倉庫と小説兼用 | ナノ





難信号
微熱

週明けと共にエイダはしばらく仕事で家を空けることになっていた。
大学に通っている日はほとんど家にはいないのでどうということはないのだが、週末にひとりというのは少々寂しい。
やっと金曜日だとも思うが、どうせだから明日も大学に行くことにして、今は夕飯の買い出しのために街中に来ていた。
そろそろデパートの食品売り場も値下げしている頃だろう。
平日に自炊するのは面倒だったので、ここ数日私の足は真っ直ぐにそのデパートへと向かっていた。
しかし、金曜日ということで通り道である繁華街は昨日よりも人でこちゃごちゃしている。
地下道の方がいくらかマシだったかもしれないが、今更引き返すのも同じくらい大変そうなので、そのまま人と人の間を縫って進んでいった。
信号を渡り、飲食店とコンビニに挟まれた道を歩いていたら、名前を呼ばれたような気がした。
これだけの人だ、聞き間違えかと思いながらも辺りを見回してみると、私に手を振る人がいた。
恥ずかしいことにならないように念のため後ろを向いても行き交う人しかいない。
もう一度前を向くと、近づいてきた手を振っている人は私のよく知っている人だった。

「久しぶりだな、研究上手くいってるか」
「ルイスさん!」

彼は、私が学部生だった頃、ポスドクとして在籍しておりいろいろとアドバイスをくれてかなりお世話になった恩人のような人だ。
私の進学と同時に、研究機関に引き抜かれた彼は今そこで寄生虫の研究をしているらしいが、会うのは本当に久しぶりだった。
人混みを避けて少し話をすると、彼は友人との待ち合わせの最中とのことで、ずっと話をしているわけにもいかなかった。

「ルイスさん、友だちとの約束は大丈夫ですか?」
「あー、そいつ結構ルーズでな。今日も遅刻するんじゃないか」
「誰がルーズだって?」

聞き覚えのある声に私はまさかと思って振り返った。

「ナマエ」
「レオンさん……」

そんな、聞いてない、ルイスさんと友だちだなんて。

「なんだ、知り合いだったのか。ナマエ、まだ夕飯買ってないんだろ。せっかくだし、一緒に飲みに行くか」

この時ばかりは余計なことを言わないでほしかった。
それじゃあ私は、と踵を返す気満々だったのだが、これでは逃げ場がない。
そもそもルイスさんは、一度決めた考えを滅多なことでは変えない人だ。
実験で実証されれば検証するが今回は訳が違う。
またからかわれるのかと思うと悔しくて、奥歯を強く噛み締めた。
さりげなくルイスさんを真ん中にし、本意ではないがこうして私はこのふたりに着いていくことになった。

---

今日は久々に友だちと飲みに行く約束をしていた。
前の職場の同期で、今は互いに異なる仕事に就いているため、休みは中々合わない。
そんな折り、彼は明日が休みだということで、まとまった休日中の俺も都合がよかったので今日飲みに行くことが決まった。
と言っても、マメに連絡を取り合っている訳ではないので、この約束の取り決めは奇跡的とも言えよう。
ふと時計を見れば針の指す時刻にはっとした。
そろそろ向かわないとまた待たせてしまうことになる。
ズボンのポケットに財布と携帯電話を仕舞い、足早に待ち合わせ場所へ急いだ。
金曜日ということもあって一応店に予約を入れておいたので心配はいらないだろうが、それにしても人が多い。
信号が青になるのを待っていると、待ち合わせ場所にしていたコンビニを少し行った所にナマエの姿を見つけた。
こんな混み合った繁華街で見かけるなんて意外だと思っていたら、その横には俺の友だちがいるじゃないか。
ルイスと知り合いだったのかと驚くと同時に、彼女と親しげに話す彼を羨ましく思った。
信号が変わると走って彼らのところへ向かう。
どうやら俺のことを話していたらしい。
声をかければナマエはひきつった表情でこちらを振り返った。
この対応の差は泣けるぜ。
彼を真ん中に挟み牽制されてしまったが彼女も飲みに行くことになったので、ここでは素直にルイスへ感謝しよう。
店に着けば個室に通され、それぞれドリンクを頼んで腰を落ち着けた。
お腹が空いているのだろうか、ナマエは黙々とサラダやつまみを口に運んでいる。
そんな様子も小動物のようで思わず目を細めた。
アルコールが身体に回ってきた頃、近況報告をしていたルイスがナマエに話を振った。

「ここの飯、なかなか旨いだろ」
「はい」
「遠慮しないで好きなもん頼めよ」
「え、でも……」

メニューを見せられて少し困ったようなナマエだったが、悩んだ末に控えめに指差したアラカルトをルイスがすぐに店員を呼んで注文していった。
それは兄妹のようにも見え、何だか蚊帳の外みたいで俺は寂しい。

「なあ、お前らホントに知り合いだったのか?全然、話してないけど」

茶化すように笑うルイスに彼女は小さく口を尖らせ黙り混んでしまった。
先日の出会いを買いつまんで彼に話すと納得したようにナマエに「相変わらずだな」と言った。
曰く、彼女は親しくなって自分を出せるようになるまでには時間がかかるらしい。
それなら仕方ないか。
ナマエは何か諦めたように項垂れると、一度席を外した。
その途端ルイスが俺に詰め寄る。

