人々が行き交う大通りを逸れて、二人は公園へと歩いて行った。
平日の昼間だが、小さい子どもを連れた母親や父親、昼休み中の会社員、余暇を楽しむ老人などで、園内のベンチはそこそこ賑わっている。
そんなありふれた日常風景に溶け込んでいる二人。
普段の彼らからは想像もつかない姿だった。
「一仕事終わって気が抜けちゃいました」
「生きて行く上ではこういう一日も必要だ」
それもそうだと納得したナマエは、相槌を打つと木陰にある空いていたベンチに腰掛けてハンクを呼んだ。
彼女は変わらずハンクに対して丁寧な言葉遣いである。
それでも、以前より親しみがこもり距離は縮まった。
また、ハンクの態度も以前と大きく変化はしていない。
彼女に手招きされてもさほど急ぐ様子がない彼だったが、それでも待ちきれないといったナマエの表情に呆れたように目を細めていた。
「そう慌てなくても」
「ハンクさんも早く座ってください。では、いただきます!」
ここに来る前にベーカリーでテイクアウトした焼きたてのパンを、ナマエは美味しそうに頬張った。
心地よい風が二人の間を通り抜け、向こうの木陰にはどこからかやってきた小鳥たちが行ったり来たりを繰り返している。
「食べないんですか?冷めちゃいますよ」
「ああ、食べるよ。ナマエを見てるのが面白くてな」
無造作に紙袋に手を突っ込んで自分を見るハンクに、ナマエは恥ずかしくなり急いで前を向いた。
その様子に彼は小さく笑い声を漏らす。
それから暫く二人は近況報告等をしながら昼食を終え、次の目的地へ行くために早速公園を後にした。
彼らがこうして久しぶりの逢瀬を果たせたのも、本当に偶然が重なったためだった。
ナマエの国際学会会場と、ハンクの赴任先がたまたま近くだったのだ。
今、二人は大通りに戻って来ており、道行く人たちに混ざり足を進めていた。
観光地でもあるここは、どうしても人が多い。
「こんな賑やかな場所に来るのいつぶりだろう……」
「ボーッとするな、スリに気をつけろ」
視線をあちこちに向けて街並を楽しんでいる彼女に、ハンクからの忠告が飛ぶ。
筋肉質な腕を腰に回され、ナマエは彼の方へと引き寄せられた。
「ちょっと!」
「いいから」
ナマエの制止を物ともせず、ハンクはどこか遠くをしばらく睨みながらずっとそのままで歩いていた。
最初はナマエも驚いたが、彼が自分を庇ってくれたことを理解してからはおとなしくしており、また、よそ見をしないで歩くようにした。
こういうところで、特殊部隊のリーダーであることを実感させられる。
また、せっかくこうして会えたのだから、何か盗られたり嫌なことが思い出として残るのは避けたい。
ついでに、楽観的かもしれないがたまにはこれくらい近くを歩いてみるのもいいかな、等とも思っていた。
こうして何事もなく、目的地であるちょっとしたデパートのようなところに到着すると、ナマエは瞳を輝かせ、ハンクそっちのけでウィンドウショッピングに夢中になった。
あれほど気をつけろと言ったにも関わらずこのようでは仕方ないと、彼は店内を見て回る彼女の後ろを保護者のように付いて行った。
商品を確認しているナマエに、店員が声をかける。
「何かお探しですか」
「あ、ちょっとハンドクリームを」
一言二言会話を続けると、ちょうど店員の持っていたテスターが彼女のお目当ての物だったようで、早速その商品を試させてもらっている。
ハンクにはその物の良さがわからなかったが、自分の手の甲に塗ったクリームを香ってうっとりしている彼女の様子を見る限り、相当気に入ったのだろう。
しかし、ナマエは少しだけ寂しそうな表情をすると店員にお礼をいって彼の方へ戻って来た。
「買わなくていいのか」
「はい。すごく好きな香りなんですけど…実験してるとすぐ手を洗っちゃうので」
ハンクがちらりと横を見れば、ナマエと同年代の女性が嬉しそうに会計をしているのが目に入った。
そして、視線を彼女に戻して手元を見てみると、少しだけ赤みを帯びている。
そういえばかつて女性の部下が、冬場はとくに消毒で手が乾燥するとぼやいていたことを、彼はふと思い出した。
ナマエも同じように一日に何度もエタノールを吹きかけているせいで荒れてしまうのだろうか。
しかし、クリームでも何でも手に付けていれば実験の邪魔になるというのも、また事実なのであろう。
あっちのお店も見てきていいですか、と言う彼女に了承の返事をすると、ハンクも一度自身の思考に終止符を打ち、再びそのあとについていった。
少しだけ日が傾いてきた頃、二人は休憩も兼ねて通りに面したカフェでお茶を飲んでいた。
テラス席に座る彼らのテーブルにはフルーツたっぷりのタルトとふたつのコーヒーカップが乗っている。
「やっぱりこっちは物価が高いですね」
「税金の割合がな……」
「でも美味しいものには釣られちゃいます」
本当に幸せそうにタルトを食べるナマエに、ハンクも心が穏やかになる。
まさか自分が休暇を誰かとこのように過ごすなんて、考えもしていなかった。
共に過ごす時間はとても十分とは言えなかったが、出会いからの一件を思えば順調以外の何物でもない。
「そういえばハンクさん、いつの間に買い物したんですか」
そんな荷物持ってたっけ、と首を傾げるナマエは、彼の足下に置かれた地味な紙袋を見つめていた。
ハンクは、彼女が気づいたこともありその紙袋から、彼とはちぐはぐな可愛らしい手提げの紙袋をさらに取り出してテーブルに置いた。
「え!ハンクさんもあのお店好きだったんですか」
「私にそんな趣味はない。ナマエに渡そうと思っていたが邪魔になるだろうからタイミングを考えていた」
「ええ!?そんな、良いんですか!」
思いも寄らない彼からの贈り物に、食べかけのタルトのこともすっかり忘れて紙袋に釘付けになってしまった。
自分のお気に入りの店で、しかも自分のために彼が何かを買ってきてくれるなど考えたこともなかったのだ。
「ありがとうございます!中身、見てもいいですか……」
「ああ」
恐る恐る手を伸ばして紙袋を自分の方へ引き寄せ、そっとテープを剥がし中を覗き込む。
ハッとした表情のまま、ナマエはハンクの方へを向き直った。
「これって!」
「好きな香りだと言っていたからな……」
ナマエがあの店で購入を諦めたハンドクリームの代わりに、その中にはシャンプーとコンディショナー、ボディソープのバスセット一式が揃っていた。
彼女は感動のあまり涙目になっている。
カフェは混んでいるため誰も二人のやり取りを気に留めていなかったが、ハンクは照れ隠しにコーヒーを一口啜った。
「夢みたいです」
「ナマエには重いだろうからこの後も私が持つ」
「使うたびにハンクさんのこと思い出しますね。あ、でも使うのもったいないな……」
噛み合っていない会話は相変わらずだったが、想像以上に喜んだ彼女の笑顔にハンクの口元も弧を描いた。
互いに忙しい身であるため、このように会える機会は決して多くはないが、それでも会うたびに二人の気持ちは確実に近づいている。
当の本人達は全く知らないことだったが、ハンクの部下はこの二人がくっつくかどうかで賭けをしているとか。
その結果が出るのも時間の問題だろう。
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