ジルに連絡を取れば、いつでも施設を案内すると言ってくれたので、ナマエは日程を調節してその日を待ち遠しく思った。
当日はいつかのように彼女が家まで迎えに来てくれたのだが、休日の時とは異なり部隊の車両に乗り、服装も任務の時のように装備を固めていた。
ナマエはかつて大学に救助に来てくれた頼もしい彼女を思い出し息を飲んだ。
車両に乗り込めばジルは変わらず笑顔を見せ、ナマエはこれから見に行く私設部隊の組織に胸を踊らせた。
前回訪れた時は寮の側に駐車したが、今回は屋外の射撃訓練所の脇を通り支部の棟まで行き、その側に車両を停めた。
寮から見るよりも支部は大きく、ナマエは車両から降りるとその建物を見上げた。
「ようこそ、我が部隊へ」
ジルに連れられて中に入ると、彼女は警備を担当していた職員から臨時のIDカードを受け取りナマエの首にそれを下げさせた。
「まだここは出来たばかりだから、建物の割に人数が少ないの。ある程度本部で訓練を受けた隊員が派遣されてくるのよ」
エレベーターの中でそう話してくれるジルにナマエは頷いた。
最初に彼女のオフィスに通され、どういった環境で過ごしているのかを教えられた。
隊員に与えられているデスクのスペースはゆったりしており、毎日のデスクワークも快適そうだった。
身体を鍛えるためのトレーニングルームやプールもあり、特に地下の射撃訓練所はナマエにとって初めての場所で、各所で自主トレに励む隊員を見て身が引き締まった。
そして、この支部の特徴でもある、別棟丸々1棟に渡るラボはナマエにとってかなり魅力的に写った。
最新の機器が揃い、フロアごとに医学系、薬学系、化学系、生物系、情報系、心理系と分野に別れていて、さらにそのフロアで各専門に別れ日々分析や研究を行っていた。
出資の見込みがあったため、こうした大規模なラボを建設できたのだという。
今後も私設部隊は拡大を続ける予定で、それだけ各地での需要があるということらしい。
「こうして様々なプロフェッショナルによってバイオテロに備えてるの」
その後、食堂でクリスと合流し、3人で昼食を摂った。
食堂はバイキング形式で、各自IDカードを翳してから好きなようにプレートへ盛り付けていく。
ナマエもジルの動きを真似してカードを機械に当てると気になったいろいろな料理を少しずつ取っていった。
「ジルさん、取りすぎちゃったかもしれない……」
「平気よ、無理そうなら私が食べるし。クリスを見て、貴女の倍以上あるわ」
ふたりの視線に気付いたクリスが、山盛りのプレートを持ってこちらにやってきた。
小皿にちょろっと乗せられたサラダとは対照的に、プレートの大部分にはポテトやチキンのフライやベーコンがドッサリ乗っていて、ついでに日替わり料理だったトマトシチューが入ったお椀には具材がところ狭しと盛られていた。
「ナマエ、そんなんで夜までもつのか?」
ナマエのためにすぐそこにあったソーセージのトングに手を伸ばそうとする彼を慌てて制止すると、ジルがそれを見て笑った。
「まあ……今日はそれで構わないか」
ナマエは何のことだろうと思いつつも、一行は最後に主食エリアを通ってパンを取り(ナマエは迷わずライスを盛った)、窓際の空いている席に着いた。
ナマエがポタージュを飲んでいる間に、クリスは一口、また一口と肉やら芋やらを平らげていた。
別段それが早食いだとか見ていられない物等ではなく、ごく自然の食べ方だったので、ナマエは思わず彼の良い食べっぷりに釘付けになった。
「私のこと酒飲みとか言うけど、クリスの大食いも大概よねえ」
「そうか?レオンだってこれくらい食べるだろ?」
クリスの問いに、そういえばと思い出す。
レオンも家で料理を振る舞えばたくさん食べてくれるしおかわりもしてくれるのだ。
そういう些細なところにも頼もしさを感じているのは内緒だったが。
「ナマエ、口元緩んでるわよ。レオンと何があったの」
「ホント、ナマエはわかりやすいな」
思い出したらそれが顔に出ていたらしく、ふたりに指摘されてしまい思わず口元を押さえた。
何もないと言ってもふたりはニヤニヤしながらナマエを見るものだから、恥ずかしくなって黙々と食べることしかできなかった。
「そういう素直なところ、可愛らしいのよね」
「周りもほっとかないんじゃないか」
