倉庫と小説兼用 | ナノ




step by step
mission

人の気配のない、すっかり廃墟となった集合住宅を音もなくひたすら歩いていく。
マシンピストルを抱えていてもその動きは変わらず、両目だけが暗闇に赤く浮かび上がっていた。
脆くなった建物には常に危険が付きまとう。
漂う空気はカビや埃で淀んでおり、足場や視界も悪く気を抜くことは時に命取りになり兼ねない。
そのような折りに、手元の端末にデータが送られてきた。
物陰で開封すればそれは今回のターゲットの最新データで、文章から画像まで隈無く頭に入れ込んだ。
と、言うのもそのターゲットというのはいつものような軍人だとか企業の幹部といった者ではなく、アンブレラとはほぼ無縁な国家機関の女性研究者だった。
その分野での最先端の研究をしているということで、技術を目当てにしたある裏会社が手を回して拉致したらしい。
その情報を入手したアンブレラは彼女に対する認識を優秀な人材に改め、救出に成功したらヘッドハンティングという名の圧力を国家機関にかけるつもりだった。
しかし、大した目撃情報もなく生存しているかどうかもわからないターゲットの居場所を突き止めるのは、なかなか骨の折れる調査だ。
大企業アンブレラの力あってこその物であろう。
ガスマスクの中で、特殊工作員の男は静かに呼吸を整えた。
ターゲットは、男が侵入したこの集合住宅の中層階に軟禁されているため、廊下に面したその多数の部屋をしらみ潰しに探す必要がある。
尤も、その情報が誤りであれば、また振り出しに戻るのだったが。
相手会社が監視につけた人員は既にこの男の手によって息の根を止められており、新たに出くわさなければターゲットを探すのに煩わしいことが発生することはないだろう。
いくつになるだろうか、同じ造りの部屋の扉を開けては見回しの繰り返しを続けていると、やっとこのフロアの最後である角部屋に到達した。
扉を開けた時に男は直感した。
ターゲットはここにいる。
廃墟に変わりなかったが、他の部屋よりも状態がよく、何より生きている人間の気配を感じた。
かつて寝室だったであろう部屋に置かれた、周囲とは不釣り合いな小綺麗なベッドの上に拉致された女はいた。
銃を構える大柄な男の姿を見ると、彼女は怯えたように後退し身を縮こまらせた。
しかし、手足の枷のせいで身体の自由は制限されているので、大して男との距離は広がらなかった。
女の呼吸が浅くなり、徐々に血の気が引いていく。
男が背後の安全を確認して銃を下ろしても、それは変わらなかった。

