乗っていた車のドアが急に開いたと思ったら、そこにいたのはナマエだった。
スティーブの声も頭の上を通り過ぎるくらい思考回路が鈍っていたようで、幻覚でも見てるのかと思った。
しかし、目の前の彼女は紛れもない本物で、クレアの反応に思わず俺たちは目を合わせて笑ってしまった。
ナマエと会うのはルイスとの飲み以来だが、あの日なんとなく互いのことを知ることができたので、今日は前より彼女の様子に険がない。
そして、スティーブと二人、水に濡れている姿を見て、彼女の幼い部分を垣間見たような気がして微笑ましくなった。
レッドフィールド家のキッチンに食材を運び終えると、礼を言うクリスに寛ぐよう言われ、俺たちは庭に出た。
ついでだが、クレアが申し訳なさそうにジルに兄を頼むと言っているところを見て、これはこれで微笑ましかった。
ジルは全く構わないといった様子の笑顔で、クレアも安心したようだった。
それに、きっとクリスとジルのことだ、息の合った作業であっという間に準備を終えてしまうだろう。
「よし、武器は早い者勝ちだ」
わいわいとプールに集うナマエ、クレア、スティーブは俺と違って若々しい。
「レオンさんも、早く早く!」
なんて、キラキラした笑顔で呼んでくれるナマエもまた、初対面の印象の時とは違う愛らしさがあった。
「このペンで体に印書いて、どれだけ消えずに済んだかで勝敗決めよう」
「いいわ、もちろん負けた方は罰ゲームよね?」
既に白熱してる様子に俺も童心に帰ったようにわくわくした。
その印というのは急所となる首に書くことになったのだが、ナマエとスティーブは念入りに体に残る水気を拭き取っている。
準備を整えた俺たちは、スタートの合図で、水を補充した水鉄砲を手に一斉に庭へと散った。
補充の時も攻撃は可能なので、無闇に撃って水鉄砲を空にしてしまうのも命取りとなる。
罰ゲームが何になるかは未定だったが、職業柄負けるのは避けたい。
皆、身を潜めながら動いていたが、クレアを探すスティーブの背後ががら空きなので、印は見えないがとりあえず項目掛けて水を飛ばしてみた。
「うお!レオンか」
慌てて振り向き、首筋の水を拭う彼。
「わかりやすいな、クレアを狙ってるんだろ?」
びくりと肩を揺らすスティーブの反応が初々しい。
「いいだろ、べつに。これ以上近づくと印目掛けて撃つぞ」
「俺も君を撃てるってこと、わかってるのか。まあ……ナマエを俺のターゲットにすることに異論がないなら見逃すが」
「そうきたか……じゃあここは結託しよう」
こんなお遊びにここまでするかとも思うが、利害の一致となればそれもいいだろう。
俺たちは互いの邪魔はしないことを約束し、それぞれターゲットを探しにその場を離れた。
それから間もなくスティーブの声がしたところによると、恐らくクレアに見つかり攻撃されたのだろう。
何はともあれ仲良く合戦をしているなら結託の甲斐もある。
さて、俺のターゲットは……。
いた。
クリスの車のタイヤの陰に隠れているが、俺の場所からは足が丸見えだ。
きっと彼女も俺の姿は認識しているのだろう。
その足はじっとしており動かない。
と、その時、無謀にも彼女は陰から飛び出し、勢いよく水を発射してきた。
「え、全然届かない!」
「残念だったな」
射程距離の範囲外にいた俺は、さらに彼女との距離をとって声をかけた。
空になった水鉄砲を見つめ追い詰められたような表情をする彼女に俺は少しずつ近づいた。
「こ、来ないでください!」
「罰ゲームが待ってるぞ」
いつでも発射できるよう水鉄砲を構える俺から逃げるように彼女は背を向けて逃げ出した。
なんて無防備なんだろう、と口角を上げる自分の方がよっぽどこどもっぽいかもしれない。
プールに向かっているようだが、そこにはスティーブたちが白熱した水の掛け合いをしていた。
水滴の付いた芝生が良い具合に光を受けて綺麗だったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「くっ……」
全速力で走ったナマエは出来るだけ素早く水を補充すると、また俺目掛けて水を飛ばした。
しかし、すぐに空になり、補充と水飛ばしの繰り返しになったが、彼女との距離も段々と短くなっていた。
「なんで当たってくれないんですか」
「そりゃ、避けてるからな。俺も罰ゲームは御免だよ」
「うー」
