倉庫と小説兼用 | ナノ





part from daily
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春休みを迎え、特訓にも大分慣れてきた。
ジルからは護身術として、腕を掴まれた時や、首を絞められたり羽交い締めにされた時の逃げ方等を教えてもらい、クリスには何度も相手をしてもらった。
また、着衣での水中移動も苦労することがなくなり、全身もそれなりに鍛えられていた。
最近では、ミットを着けたクリスにパンチとキックを命中させる練習を始め、サンドバッグを貸してもらい家でもフォームを確認しながら当てる練習をする日々が続いていた。
基本は逃げることが最優先だが、それが困難な場合は攻撃によって相手の隙を作ることも必要になってくる。
ジルには、身の回りの物、例えば携帯電話やヒールのある靴、砂や土でも急所である相手の顔目掛けて使えば距離を置いて逃げられる可能性が大いに高くなることを伝授してもらった。
ナマエの見た目にこれといった変化はなかったが、本人は以前より身体が軽くなりスタミナも付いたように感じていた。
ふたりが任務で国外へ行っている今は鈍らないよう自主トレを続けている。
研究室で座りっぱなしが多いナマエだったが、トレーニングやストレッチのお陰で肩凝り等もかなり改善するようになった。

この日、ナマエは空港に来ていた。
先日まで開催されていた学会発表を終えて帰ってきたところである。
ボスや客員の皆とは解散し、既にひとりだった。
スーツケース等の大荷物は出先のホテルから自宅に送ってしまっていて身軽だったナマエは、テイクアウトできる飲食店で何か買ってから帰路に着こうと港内をふらついていた。
連休や年末年始ではないのでそこまでの混雑ではなかったが、春休みということで店舗には人が集まり、搭乗を待つ人もそれなりにたくさんいる。
甘くておいしそうな香りに釣られベーカリーや菓子店の間を行ったり来たりしていると、搭乗手続きを行っているカウンターの方から乾いた発砲音と人々のどよめきが聞こえた。
事態の把握に努めようと、ナマエもそちらに注意を向けた。
店から離れ、ゆっくりとカウンターに近づいていくと、どよめきはやがて悲鳴に変わり、それを皮切りにその場にいた人々は逃げるように走り出した。
何が起こったのか全くわからず人の波に揉まれたナマエは、もみくちゃにされながらもその流れからなんとか抜け出し、もといた店の前まで戻ってきた。
カウンターから離れて非常口や出口に殺到する人々を見て、あの中に巻き込まれなくてよかったと胸を撫で下ろした。
もう一度、銃声が聞こえたカウンターの方を見てみると、よくは見えなかったが何人かの人が倒れているようだった。
捕まえたり包囲するわけでもなく、職員や警察官も散り散りになっている現場を不審に思い再度目を凝らして見ると、倒れていたと思っていた人がのろのろと起き上がったではないか。
その時、空港のロビー全体に緊急事態を告げるアナウンスが響き渡った。

『これより外部との連絡通路を閉鎖します。皆様、落ち着いて2番、3番、9番ゲートにお集まり下さい。繰り返します……』

閉鎖とは何事だ。
誰か事態を把握している人間はいないのか。
誘導している警察官も声を張り上げているが、混乱した客には届いていないようだ。

「早く特殊部隊を呼べ!9番からも感染者が出た!」

逃げ惑う客とは反対に走っていった警察官が無線機に向かってそう叫んでいた。
ナマエは自分の身体から血の気が引いていくのを感じた。
あの時、研究室の窓から見えた光景が甦る。
背後では火災報知器がけたたましい音を上げた。
その音に、ナマエは現実を突き付けられたような気がして拳を握りしめた。
誰もいなくなった飲食店の厨房からは火が出ており、炎はみるみるうちに大きくなった。
ナマエは近くに設置してあった消火器を手に取った。
しかし、飲食店には背を向けて遠いカウンターの方へ走り出す。