「おい」

マスク越しのこもった声で呼びかければ彼女は固く目を閉じ、拘束された手で頭を庇った。
成る程、抵抗したのだろうか、酷い傷が腕や顔、首等の見えるところに多数あった。

「ナマエ・ミョウジ、私は君を救出するために派遣された。危害は加えない」

彼がそう言えば、彼女は恐る恐る手を退けて男の姿をまじまじと見た。

「救出……」
「そうだ。あまり時間はないが、先に応急処置だけしておく」

ツールナイフを取り出した男は器用な手つきで枷を解錠し、彼女の四肢は久方ぶりに自由になった。

「ありがとう、ございます」
「傷を見せろ」

少し、手荒に彼女をベッドに横たわらせると、ナイフの次は携帯用の簡易な救急ボックスを出して消毒の用意をしていた。

「あの……」

従順に男に従っていた彼女が、やや不安な面持ちで躊躇いながらも口を開いた。
サイドテーブルに座ってグローブを外し、使い捨ての医療用手袋を着けていた男が顔を上げる。

「やっぱりいいです」

上体を起こして捲った袖を元に戻してそっけなく言った。

「脱出中に痛んだら厄介だ。すぐに終わるからもう一度横に」
「大丈夫です!」

彼女の声が廃れた狭い部屋に響く。
マスクで隠されていて外からは見えないが、その勢いに男は思わず閉口した。

「大体……救出って言われても、そんな黒ずくめでガクマスク装備の人をいきなり信用できるわけない……」

再び膝を抱えて蹲った彼女の声は震えていた。
これには特殊工作員の男も流石に狼狽えた。
今まで自分がターゲットとした人物は大抵、敵対関係であるために反撃してくるか、同胞の場合は媚びへつらえて迅速な救出を求めるかのどちらかだった。
彼女はそのどちらにもあてはまらない、急にこちらの世界に巻き込まれた研究員に過ぎない。
この反応も仕方のないことかもしれない。
しかし、ここまで来てターゲットの生存を確認したのに、グズグスしていて更なる敵が集まってきたら犬死にもいいところだ。

「おい、怖がるな」
「お願いだから、触らないで!」
「ミョウジ」

小さな握り拳で抵抗していた彼女はファミリーネームを呼ばれて飛び上がった。
男は動きの止まった彼女の両手首を容易く片手で纏めて下げさせると、恐怖でうっすら瞳に涙を浮かべる彼女を無言で見つめた。
そして、空いているもう片方の手でヘルメットとガスマスクを外し、もう一度彼女の顔を見た。

「ハンク」
「へ……」
「名前だ」
「あ……」
「もう横にはならなくていい。手当てをするから大人しくしてろ」

男、ハンクの予想外の行動に彼女は腰を抜かして、結局はされるがまま応急処置を受けることになった。
彼が本当に自分を救出に来たとは思っていなかったのだ。
只者ではないその成りに、手当てをすると偽られ殺されると勘違いして無意味な抵抗をしたまでだった。

「酷い内出血だな。今はコールドスプレーで我慢してくれ」

脇腹にできた大きな痣を見て、彼女の顔が青ざめた。
今まで過度な緊張と恐怖で痛みは紛れていたのだろう。
腹部に包帯を巻いてその上からスプレーを噴射すると、その刺激で彼女は思いきり顔をしかめてハンクにもたれかかった。

「ご、ごめんなさいっ……」
「構わん。鎮痛剤、打つか?」
「いらない、注射は嫌いなので……」

少しこのままでいさせてほしいと言うので、彼は自分の胸に額をつけて深呼吸を繰り返す彼女をそうさせておいた。
患部への冷却が徐々に効いてきたのか呼吸が落ち着いてきた。
その時、彼女の服の間から覗く肩甲骨近くの切り傷がハンクの目に留まった。
どうりで所々服が擦り切れている訳だ。

「ミョウジ、消毒を続けるから動かないでくれ」

もたれている彼女を抱くように腕を回し、消毒液に浸った脱脂綿を持った手を襟から服の中に突っ込んだ。

「ハンクさん!?うえ、痛っ……」
「相当抵抗したんだな。普通、人質に傷はつけないだろ」
「痛い……と、くすぐったいです……」

彼女の首から肩にかけてあるハンクの顔。
どうやら彼の短髪と無精髭が時々そこを掠めるのがくすぐったいらしい。
妙な感覚に身を捩ろうとする彼女を腕でホールドするハンクは面倒だとでも言うように、その傷口にぐりぐりと脱脂綿を押し付けた。

「ひっ……や、ハンクさん!」
「これくらい黙って我慢しろ」

勝敗が明らかな攻防を終え、彼女は痛みによる疲労でぐったりとしていた。

「脇腹も大分楽になっただろ」
「……まあ」
「脱出までの処置としては十分だ」
「助かりました、ありがとうございます」

冷や汗を拭って力なく笑う彼女に、彼も小さく笑みを浮かべてそれに応えた。
彼女がそろそろと立ち上がり身体の至るところに力を入れたり足踏みして調子を確認していると、「痛みを感じたらすぐに言え」とくぐもった彼の声がした。
見ればもうあのガスマスクとヘルメットを着けており、表情は当然見えなくなった。

「小さな怪我でも油断すると命取りになるからな」

少し顔をひきつらせた彼女だったが、部屋を出ようと歩き始めついて来いと言うように片手を上げる彼の後をすぐに追いかけた。


[main]



×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -