信頼しているジルの言葉に、ナマエは気づかされた。
誰も自分を疎んでなんていないということを。
周囲にこんなにも自分を想っている人がいる、必要なのは自信をつけることなのだ。
レオンにも会って、謝罪を述べたい。
行動を起こすにしても、例えそれを反対されても、やはりレオンには伝えておくべきだったのだ。
今になって彼に連絡を取ろうにも、現在、国内にいるのかさえわからない。
かといって、もしどこかで任務中だった場合、彼の私用携帯電話に連絡を入れてしまっては迷惑になる。
レオンのスケジュールを調べることができるような立場の人間は、彼しかいない。
大いに悩んだ結果、まずその彼に連絡を取ってみることに決めた。
「いらっしゃい、久しぶりですね」
ナマエは、マヌエラを訪ねてロイの自宅へ来ていた。
彼の妻によると、マヌエラは日に日に笑顔が増えているらしい。
教育施設に通わせることも考えたが、今の生活に慣れるまでは家の中で過ごす方がいいと考え、普段マヌエラは読書をしたり家事の手伝いをしているとのことだった。
マヌエラ自身も勉強はしたいが見知らぬ人が大勢いる場はまだ抵抗があるので、話合った結果、今のように収まったのだ。
それを聞いてナマエも安心した。
「ナマエさん、彼の任務日程のことなんですが」
数日前、国立の研究所に勤めるロイに電話で聞いていた。
レオンの予定を知ることはできないだろうかと相談したところ、彼は快くレオンの部署に連絡を取って調べてくれたのだ。
「明日、任務を終えて、明後日にはこっちに戻るようですよ」
「そうですか……!お手数をかけてしまって、本当にありがとうございました」
「いいえ」
彼は、「お安い御用です」と言って頭を下げるナマエを宥めた。
「マヌエラが待ちくたびれてるかもしれませんね」
話が済んだところで、ロイは柔らかな表情でドアの向こうへ入るように呼びかけた。
すると、マヌエラが嬉しそうに入ってきた。
研究所で会ったときよりも血色が良く、細かった手足も歳相応で健康的になっている。
立ち上がったナマエは駆け寄ってきた彼女を両手を広げて迎え、ふたりはしっかりと抱擁を交わした。
「ナマエ、来てくれてありがとう」
「元気そうで安心したよ。もう腕も痛まない?」
「すっかり治ったわ。……ナマエ」
笑顔だったマヌエラの瞳から、突然ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
彼女の言葉にならない感情が、ナマエにも押し寄せる。
メイナード夫妻は顔を見合わせ、複雑そうな表情だが互いに頷いて彼女の心境を受け入れた。
ナマエも包帯が取れて元の正常な褐色の肌となった彼女の腕に手を添えてマヌエラが落ち着くのを待った。
「ナマエの命の恩人がレオンであるように、私の命の恩人はナマエなの。本当にありがとう」
涙を拭ってそう言った彼女に、ナマエも鼻の奥がツンとした。
ナマエにとって、思いもよらない嬉しい言葉だったのだ。
マヌエラの言ったことが、彼女の心のなかでひとつの大きな自信となり、希望となる。
自分でも誰かの役に立つことはできたんだと実感できた。
ロイ、そしてマヌエラとの出会いがナマエを一歩前へと進める出来事となった。
コンピュータでの遺伝子解析が終わるのを待つ間、ナマエは昨日ロイの家で過ごしたことを思い出していた。
いつかナマエが来てくれる日のために練習を重ねていたというマヌエラお手製のアイスボックスクッキーは見た目も可愛らしくて美味しかった。
彼女は、ロイが研究者だからかナマエが大学で学んでいることにも興味を持っていたようで、大学はどんな場所でナマエは何をしに行っているのか等いろいろと質問をした。
そんな彼女を見て、これから様々なことに興味を持って、たくさんのことに挑戦して欲しいとナマエは感じた。
すぐに傷が癒えるわけではないが、彼女が未来に希望をもてるようになったことは確かだ。
そう思うと、自身も何だか頑張れる気がする。
レオンはもう任務を終えたのだろうか。
電話でなら相手の様子がわかって声も聞けるが、手が空いているかどうかはわからないのでメールで要件を伝えようと結論づけた。
肝心な内容だが、あまり感情的な文面にするのもどうかと思い、かと言って用件のみでは本当にただの事務的なメールになってしまう。
考えに考え、推敲を何度も繰り返し、以前と同じように任務を終えた労いの言葉と、時間ができたら会ってほしいという主旨の内容でメールを送った。
返信に関しては、早々返せる状態でもないだろうし、もしかしたら予定通りに帰ってこられないかもしれないので期待はしなかった。
しかし、それでもどこかで期待している部分もあり、携帯電話を見ても新着のメッセージが届いてないのがわかると溜息をついてしまう。
こんなにも彼に会いたいと思ったのはいつぶりだろうか。
任務を終えたレオンは、いつものように本部に帰還するためにヘリに乗っていた。
彼は今、政府のエージェントになり立ての頃よりも腕が上がってきたことを実感できるようになった。
重火器の扱いも熟達してきたし、体術でも思った通りの動きが難なくできる。
接近戦でのナイフの扱いも大分慣れてきた。
危険が伴う潜入調査でも、無事に帰ってこられる自信は大いにある。
シートに寄りかかって珍しく今までのことを振り返っていると、電源を入れておいた私用の携帯電話が発した振動が身体に伝わった。
仕事用の通信機に頻繁に連絡が入るのは当然のことだが、こちらに連絡を入れるのは限られた人しかいない。
とはいえ、この携帯電話が仕事をするのが最近めっきり減っていたこともあり、レオンは一体誰からだと気だるそうにポケットからそれを取り出した。
見るとメールを受信しているようで、操作をして送信者を確認すると心臓がドクリと大きく波打った。
そこには長い間、連絡をとっていなかった彼女……ナマエの名前があった。
任務明けからの疲れで幻覚でも見ているのではないかと、一瞬自分を疑ったが、もう一度操作をやり直しても結果は同じだった。
ナマエと連絡を取ることができずに逃げていたという負い目があるレオンは、彼女がどういった文面でメールを送ってきたのか予測できずなかなか開封することができなかったが、思い切って画面をタップした。
そこには、以前と同じように自分を労う言葉と用件のみが書かれていて、至ってシンプルな内容だった。
それを読んで一安心するのも束の間、何て返信すれば良いのか。
もちろん、レオンはOKの返事をしたかったのだが、そんなやり取りをすることさえじれったく感じる程、今すぐ彼女と話がしたかった。
明日は平日。
午前中に報告書を仕上げてしまいえばその後は帰宅を命じられてしばらく休みがもらえるはずだ。
平日ならナマエも遅くまで研究室にいるだろう。
レオンは、余計なやり取りを挟まないで明日、直接ナマエに会いに行こうと決心し携帯電話を握り締めた。
毎回、人間関係、とくに女性絡みのそれでは上手くいかないことが多かったが、今回こそはその運命をどうにか避けたいものだった。
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