幸いなことに、スティーブを撃ってからそのままの俺の水鉄砲はかなりの水が残っている。
身の危険を感じたのか、ナマエは仕方ないとばかりに一旦プールから距離を置いた。
そして、また少しずつその間を俺が詰めていく。
彼女の首を狙うのは容易いが、どうしたものか。
試しに足に掛けてみよう。
「おわっ、と。首には当たってません!」
「狙ったのは足だから当然の結果だ」
そう言えば、不貞腐れたような顔になり、その彼女の表情に比例して俺は笑いを耐えるのが難しくなる。
「ほら、掛けるぞ」
水鉄砲を素早く構えて撃つフリをすれば、ナマエは足をもたつかせて後退した。
その慌て様に俺は遂に吹き出してしまった。
「騙しましたね!」
「ナマエは案外単純でわかりやすい」
「わ、やめてください」
首には当たらないように、腕や腹目掛けて撃てば少しでも印側が濡れないように背中を向けた。
俺の方はほとんど水が掛かっていなかったが、ナマエはみるみるうちにTシャツの色が変わっていった。
そろそろ俺も水を補充しようと彼女がこちらを向く前にプールへと引き返した。
中腰になり、補充されている水鉄砲から出る空気の泡を眺めていると、背後に気配を感じた。
当然、ナマエだろう。
息を潜めて近づいているのだろうが、すぐそこで感じる彼女に俺は振り向いた。
俺をプールに落とそう両手を伸ばしていた彼女が驚いて目を丸くした。
咄嗟に腕を引き込めようとしたが、そうするよりも早く俺はその片腕を掴んだ。
重心が前方にかかっていた彼女を前のめりにするのは容易い。
そして、そのまま俺は受身をとる形でナマエもろともたっぷりと水の張ってあるプールへと落ちていった。
彼女の悲鳴と派手な水飛沫が青い空に吸い込まれるようだった。
しかし、飛沫の方は重力に従い俺たちの上に降ってきた。
顔にかかるそれがこの季節には心地よい。
腹筋を使って上体を起こせば、胸の上でナマエがもがいていた。
「うぐ、滑って……」
「起き上がれないか?」
両脇を抱え上げれば、彼女の上半身は俺の体から離れ互いに向き合うような格好になった。
肌に張り付いた衣類が幼かった彼女を艶かしく魅せて思わずじっと見詰めてしまう。
「何するんですか」
「ナマエが先に俺を後ろから押そうとしたじゃないか」
「……バレてたんですね」
「ああ、バレバレだ」
さすがエージェント、と項垂れる彼女に自然と笑みが溢れた。
ナマエは本当に見ていて飽きない。
初めて会ったときは全然ニコリともしなかったのに。
アシュリーから聞いていた彼女の魅力はこれだったんだなと納得した。
俯いたまま水面を弄ぶナマエ。
俺たちのせいで大分水が少なくなったプールへ手を入れて濡らし、彼女の首筋に触れた。
「はい!?」
「こら、動くな」
「やめてください!くすぐったいです!」
抵抗するナマエを阻止しつつ掌でそこを軽く撫でるようにすれば、自分の抵抗が無駄だと悟ったのか彼女は大人しく俺にされるがままになった。
満足げな俺に向ける反抗的な瞳がまたあどけなく、自分の口元が緩んでいたことに、笑わないでください、と彼女に小さく言われたことで初めて気がついた。
「いい加減離してくださいってば」
「これくらいでいいか」
「え?」
「印、消えたぞ」
罰ゲームだな、と言えばナマエは今まで俺が触れていたところを押さえてはっとした表情をして、その後掴みかかってきた。
ずるいです、と何回も言いながら俺の首元まで手を伸ばすが、当然届かすようなことはさせない。
片手で彼女の両腕を纏めれば、ナマエは顔を真っ赤にして拗ねた。
「そういえば、スキンシップ苦手だったんだよな」
「……」
「ナマエ?」
「もう、離してください……」
これは完璧に機嫌を損ねさせてしまったか。
やりすぎたか、と思い俺は素直に手を離した。
彼女はそそくさと立ち上がり、よろけながらもプールから芝生の上へ出ていった。
怒ってるのかと思いつつもその動きを目で追っていると、ナマエは不意にこちらを向いた。
何か言いたげだったが、頬を赤らめたまま彼女は家の方に走っていってしまった。
これはあれか、少しは脈ありなのか。
何とも情けないが、ナマエの挙動を都合良く解釈した俺はそれから暫く水に浸ったまま動けなかった。
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