彼女が自分の手中にあると考えると、任務を達成した時のような高揚感が全身に広がった。
半ば脅迫じみた物言いになったが、それでも目の前で彼女の葛藤を見れば気持ちの高ぶりが罪悪感を上回る。
始末されることも、研究を軍事に利用されることも避けるには、対価として私の要求を飲むしかないのだ。
覚悟を決め、やめないでくださいと言う彼女の声は震え、今にも泣き出しそうだった。
それからの彼女の反応は堪らないものだった。
諦めたかのように噛み締めていた唇から力を抜くのを見て、気づけば彼女の頭を撫でていた。
途端に彼女の瞳から涙が零れ、頬を伝って流れていく。
それでもまだ我慢しようとしているのか、嗚咽で上手く呼吸できない彼女はまるで無力なこどものようだ。
「そんなに嫌か」
命を握られている相手に触れられるのは確かに好ましいとは言えないだろう。
条件のこともあってか、彼女は私の言う事に俯いて首を振るが一向にその涙は止まる様子がない。
「やっぱりこんなの……」
「私は別に構わないが」
納得できない、とでも言うように口走った彼女は、私の言葉に我に帰ったように顔を上げた。
そして、また涙を流し、すがるように俺に詰め寄った。
「ちがう、の……今のは……」
「嫌ならやめる。交渉は決裂だ」
「ごめんなさい、ちゃんと……言う事、聞きます……だから……」
目元をゴシゴシと擦りながら懸命に請う彼女の瞼が余りにも赤くなっていたので、その手首を掴んだ。
何か強要されると思ったのか、彼女は息を飲んで怯えたようにこちらの顔色を伺った。
「あまり擦るな」
「誰のせいで泣いてると思ってる」
ノックはした、と言いながらフォーアイズが病室に戻ってきた。
タイミングが良いとは決して言える状況ではなかったが、部下が戻って来なかったら私は彼女をいたぶり続けてただろう。
「野暮だぞ」
「貴方に言伝てだ。端末の電源を切っているだろう」
明日の夜、私に任務が入ったことを伝えると、そこをどけと言わんばかりの殺気を放ちベッドの横に立ちはだかった。
部下に追い立てられるように俺は病室を後にした。
チラリと振り返れば、俯いた彼女と腕を組んでさっさと出ていけという視線を投げる部下が目に入る。
いくら使い勝手が良いからといって、本部ももう少しオフをくれてもいいだろうに。
私に時間がなければ対価も意味を持たないと思い、明日の任務もさっさと終わらせようと密かに意気込んだ。
そして、5日が経ち任務を終えた私は部下につらつらと説教を食らったのだ。
感情があまり顔に出ない部下は無表情で私が彼女にしたことを非難した。
プライベートとしてフォーアイズを引き込んだ身としては、上司に説教するなとは口が裂けても言えない。
それでも、彼女との交換条件だったのだから何をしようが勝手だろうとだけ言えば、部下は少しだけ眉間に皺を寄せて説教を続けた。
「アルファリーダーは何故、彼女を私に紹介した」
「気が合いそうで、入院中の気晴らしになると考えたからだ」
「では少なくとも、彼女のことを思って行動することはできるんだな」
何が言いたいのか聞けば、部下はますます呆れたように溜め息をついた。
「貴方の実力は任務を共にしているから他に類を見ないことぐらい私も理解している」
「それがどうした」
「しかし、彼女を任務時のターゲットの延長上として認識するのはどうかと思う。彼女にとってそれは酷だ」
この部下は、私にミョウジにとって有利な報告するのを無償で済ませろと言うのか。
それを利用して彼女との関係を繋ぎ止めるのは頂けないようだ。
「そんな細工染みたことをしなくても、彼女との距離は縮められる。任務とは別に考えないと、それこそ距離はずっとこのままだ」
ぐうの音も出なかった。
確かに任務を利用していたし、今のままでは対等な関係にはなれないだろう。
彼女のコロコロ表情を変える仕草に興味を持ったのに、これではずっと怯え、泣かせることになる。
部下の言う通り本末転倒も良いところだった。
「アルファリーダーは感情の表現が苦手のようだ」
「それをお前に言われたらお終いだよ」
兵士として生きる者の特徴かもしれないな、と苦笑する部下に釣られ思わず嘲笑が漏れる。
早めに彼女とコンタクトを取るべきだと背中を押されたが、生憎連絡先というものを聞いていなかった。
スペクターかそこらに依頼すればすぐに分かりそうな物だが、こういう時にこういう手を使おうとするのもズレた選択なのだろう。
元々、彼女の居場所くらいはそうやって突き止めようと思っていたため、態々本人から情報を聞き出すことはなかったのが災いした。
「まさか彼女の連絡先……」
「ああ、知らん」
「では今すぐ呼び出しの内容を考えてもらおう。私が代わりにメールを送信する」
任務用の端末とは別の、端末をテーブルの上に置き俺に差し出した。
フォーアイズは現在、現場で採取した病原体の同定にあたっているので、その合間にでも彼女の所へ行ったのだろう。
退院にも付き添ったと言うから連絡先を交換してあるのも納得がいく。
