今にも雨が降ってきそうな雲の色に、ナマエは眉間に皺を寄せて考えていた。
自転車にするべきか、バスにするべきか。
帰りのことを考えると、自転車の方が断然都合が良いが、夜にかけて酷い雨が降るという予報にその一歩が出ない。
「乗っていけば良いだろう」
「え?」
読み終わった新聞を折り畳んで脇に置いた彼女の上司・ウェスカーは、コーヒーを片手にそう言った。
どうやら、自動車通勤の彼はナマエに同乗するよう提案しているようだ。
「いや、でも……」
「夕飯の準備も帰りが同じ方が楽だ」
畏れ多いとでも言うように焦るナマエだったが、確かに彼の言う通りでもある。
故に、先のことを見据えてる提案を素直に受けることにした。
もちろん礼を述べることは忘れない。
それに一言、構わないと返した彼の言葉を合図に、それぞれ出勤の支度を始めた。
署に到着すれば、ウェスカーは屋根のある入り口に車を寄せてくれた。
地下の駐車場からよりも、こちらの方が職場まで近いからだ。
「ありがとうございます」
「今日の計画はどうなっている」
「えっと……これから結果を見て、報告書を仕上げます。多分、残業にはなりません」
何かあったら早めに連絡を入れます、と付け加えてナマエは助手席を降りた。
彼女のデスクは、ウェスカーと同じオフィスにあったが、今日は実験結果を確認するためにラボに直行する。
守衛に挨拶をし、彼女は足早にラボへ急いだ。
端末へ得られた数値の入力を終えると、ナマエは椅子の背もたれへ体重をかけて伸びをした。
その時、ラボに彼女の後輩・レベッカが入ってきた。
「残留物から複数の劇薬が検出されました」
詳細はこれに、と彼女から手渡されたリストを受け取ったナマエは微笑んだ。
「仕事が早くて助かる、ありがとう」
「いえ、ナマエの仮説のお陰です」
いくつか言葉を交わし、ナマエはレベッカにコーヒーの入ったコップを手渡した。
レベッカはナマエの横の椅子に腰を下ろしコップに口をつける。
「いつもこういう風に上手くいくと良いんだけどねえ」
「本当。地道な作業の繰り返しですもん」
少し談笑した後、二人は昼食をとりにいく時間を決めて再び作業に取りかかる。
レベッカは、コーヒーごちそうさまでした、と言ってオフィスに戻っていった。
ナマエは、定時前に仕事を上げるためにも集中してキーボードを叩く。
外から聞こえる雨の音に、とうとう本降りになってきたんだと頭の片隅で思った。
結局、ウェスカーに報告書の提出ができたのは定時を30分過ぎてからだった。
ラボで同僚に書類のチェックを頼み疑問点の解決を図り、修正を繰り返していたらこのような時間になってしまったのだ。
「すみませんでした」
「気にするな」
連絡を入れてはいたものの、週末の今日、オフィスに残っているのは彼ら二人だけだった。
ウェスカーは報告書に目を通すと、頷いた。
その仕草に胸を撫で下ろしたナマエは小さく息を吐く。
いつになってもこの瞬間は緊張するものだ。
彼が、デスクの引き出しにその報告書をしまい鍵を閉めながら口を開いた。
「帰る準備はできているか」
「あ、これロッカーに置いてきたら」
腕に掛けていた白衣を持ち上げで応えると、彼の方は立ち上がり書類鞄を持った。
「エントランスに車を回しておく」
「わかりました。じゃあすぐに行きますね」
「慌てなくていい。私の方が時間はかかるだろう」
口角を上げるウェスカーに、ナマエも笑顔で返事をした。
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