私たちの周囲には男子学生の群れが、私たちの向かう先には女子学生の群れが……行く手を阻むように集まっていた。
「どうにかならんのかな、この騒ぎ……」
「ここまでのは流石に私も初めてよ」
隣同士歩いていても、男性特有の低い声に遮られて大声でないとよく聞き取れない。
それほど辺りはざわついていた。
私の横を歩く、ベビーフェイスでいてスタイル抜群の彼女はグラハム大統領の愛娘、アシュリー。
見た目はキュートでもやるときはやる肝の座った女子大生。
そんな彼女は私の大事な親友だ。
なんでそんな有名人と知り合いかっていうと、幼少期のころから何やら接点があり、縁あって今までずっと一緒にいて今のような仲になっていた。
互いに別々のコミュニティに所属しており、大学での専攻も異なるのだが、気が向くとこうして一緒に帰ったり、休日の時間を共に過ごしていた。
大統領の娘だとか、そんなことは関係なしに、私はこの気の置けない関係が心地良くて彼女を心から信頼している。
彼女も似たように私のことを思っているのは、一緒にいれば伝わってくる。
だから、この関係は誰に何と言われようと揺るぎないものだった。
しかし、最近どうも気に食わないことがある。
新しく彼女の一家のボディガードを務めることになったエージェントがどうにも癪に障るのだ。
今までもアシュリーは専属の運転手による送迎がなされていたが、その時は学生の好奇の目もだいぶ控えめだった。
しかし、それが奴に代わってからはこの有り様だ。
まずは女子の間で「王子様が迎えにきている」だか何だかわけのわからない噂が広まり、その王子様見たさに人が集まった挙げ句、今まで高嶺の花で近づけなかった男子がアシュリーの魅力に気付き今日のような事態が度々起こるようになった。
私は以前のように、一緒にカフェに寄ったり、ちょっと気になる雑貨や服を彼女に見てほしいのにそれすらも儘ならなくなっている。
実際に測っているわけではないが、絶対に彼女との時間は少なくなった。
それなのに奴は今日も正門に車をつけてアシュリーの帰りを待っている。
大体、あいつのどこが王子様なんだか。
筋肉質で、表情が読めず何考えてるんだかわからない王子様が何処にいるんだ。
ちょっと顔がいいからって女子はすぐにそっちに靡くんだから。
アシュリーは別段、奴の見た目に浮かれてる訳でもないので心配してないが、あの掴み所のない飄々とした態度と、いつも冷静で取り乱さないところが気に食わない。
とにかく、私のアシュリーとの時間を返せ!
こんな状況で心中穏やかとはいかないが、何とか車までたどり着き、後部座席に乗り込む。(これは今に始まったことではなく、前からグラハム家の好意に甘えていた)
本当は彼女と一緒に帰り道にある洋菓子店で季節限定のタルトを買って帰りたいと昨夜から考えていたのだが、途中で停まってもたもたしてたらまた人が集まって来かねない。
前の運転手さんだったら何の問題もなかったのに。
アシュリーには気づかれないように口をへの字に曲げながら窓から遠ざかる人の集団をぼんやり見ていた。
赤信号で停まった時、ふと視線を前にやるとフロントミラーに写るあいつの両目と自分のそれが見事に合った。
涼しげな表情の奴に無償に腹が立ち、思わず感情剥き出しで睨んでしまった。
やってしまってから不味いと思ったが、ミラーの双眸は小馬鹿にしたように細まり、私は急に恥ずかしくなって慌てて俯いた。
敵視している奴に馬鹿にされたのは結構な痛手だった。
悔しいし、思った以上にダメージが大きい。
アシュリーが、私のおかしな様子に「どうしたの?」と聞いてくれたが、ちょっと眠くなっちゃったと返すのがやっとだった。
昨日はなんとか誤魔化せたけど、あいつへの怒りは収まってなどいない。
腹を立てるのも馬鹿馬鹿しいのかもしれないが、向こうのあの態度だって十分大人気ないのではないか。
いや、それとも私が大人気ないのか。
怒りを発散できずに悶々としていたが、それもアホらしくなって私は学内のラウンジにあるカウンター席の椅子を引いた。
先程、アシュリーから連絡があり、急遽ゼミの集まりが決まり約束の時間を遅れてしまうということだった。
週末だから帰りが遅くなるのは大して問題ではなかったし、今日は彼女に夕食を誘われてそのまま泊まっていくことになっていたので待つことは何の支障にもならなかった。
せっかく暇な時間ができたため、実験ノートでも見てこれからの研究計画でも見直そうかとノートパソコンを開いて鞄を漁っていた。
予定より進度が遅れているため、どこをどうしようかとノートとパソコンの画面を見比べる。
実験は毎回予想通りに結果が出るわけではないので、計画していたよりも大幅に時間が掛かるのも珍しいことではなかった。
それに、実験には待ち時間も付き物で、稀に夜遅くまで研究室から帰れない日が続くとアシュリーに滅茶苦茶心配された。
その時のことを思い出していたら、ラウンジが急に賑やかになった。
どこかの大所帯のサークルでも入ってきたのだろう。
あまり好ましくはないが、学内にいる限りそれは仕方ないので、そのままここでアシュリーを待とう。
「随分と丁寧にノートをとるんだな」