「ふたりとも何言ってるんですか!?からかわないでくださいよ、もう」
「すまん、でも本心だよな」
「ええ」
裏のない笑顔でそんなことを言われてしまえば、照れくさくてナマエはほんのり頬を染めた。
その後もふたりのやり取りは漫才のようで、ナマエも一緒になって笑っていた。
本当はずっとこうしていられるくらい世の中が平穏でいればいいのにと思う。
口には出さないが、きっとみんながそう思っているだろう。
ナマエが食べ終えたのを見計らい、クリスが腕時計を見るとジルに目配せをした。
ふたりはもう真剣な顔をしており、これから最初に案内したオフィスに戻ることをナマエに告げた。
プレートの返却を済ませ、来た時と同じようにエレベーターに乗ると、ジルが「食後すぐに移動させて悪いけど、大事な話があるの」と言った。
オフィスに戻り、その奥に続いている談話室に入るとクリスが鍵を閉めた。
ソファに座るよう促されたナマエは、武器こそ装備していないが、いつでも出動できる装いのふたりに再び背筋が伸びた。
「組織の設立に関わった俺たちから、ふたつ提案があるんだ」
テーブルを挟んで向かいに座ってそう言ったクリスに引き続き、ジルも頷いた。
「ひとつはこの組織へのスカウトだ」
淡々と説明を続けるクリスに、ナマエは必死に頭を回転させた。
彼のいうスカウトというのは、隊員としてではなく、研究員としてのそれだった。
生物系の分野で、蔓延る細菌やウイルスに対する防御法や新たな機能や毒性の解明を担ってほしいという。
それは、彼女が大学で培ってきたことを踏まえてのことで、誰にでも頼めることではなかった。
また、ナマエが平均的な人よりも専門的なコンピュータ操作への適応力があることもふたりは買っていた。
「もちろん、今すぐ返事を求めてはいない」
「他に希望する研究があれば、出来る限りそれに沿うつもりでもいるわ」
思ってもみなかった話にナマエは胸が高鳴った。
自分のしてきた事が、技術、能力が、必要とされている。
これだけで今すぐ首を縦に振りそうになったが、返事は就職活動を終えるまで保留で構わないと言ってくれたので了承した。
「もうひとつは、ナマエに身を護る術を身に付けてほしい」
「いつどこで誰に狙われるかわからない。それはナマエも十分わかってるわよね」
ナマエは深く頷いた。
それはもうずっと前からわかっていたことだ。
「もしやる気があれば、俺たちから特訓を受けてほしいんだ」
「体力や体調に合わせて、初心者でも無理のないやり方で進めるわ」
こんなにも親身になってくれるふたりに、ナマエは目頭が熱くなった。
確かに、身を護る術を身に付けておけば何かあった時に役に立つし、もしかしたらそれで生死を左右されるかもしれない。
そして、指導者がこのふたりならば心強いことこの上ない。
「私、やります。鍛えて下さい」
ナマエの申し出に、ふたりは力強く頷いた。
「そうこなくっちゃ!実はもうプランは考えてあるの」
嬉しそうに立ち上がったジルは、談話室の鍵を開けてオフィスに入っていった。
ナマエはこれから始まる特訓に興奮しているものの、多少の不安を抱えていた。
「ジルはナマエがかわいくてしょうがないんだよ」
「で、でも、私、最近運動なんて全然……ジルさんの期待に応えられるか……」
「問題ないわ」
そこにオフィスからファイルをも持って戻ってきたジルが再び加わり、話し合いは継続した。
「まずは体力作りから。いきなり激しい動きを続けても筋肉ができてないと足腰に大きな負担がかかって身体を壊すことになるからね」
広げられた資料には、学生であるナマエを考慮したプランが立てられていた。
春休みまでは毎日の腹筋、背筋、股上げ、ストレッチで身体を動かすことに慣れ、週1でここに来て水着の上に服を着て、着衣のまま泳ぐことなく出来るだけ早く水中を移動して全身を鍛えていくことになった。
「無理はしないで、毎日続けることが大切よ」
「はい!」
「プールの後には簡単な護身術も教えるから、少しずつ腕を磨いていきましょう!」
こうして、春休みまではジルとの特訓が幕を開けた。
まずは今から腹筋ということで、用意してあった着替えを渡されふたりはトレーニング室へと向かった。
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