「どいて!」

撃っても撃っても一向に怯むことなく腕を伸ばして距離を縮めてくる最初の感染者。
弾切れになった拳銃を投げ捨てた警察官に向かってナマエは叫んだ。
足に力を入れて踏ん張り、腰を捻る。
身体全体を使って消火器を振り上げた。
骨が砕けるような嫌な音がしたと思ったら、遠心力のかかった消火器はナマエの手を離れ遠くに落ちて泡を吐いた。

「頭を狙わないと、駄目なんです」
「あ、ありがとう……助かった」

感染者は目の前で糸が切れたように崩れ落ちた。
自分の取った行動に気分が悪くなった。
しかし、そうしなければこの警察官はナマエの目の前で襲われていただろう。
その腰を抜かしそうだった警察官は、ナマエに礼を述べるとすぐにその場から離れて行った。
今、意識を失って倒れている感染者たちもやがて起き上がり飢餓感により人を襲い始めるだろう。
9番ゲートに行った客たちも感染してしまったらしいし、火災も発生している。
この状況で人の多いどこかのゲートに留まり特殊部隊を待つのは危険すぎた。
ロビーを見渡せば、客はゲートに行ってしまったようで、空港職員と警察官がベンチや観葉植物を運んでいる姿しか見られなかった。
どうやら、火災となった飲食店を境にしてロビーにバリケードを張っているらしい。

「早く移動しないと、厄介なことになるわよ」

サプレッサーを付けたハンドガンを撃つ音に振り返ると、そこにはスーツを着た女性が立っていた。
床を見れば他の感染者は見事に頭を撃ち抜かれていた。

「まあ、抗体があれば大丈夫なのかもしれないけど」

黒髪に赤いルージュの彼女はその艶っぽい口元から笑みを溢した。

「……何が言いたいんですか」
「健診の時、採血したでしょう」
「……!」
「悪いようにはしないわ。とりあえず場所を変えた方が賢明ね、いつ感染者の大群が来るかわからないから」

作りかけのバリケードを横目で見ながら、彼女はどこかに向かって歩き出した。
何も言えずにナマエは大人しくそれについていった。
ひとりで行動するよりはマシだということもあったが、一方的にこちらのことを知られているのが少々癪に触ったのだ。
気分の悪さはいくらか紛れた。

「わ、私、武器は持ってないので足手まといになりますよ」
「消火器を振り回す力があれば問題ないわ」
「見てたんですか……」

STAFF ONLYと書かれたドアの前で彼女は立ち止まった。
曰く、この先にある階段から屋上に出られるらしい。
救助は大抵屋上から来るのはナマエも経験上わかっていたので、納得して一緒に行くことにした。

「私のこと、知ってるんですね」
「もちろんよ、ナマエ」
「……。貴女は何者なんですか」
「エイダ・ウォン、ラクーンからの生存者。そうね、レオンは元気にしてる?」

彼女の口から出た彼の名前に、ナマエは心臓を掴まれたかのような衝撃を受けた。
レオンから事件の話を聞いたことを初めて後悔した。
人の過去なんて、本当は知らない方がいいのかもしれない。
レオンは彼女が生還したことを知っているのだろうか。
再会したとして、ふたりの想いは通じ合ったりするのだろうか……。
そんな心中の動揺が表情に表れていたのか、この状況でも随分と余裕のあるエイダに見つめられてしまった。

「彼が過保護になるのも頷けるわね」

意味深なことを言われ反論したがったが、ドアを開けるためにハンドガンを構えたエイダの姿に口を紡ぐしかなかった。
彼女とレオンの関係はここを脱出してからゆっくり考えようと思った。
窓のない通路は薄暗くて見通しが悪く、ライト2本では限界があり進行速度も遅くなる。
従業員用の通路なので各所でロビーやバックヤードと繋がっており、どこから感染者が来るかわからないため警戒は怠れないのだ。
途中にあった部屋に入り中の安全を確認すると鍵を閉めて大きく息を吐いた。
強がってはいるものの、ナマエは緊張と恐怖で生きた心地がしなかった。
エイダが部屋を物色するのを眺めていると彼女が口を開いた。

「貴女の発表、聞いたわ」
「え……」
「調査してる訳じゃないのよ、興味があったから私的に行っただけ」

どうやらこの部屋は空港の警備員の控え室だったようで、エイダは引き出しにしまわれていた拳銃と弾丸をサイドバッグにいれていた。
ナマエはロッカーにあった防弾ベストと警棒を手に取ったが、どちらも重くて扱えそうもなかったのでそっと元に戻した。

「何か持ってた方がいいんじゃない?」
「でも、使いこなせないので……」
「そうねえ……」

結局、他にあったのはライターやライト、機動隊が使うヘルメットや盾くらいでナマエが攻撃のために使えそうなものは見当たらない。
しかし、尚も物色を続けていたエイダは棒状だが警棒とは違う物を見つけて、それの突起のような部分を押した。

「わっ……!」

突如光を発した棒はバチバチと不穏な音をあげた。
エイダはスイッチを切ると、「丸腰よりは安心よ」と言ってそのスタンロッドを手渡した。

「ありがとうございます……。エイダさん、あの」

スタンロッドを握ったナマエは、一層声を落としてエイダを呼んだ。

「さっきから、何か音が聞こえるんです」

訝しげに眉間を寄せたエイダは、鍵の掛かったドアに近づいて耳を済ませた。

「まずいわ、犬の鳴き声よ」
「犬……麻薬探知犬!?」
「急いで。階段に向かうわよ」

ドアを開けて辺りを照らすと、自分たちが来た道の向こうの方で無数に何かが光った。
犬の目だ。
何頭いるのかはわからなかったが、訓練されているはずの探知犬がうろついているということは感染しているに違いなかった。
ふたりは迷路のように入り組んだ廊下を駆け抜けた。

「本当、厄介なウイルス」

廊下は突き当たりで左右に別れていたので、エイダは右、ナマエは左に回り犬の襲撃に備えた。
段々と近くなる鳴き声と足音にナマエはスイッチを入れたスタンロッドを握りしめた。
左右にいた人間に混乱した犬の頭部をエイダが空かさず撃ち抜く。
牙を剥き出しにして次々に現れる犬の数に奥歯を噛み締めた。
今にもナマエに飛び掛かろうと唸る犬を見てリロードする時間も惜しく感じた。
ナマエは醜悪な怪物と化した目の前の犬に一瞬後ずさったが、思いきってスタンロッドを振りかざした。
怯んだ一頭の背後からもう一頭が飛びかかる。
その時、ミットを持ったクリスが脳裏を過り、ナマエはスタンロッドを離し、上体を捻り利き足を蹴り上げた。
その蹴りは犬の首に命中し、電流によりダメージを受けた先の一頭の上に墜落した。
装填を終えたエイダが二頭の頭を弾丸で貫く。

「やるじゃない、案外タフなのね」
「初めて……当てました」

自分の動きに本人も驚きを隠せない様子だったが、エイダに呼ばれて急いでスタンロッドを拾うとまた彼女の後ろについて歩いた。
警戒しながら歩き続けていると、遠くで爆発音が聞こえて建物が揺れた。
ロビーは大変なことになっているに違いない。
火災が広がったことも考えられる。
ゲートに逃げた客達は無事なのだろうか。

「さっき走ったせいで階段まで遠回りになったわ。別の非常階段の方が近いみたい」
「そうですね」

表示してある案内図や部屋の名称が書かれた標識で、現在地と目的地を確認しながら進んでいった。
そうしたふたりの足音だけが響く廊下で、何の前触れもなくスピーカーから叫び声が聞こえた。
その恐怖を帯びた声にナマエの足が止まった。
エイダは俯く彼女の様子を見て手を握り顔を覗き込んだ。

「階段はこの先よ」
「人に……感染者に遭遇したら……」
「ふたりなら突破できるわ」
「さっきは目の前で襲われそうな人がいたから勢いでやりました……でも、私……」

感染者の息の根を止めることへの躊躇いが拭えなかった。
元は人間だったのだ。
そう簡単にできることではない。

「やらないと、こっちがやられる。貴女には帰りを待っている人もいるのよ」

手を強く握り直したエイダの言葉に、ナマエは両親やレオンたちの姿を思い出す。
確かに自分を待つ人はいる。

「それは……感染者の人も同じで……」
「違うわ。ウイルスへの感染は死を意味する。あれは医学的には死んでいる状態なのよ」

故人を悼む人はいても、もう帰らないことがわかっている人を待つ人はいない。
精神的な面で受け入れるのは難しくても、現実はそうなのだ。

「気持ちはわかる。でも、躊躇ったら終わりよ。一緒にここから脱出しましょう」

エイダにそう言われ、気持ちの整理はつかなかったがナマエは頷いた。
彼女が握ってくれた掌をとても温かく感じ、自分が生きていることを実感させてくれたのだ。
こうして再び進み出したふたりだったが、あの叫び声以来何かの気配はなく却って気味が悪かった。