その声に集中力がぷつりと切れた。
横でガタリと音がしたと思ったら、なんと奴が隣の椅子に腰掛けているではないか。
さっきラウンジが騒がしいと感じたのはサークルのせいなんかではなく、目の前にいるこのエージェントのせいだったのだ。
本人にその気がないのか全く悪びれる様子もなく、そこに座り頬杖を付きこちらを向いている。
いやいや、私はあんたに用なんてない。
何故ここに?車は?なんて疑問が山ほど浮かんだが、関わりを持つのは嫌なのでその疑問は黙って飲み込んだ。
せっかく計画を練り直そうとしていたのに、アシュリーとの時間に加えひとりの時間まで邪魔されては堪った物ではない。
しかも、周りの視線が痛くて居心地が悪すぎる。
「私はアシュリーと仲が良いだけであなたとは何の関わりもありません。どこか他の席に座ってください」
「昨日、ミラー越しに睨みつけてたが、あれはなんだったんだ?」
人の話を聞いていないのだろうか。
私の言ったことは全くのスルーで自分の聞きたいことだけ一方的に聞く、と……。
こんな奴がアシュリーのボディーガードなんて信じられない。
護衛の役には立たないかもしれないが、こっちの方がよっぽど常識人だ。
「あれは……別に理由なんてありません……」
「それは違うな。俺と関わりがないと思っているなら目を逸らすなり何なりいくらでもできただろう」
「……」
「俺の仕事に何か問題でもあるのか?」
敢えて突っ込まないでいたけど、そっちだって睨んだ私を見下すように笑ったではないか。
今度は自分のことを棚に上げるつもりか。
いい加減、埒が明かないので、向こうが移動する気がないならと、こちらがお暇することにした。
私はノートや筆記用具を乱暴に鞄に入れてノートパソコンを脇に抱えると椅子から腰を上げた。
そのまま鞄を掴もうと手を伸ばしたら、目にも留まらぬ速さで却ってその腕を掴まれた。
驚いて反射的にあいつの顔を見てしまった。
青く鋭い双眸に射止められて脚が動かない。
先の身動きの速さといい、この眼力といい、これがエージェントたる所以なのだろうか。
「質問に答えてくれ」
「……」
「俺の何が気に入らないんだ、教えてほしい」
「そんな……」
ガッシリと掴まれてしまった腕は神経が麻痺してしまったように感覚がない。
視線を反らせないでいると、奴は真顔で真剣に聞いてきていることが伺える。
何が気に入らないのかって……、そんなの決まってる。
「アシュリーと……」
そう言いかけてハッと我に返った。
これは単なる妬きもちなのか。
自分がアシュリーの近くにいられないから、このエージェントに嫉妬している?
急に、この歳になっても未だ抱いていた幼い感情に、顔から火が出る程恥ずかしくなった。
「アシュリーがどうした?最後まで言ってくれ」
そう迫られて、遂に私は俯くしかなかった。
本当はこんなこと言いたくないし、自分の弱みを握られるようで屈辱的だった。
「あなたが護衛に就いてから……なんだかんだでアシュリーと一緒にいる時間が少なくなったから……」
「それで?」
「大学でも騒がれるようになって自由に身動き取りづらくなるし……でも、そっちはいつも平気な顔して……!」
こうなったらもうやけくそだ。
多分、感情的になった今、悔しくて涙目だろう。
白状した私を見て、奴は端整な顔を崩して吹き出した。
「まあそんなことだろうと踏んでいたが……まさか本当にそれで拗ねてたなんて」
「え……な……」
「彼女も似たようなことをぼやいてたんだ。何やら騒ぎになってるのは悪かった。でもしっかりしてそうな君が妬きもちなんて、案外可愛いところがあるんだな」
もしかして、これはまんまとこいつの思惑に嵌められたのか。
腹立つ奴に醜態を晒したのか……。
ここまで来ると、悔しいというより惨めになってきて自分がカワイソウに思えてくる。
下を向いて、こっそり涙が落ちないように必死に目を見開いて乾燥させていたら、急に脳天が温かくなった。
「悪かったな、年頃の女の子なのにそこまで気が回らないで」
何かと思って顔を挙げたら、奴が私の頭を撫でていた。
しかも、今度は本当に申し訳なさそうにしている。
反省してるみたいだったから、自分の情けなさは都合よく忘れてもう許すことにした。(大袈裟だが)
結局、その後はふたりでカウンター席に座ってアシュリーを待つことになった。
この際だから、要望や提案などを頼み込もうと意気込んで、まだ打ち解けて間もないのにベラベラと元敵相手にしゃべり通しでいることには大分経ってから気付き、また自己嫌悪で惨めになったが、それは黙っていた。
多分、怒ったり話し込んだり黙ったり、という私の急に変わる様子を見て、奴は笑いを堪えていたので無意味だったと思うが。
ついでに何故昨日睨んだ時に小馬鹿にしたような表情をしたのか聞いたところ、あれは睨まれるという予期せぬ出来事に顔を顰めていただけらしい。
私を見下したつもりは全くないとのことで、自分の被害妄想っぷりにまた嫌気がさした。
もうこのエージェントの前でカッコつけるのはよそう。
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