年明けに、ナマエはジルからロシアにあったアンブレラの工場に潜入した時の話を聞いた。
既に無秩序状態だったそこには、かつての事件を凝縮したようにありとあらゆるクリーチャーが徘徊していたらしい。
何発ものロケットランチャーを繰り出してくる怪物には流石に苦戦を強いられた、と快活に言うジルにナマエは腰を抜かしそうになった。
怒涛の勢いで月日がながれ、久しぶりにルイスと連絡を取ろうと試みたナマエだったが、アドレスが無効なようでいくらメールを送っても戻ってきてしまうため、しばらくそのままだった。
現役警察官の仕事っぷりでも聞こうと思っていたのだが、案外業務に精を出して忙しいのかもしれないと思い彼のほうから連絡が来るのを待つことにしたのだ。
昨年度末にレオンと話し合いを経て、二人はまた定期的に会うようになっていた。
それが義務というわけではなく、時間ができたからとか、行きたい場所があるからといった前向きな理由でそうなっている。
今日はナマエが彼の自宅を訪問する約束になっていた。
そうは言うものの、レオンがナマエを家まで迎えに来て、そのまま車で彼の家に戻るのだが。
二人は途中で食料や惣菜の類を買い込み後部座席へ積み込むと、そのままレオンの家へと向かった。
「室内で過ごすのは久しぶりだな」
「そうですね、ここのところは外に出かけることが多かったですし」
移りゆく街並みを横目に、ナマエは微笑みながらレオンに返答した。
何しろ、今日は彼の自宅に初めて上がるのだ。
一人暮らしの彼の台所は寒々しいほど最低限の調理器具しかないらしいが、毎回ナマエの家に邪魔してばかりなのは悪いからということでこの手筈となった。
空けがちなので殺風景なのは何となく予想できるが、それでもナマエはレオンがどのような家に住んでいるのか知ることができるのを楽しみにしていた。
「わあ、立派なお家」
「これも政府の支給なんだ」
そう言って苦笑するレオンは、ポケットからキーケースを出してナマエに預けた。
「ガレージに入れてくるから、先に上がっていてくれ」
「あ、はい!では一足先にお邪魔しています!」
助手席から降り、方手を上げるレオンに手を振り返すと、ナマエは早速玄関に行き鍵を開けた。
ドアを押して、そろそろと足を踏み入れると、左手には階段、目の前には廊下、この先にはリビングだろうか。
「中もご立派……!」
玄関だからといって絵や花が飾ってあるわけではなく、その無機質な感じが彼の生活を表しているようで、らしいような少し寂しいような、複雑な気持ちになった。
そんなこともあろうかと思って、ナマエは鞄からあるものを取り出した。
それは、至ってシンプルな写真立てで、中には花畑の写真が使われているポストカードが入っている。
背の低いシューズボックスの上に置いてみれば、途端に玄関は華やかになった。
有ると無いでは大きく異なる。
このポストカードは、レオンと一緒に出かけた時に買ったものだったので、これからもよさそうなカードを見つけたら、買ってこの写真立てに入れて飾ろうと思った。
満足げに写真立てを眺めているとナマエの横のドアが開いた。
車を入れたレオンが荷物を持って戻ってきた。
「中で寛いでいてくれて構わなかったのに」
「家主を置いてそんなことはできませんよ」
廊下を行くレオンに続き、ナマエもその後ろをドキドキしながら歩いた。
物が少ないからか、リビングやダイニングは広く感じる。
「何もないが、どうぞごゆっくり」
「ありがとうございます」
レオンがダイニングの椅子を引くので、笑みを零しながらナマエが席に着いた。
キッチンに立つレオンのいつもとは違うその姿に可笑しな違和感を感じながら、彼の動きを見つめていた。
「しまった、うちにはコーヒーしかないのをすっかり忘れてた……」
「ティーバッグならさっき買いました!」
ナマエは立ち上がってキッチンに入ると、シンクの横の袋からそれを取り出した。
放っておくと手伝いそうな勢いだったので、レオンはナマエに礼を言ってもう一度ダイニングに座らせ、袋に入った他の食材等を冷蔵庫に閉まった。
そして、ポットから湯を注ぎ紅茶とコーヒーを淹れると自身も席に着いた。
「いつも何も入れないんですか」
「ああ、ブラックだ。……飲んでみるか?」
向かいに座るナマエの鼻先にカップをかざす。
立ち上る湯気が彼女の鼻腔を掠めた。
「コーヒーの匂い!……これだけで十分です」
眉間に皺を寄せたナマエにレオンは声を出して笑った。
「本当に駄目なんだな」
「ブラックが苦手なだけです!砂糖とか、ミルクとか入れればどうにか……」
「毎日飲んだら脂肪の塊になりそうだ」
わざと真剣な顔でそう言えば、ナマエは「またそうやってからって」と言ってティーカップを啜った。
日々の煩わしいしがらみから遠ざかり、ゆったりとした時間が流れる。
たまにはこうした休日も心地良いと感じた。
「それで、ナマエは俺の仕事について知りたいんだっけか」
「はい」
「それは……政府の下で働きたいってことなのか?」
「いえ!ただ、権威のある機関ではどういったことができるのか、可能性のようなものが知りたくて」
「成程、確かに比較対象は多い方がそれぞれの良さがわかるからな」
レオンは一度立ち上がり、キッチンに置きっぱなしにした袋から箱を取り出し、底の浅い皿に中身を盛った。
カラカラとクッキーと皿が触れ合う音に釣られたナマエの視線を感じ、顔を上げた。
「待ちきれないって顔してるぞ」
小さく笑えばナマエは頬を紅潮させて反論する。
「レオンさんがつまみ食いしないか見てるんです」なんて言われても説得力は皆無で、彼はますます愉快そうに笑った。
「お嬢さん、どうぞお召し上がりください」
「……いただきます」
「さて、仕事の内容だが」
クッキーを頬張るナマエを柔かに見つめながらレオンは話を始めた。
彼が属する部署では諜報活動を主な仕事としており、エージェントは単独や少数で動くことがほとんどである。
そして、リアルタイムで情報を伝えたり、必要な支援員を派遣し、エージェントの作戦行動を支えるサポーターがいる。
もちろん、部署は他にもたくさんあり、その分、職種も異なってくる。
レオンの所属しているのは人間を介した諜報や情報操作を行う本部であるが、他には、科学技術を駆使して情報を収集する部、収集した情報の分析を行う部、要人警護や施設警戒、訓練の実施等を専門とする部もある。
彼が訓練を受ける時には、他部署へ派遣されることも度々あった。
ナマエはこうした話を聞いて、国家というものは物凄い機密情報で溢れているのだと驚愕した。
憶測でしかないが、買収や尋問、扇動や暗殺等が日常的に行われていると考えるとゾッとする。
「研究者の仕事で俺が知っているのだと……、麻薬の分析をしたり、対バイオテロのための細菌やウイルスの同定がある。その研究所は前に行ったところだ」
「うーん……ちなみに、科学技術を使う情報収集ってどんなことなんですか?」
「無線、電話、メールの傍受だろうな。恐らくそっちの部での研究は有能なハッカーなんかが担っているんだと思う」
「すごい世界なんですね。全貌はレオンさんもわからない、と」
「ああ、全くの未知だ」
今更ながら、かつて自分はとてつもない世界への勧誘を受けていたんだと実感せざるを得なかった。
それを蹴った(というよりは無視した)ことを悔やんでいるわけではないし、今からそこへ飛び込みたいと思うわけでもない。
しかし、政府の下で働くのが何の自由もないということはよくわかった。
レオン曰く、自分も含めて諜報員は必要最低限の情報しか与えられない場合がほとんどで、どんなに危険な任務であってもそれは変わらないという。
そこがどういった職場か考えなければ、署内の同僚や仲間は頭も良くいい人ばかりだが、置かれる状況は決して安心できる場ではない。
彼の話を聞いて、ナマエはもう少し進路をどうするべきか悩もうと思った。
どこか、政府との関係がなく、かつ一本筋の通った職場はないものだろうか。
「他に話を聞きに行く宛はあるのか?」
「民間の説明会が始まるのはまだ先で……」
「そうか……。クリスのところはどうだ?」
彼の提案にハッとする。
勤務する、しないは別として組織の話を聞きに行くのは視野が広がって良いのではないかというレオンの提案にナマエも納得した。
ジルたちがレオンと似た諜報活動をしているのは知っていたが、当然組織の仕事としてはそれだけで成り立っている訳ではないだろうし、自分に適した職を見つけるためにも話を聞きに行くのは良さそうだと思い、時間を見つけてアポを取ろうと思った。
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