺激するが、今はそれどころではない。
「さっきから一体、どうしたんだ?」
「あ、あのね、厚かましいのは承知の上でのお願いなんだけど」
「ああ」
「片付けも……一緒にしてもらえない?」
初めて見る、顔を真っ赤にして恥ずかしがる彼女にクリスは面食らった。
この頼み方をされて無情にも断るような奴がいたら張り倒してやる。
頼み事の内容はこの際触れないでおけば、そう思わざるを得ないほど今のナマエは只のひとりの女性にしか見えなかった。
「もちろん構わないぞ。力になれるかは何とも言えないけどな」
「ありがとう……!私、どうも片付け苦手で……。あ、でもお礼にご飯作るから!」
必死なナマエに遂にクリスは吹き出してしまった。
急に肩を震わせて笑う彼にナマエは訳もわからず余計に恥ずかしくなり、堪らなくなった。
「おかしいよね!変なこと頼んでごめん」
「そんなことないさ。ただ、何て言うか、普段のナマエからは想像できなくて」
「うん?」
「きっちりしてるというか、職務に対しては非の打ちどころがないだろ。だからこういう、ある意味ダメなところもあるんだなって」
持ち上げられて落とされたような気がして、結局ナマエは中々恥ずかしさが抜けなかった。
しかし、クリスの前では自然体でいられるようで、すっかり肩の力が抜けた。
「生活してて何か困ったことがあったら遠慮なく言ってくれ」
「お世話になります」
「じゃあ冷めないうちにピザ食べるか」
「わー!おいしそう!」
サイダーの入ったコップを手渡されたナマエは、クリスの開けた箱の中身に目を輝かせた。
昔のアパートでの生活では考えられなかった明るい夕食に、クリスもこれからの生活が楽しみになった。
[main]