いろいろと部下に先を越されていたが、ここは言う通りに行動したほうが事が上手く運ぶに決まっている。
端末を操作し、メールの画面に今夜喫茶店に来てほしいという趣旨の文章を打ち込み部下に返した。
どの道、ミョウジは私からの要求を断れないだろうし、人目のある外で会うことを選んだのは少しでも彼女を怖がらせないためだった。
あのような事をしておいて今更、という考えも拭えなかったが。
部下が自身の文章を付け加え送信を終えた後、椅子の背もたれに体を預けて淡々と話を始めた。
「ナマエはなかなか魅力のある人間だ」
「なぜそう思う」
「話題が豊富で、仕事のことから趣味や嗜好まで一緒にいて話が尽きない。私にはそれが新鮮だった」
訓練所に併設されたこのビルに設置された休憩所で並んで座る私たちを、隊員達は不思議に思っているだろう。
任務以外では滅多に誰かと行動することがないためだ。
しかし、今はそのような人目を気にしている場合ではなかった。
「アルファリーダーも、彼女から滲み出るそういう人柄に惹かれたんだろう」
「そうかもな」
「次のオフに食事に行く約束をした。貴方より先にデートとは」
私の居ぬ間にすっかり打ち解けていた二人に、柄にもなく焦りを感じた。
彼女のことに関しては部下より知らないことが多すぎる。
攻める方向を誤ったか。
相槌を打つ意欲も失せ、頬杖をついて白い壁をぼんやり見ていたら、不意に横から視界の中に部下の携帯端末を入れられた。
「返信だ」
受け取ったそれに焦点を合わせ、無機質な文字を追った。
『ハンクさんにわかりましたと伝えてください。
同定、大変だろうけど次のオフが決まったら教えてね。
一緒に美味しいもの食べに行こう。
じゃあまた。』
私ではなく、部下に充てられたメールだと思うと少し落ち込む。
自分勝手な感情ということは重々承知だ。
自分で蒔いた種である、ケリは今夜つけよう。
指定した喫茶店に到着した時、彼女の姿は既にそこにあった。
夜ということもあり、他の店に流れているもののちらほらと客はおり、彼女もそこまで緊張はしてないはずだ。
「悪い、待たせた」
「いえ」
店員にアイスコーヒーを注文して彼女の向かい側に座ると、ぽつりとそれだけ言った。
兎に角、心中を吐露するべきだろうが、いきなり言ってもそれこそ受け入れてくれるかわからない。
「ミョウジ、この前は」
「この前は、すみませんでした。私の覚悟がなかったばっかりに……ハンクさんは、私の恩人なのに……」
語尾になるに連れて弱々しくなる彼女の話が、コーヒーを持ってきた店員に遮られた。
それを丁度良いと思い、いつもは使わない頭の部分を駆使しながら口を開いた。
「詫びるのは私の方だ。立場を利用して悪かった」
「え……じゃあ、その」
「ああ、もうやめだ」
あからさまに動揺する彼女は何か言いたいことがあるのか口をパクパクさせるが、適切な言葉が出てこないようだ。
恐らく報告内容の撤回の有無が気になるのだろう。
「心配するな、報告内容を変えに行くつもりはない」
そう言えば少しだけ安心したようだったが、彼女はそうじゃなくて、と不可解なことを呟いた。
珍しく彼女が何を思っているのか読めなかったので、先を促すためにも私は黙っていた。
「ハンクさんとはもう会えなくなるのですか?」
揺れる瞳に、今度は私が動揺する番だった。
そのように思われるとは考えも及ばなかった。
「憧れてる人に、その、無理を強いられるのは悲しくて……でも、それしか関係を持つ術がないならって、思っていたので……」
だからあの時、彼女は盛大に泣いていたのか。
考えるのも煩わしくなり、私はテーブルの上に置かれた彼女の小さな握り拳に掌を掴んだ。
横にあるオレンジジュースの入ったグラスで氷がカランと音を立てて沈み、私たちは無言で視線を合わせた。
「それ以上は言うな。私が悪かった」
「そんな……」
「もう君は私のターゲットではない」
「でも、私」
「今からは只の男と女。立場は同じだ」
掴んだ手に力を入れた。
彼女の鼻を啜るのが可笑しくて、自然と笑みが浮かんだ。
「じゃあ……またこうして会ってくれるんですか」
「ああ、むしろ私から誘う」
「ハンクさん……」
「ハンクでいい、ナマエ」
怖がらせて悪かった、と本心から言えば、気が抜けたのかまた彼女の目から涙が落ちた。
それを指で拭えば、はにかんだように彼女は笑う。
「これからもハンク……さんに会えると思ったら安心してしまいました」
任務で救出した人間とこのような関係を築く等、俄には信じられない。
しかし、手に伝わる体温により彼女の存在が神経から脳へそして全身へと伝わり、普段の殺伐とした気持ちに潤いを与えてくれた。
これからは部下に遅れをとらないよう、もっと彼女の仕草をこの目に焼き付けなくては。
利害関係のない振り出しから、私たちは共に歩みを進めることを決めた。
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