「エイダさん、医務室です」
「非常階段までもうすぐね」

医務室の近くに表示してある空港案内図を見ていたナマエは、あることに気がつき、背中を嫌な汗が流れた。
医務室の前を通りすぎればすぐそこに階段はある。
しかし、自分たちの背後に伸びる廊下を案内図で辿っていくと、そこは8番と9番ゲートの正面にあるドアだったのだ。
その時、また爆発が起こり背後のドアが衝撃で吹き飛んだ。
むこうには真っ赤な炎が揺らめいている。
そして、運悪く感染者までもが遂にバックヤードに入り込んできた。

「何て数……」
「ナマエ、何する気!?」

足止めの為に射撃を始めたエイダの脇をすり抜け、ナマエは医務室に駆け込んだ。
施錠された棚に舌打ちすると、パイプ椅子を持ち上げて棚の硝子面を割った。
中から消毒用アルコールの入った瓶を数本取り出すと、蓋を開けて代わりにそこにあった脱脂綿を詰めた。
それを抱えてエイダの元に戻ると、既に感染者との距離はかなり縮まっていた。
いくらエイダと言えど数には押されてしまう。

「エイダさん、階段まで行きましょう!」

戻ってきたナマエの姿を認識したエイダは射撃をやめ、階段まで走った。
ナマエもそれに続いたが、振り返ると感染者の多さに胸が痛んだ。
階段の踊り場まで辿り着くとナマエは一度立ち止まり、エイダに先に進み逃げ道を確保するように促した。
心配そうな表情を見せたエイダだったが、すぐに階段を上って姿を消した。
ナマエはポケットに入れておいたライターを取り出すと、抱えていた瓶の口に詰めた脱脂綿に着火させ、それを感染者の迫る階段下に全て投げつけた。
もう、やるしかない。
割れた瓶からアルコールが飛び散り、火の手は勢いよく上がった。
それを見届けたナマエは煙が充満する前にすぐにエイダの後を追った。

「ナマエ、屋上に出られるわ!」

最上階の踊り場から身を乗り出したエイダに、ナマエは急いで階段を掛け上がった。
合流して屋上に出ると、肉眼で見えるところまでヘリコプターが来ていた。
まさかあの時のような怪物はいないだろうかと身構えたが、ここは下の惨状を感じさせないほど静かだった。
これでやっと脱出できる。

「そろそろお別れよ」
「え、エイダさんも一緒に脱出するんじゃ」
「ここまではね。助かったわ、ありがとう。あとは貴女の救世主に任せるわ。」

そう言った彼女はナマエの制止も聞かずに屋上から飛び降りた。
ナマエが息を飲むと、待機していたヘリが上昇し運転席の横にはエイダの姿があった。

「ナマエ、またね」
「エイダさん、私こそ……!」

小さく手を振り去っていった彼女を、ナマエは不思議な気持ちで見送った。
採血の時に血を持っていかれたようだったが、今回はこうして脱出までを手伝ってくれた。
それもナマエを生かして利用するためかもしれないが、エイダの真意が読めないナマエは彼女を敵と見なすべきなのかわからなかった。
彼女の乗ったヘリと入れ違うように、徐々に大きくなる救助のヘリの音に、ナマエはすっかり緊張が解けて、屋上に座り込み手摺に寄りかかった。
ここで調達したスタンロッドとライター、使わずに済んだライトを脇に置いて空を見上げた。
強い風圧に思わず顔をしかめたが、ヘリから伸びたロープから降りてくるのは彼女のよく知っている人だった。


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