「おい、ナマエの奴お前に警戒心丸出しだったぞ?」
「そうか?」
「どうみても敵意持たれてるだろ」

果たしてそれは本当なのだろうか。
先程、ルイス自身、彼女のことを相手と親しくなるまでに時間がかかると言ったではないか。
それはアシュリーから聞いたことにも通じるものがある。
俺に対する彼女の態度が敵意だなんて心外だ。
もしかしてあれか、碌に話もしてなかったからルイスにそう思われたのか。

「ナマエ」

そう判断した俺は、戻ってきた彼女に笑顔で話しかけた。

「グラス空いてるけど、このワイン飲むか?」

ボトルを掲げて新しいグラスを持ってみれば、ナマエは眉間に皺を寄せてこちらをじっと見る。
彼女が言葉を紡ぐ前にルイスが代わりに返事をした。

「ナマエ、ワイン飲めるようになったのか」
「いや、その……!」
「なんだ、飲めなかったんだな」

だからずっとジュースや紅茶を飲んでいたんだなと納得して両手の物をテーブルに戻そうとしたら、物凄い勢いで二つとも彼女に奪われてしまった。

「これくらい飲めます」

何度目かわからないが、ナマエに鋭い視線を送られたかと思えば、彼女は手酌でグラスにワインを注ぎ、そのまま固く目を閉じてゴクゴクと中身を飲み干した。

「何ムキになって飲んでるんだよ」
「……どういうことだ?」

慌てるルイスと、グラスを置いて涙目になっているナマエを交互に見て俺は戸惑った。
それと同時に、アルコールのせいで頬を上気させ、それでいて精一杯の虚勢を張っているように瞳を潤ませるナマエに、不覚にもドキリを胸が高鳴った。

「ご、ごめんなさい」

そう言うや否やテーブルに突っ伏した彼女にはっとして席を立つ。

「大丈夫か」

水を持って隣に座るも彼女は小さく呻くだけで顔を上げない。
ルイスに視線で問うと呆れたように口を開いた。

「下戸がワインなんて一気に飲むからだよ」

なんだって。
何も無理して飲むことなんてないのに。

「なんか……同期に飲めないの馬鹿にされたの思い出しちゃって……」
「あいつも変わらないな。ナマエも気にすることないのに」

やたら上から目線で空気読めないんだよな、と苦笑する彼にその同期の性格がなんとなく理解できた気がした。
彼女に水を飲んでもらい少しでも楽になってほしかったので、俺は必死になって話しかけた。

「俺は君を見下して言ったわけじゃないんだ、誤解させるような言い方をしてすまなかった」

何度かそれを繰り返すと、やっと彼女は顔を上げて水を受け取ってくれた。
少々目が座っているが、少し休めば大丈夫だろう。
倒れたりせずに済んでよかった。
水を飲んで深呼吸するナマエは、踞っていたからか前髪が乱れていた。
そのあどけなさに、また表情が緩みそうになったがポーカーフェイスを装い彼女の顔に手を伸ばした。
すると同じ間隔だけ彼女の上体は後ろに下がり。

「うッ」

不吉な鈍い衝撃音と共に再び彼女はテーブルに突っ伏した。
今度は後頭部に両手を宛ながら。

「全く怒ったり酔ったり、終いには頭ぶつけて……忙しいな」

ルイスがジョッキ片手にやれやれと溜め息をつく。
俺の片手は空中で行き場を失っていたが、避けられた彼女の後頭部を一緒に撫でる訳にもいかず情けなく引っ込めた。

「ナマエ……?悪かった、急に手を伸ばして」
「レオンさん……」

真っ赤な顔をして睨まれても笑ってしまいそうになるだけなのだが、どうやら彼女はまた怒っているようだ。

「なんですぐベタベタして来るんですか!?」
「は?」
「初対面の時も!信じられない!」
「いや……そんなにしたか?」

ナマエに悪態をつかれ、ルイスはケラケラ笑い、俺は酔いも覚めてしまった。
そもそも俺が警戒心を持たれていたのはそのせいだったのか……。
まあそれもルイスに言われて初めて気づいたのだが。
それだけ言うと彼女は気が抜けたように、今度は腕を枕にして寝入ってしまった。
飲み過ぎた時は寝てしまうのが一番楽なので、俺は大人しくもとの席であるルイスの隣に戻った。

「あいつ馴れ馴れしいのが苦手なんだよ」
「俺はそんなことしてない……」

オリーブをピックで刺したら見事に皿から転がり落ちた。
もしかして俺、かなり動揺してないか。

「じゃあ何したんだ?ホワイトハウスで巨乳の令嬢から紹介されたのが初対面だったんだろ?」
「その時はエスコートした」

頷き、至極真面目に言ったらルイスは吹き出した。
ああ、それからして俺は地雷を踏んでいたのか。
彼によると、ナマエはここでの暮らしは長くなく、未だ欧米人の距離感に慣れていないらしい。
ついでに男性の同期に難有りらしく、女性として扱われることにも慣れていないとのこと。
というか、周りの同期はどれだけ精神年齢が低いんだ。
今日ルイスにナマエのことを聞いていなければますます墓穴を掘って嫌われる一方だった。
既に彼女にマイナスのイメージを持たれているのでそれだけは避けたい。
最初の頃、アシュリーの話を適当にしか聞いていなかったツケが回ってきたのかもしれない。


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