気がつけば、ナマエも卒論を意識する時期になっていた。
大荒れの天気だったあの日、レオンから衝撃的な事実を明かされてからもう月日が大分流れている。
その翌日、彼のお陰で両親にも自分の身に起こっていることを伝えることができた。
レオンが話をする横で涙を流すナマエを両親は強く抱き締め、その一家の姿に彼はこの家族に事情をきちんと話すのは正しいことだったと実感していた。
彼の説明で、両親も一般の人よりもその方面に詳しくなることができ、また、ナマエ自身も肉親に頼ることができるので精神的な負担がかなり軽減された。
アンブレラによる事件めいたことも政府からの接触も、今のところは起こっておらず、平穏な日々が続いている。
あれから無事に新学期を迎え、初めの頃は馴染めずにいたが、学生実験や実習を通して徐々にその学科の雰囲気にも慣れ始め、研究室に配属される頃には元からこの大学に通う学生と大差のない毎日を送るようになった。
幸いなことに、体調を大幅に崩すこともなく病院に掛かる必要も生じなかったので、厄介事に巻き込まれることなく学校生活を送っている。
たまに交わすルイスとのメールでは彼が警察官になったことを知り、ナマエは喜んでいた。
レオンとの間柄はというと、ナマエの方も大学が忙しくなり予定が中々合わせられなくなってしまったことにより、更に会う頻度は少なくなってしまった。
それに加えレオンが現在、南米の方へと長期任務に向かっているので当然会うことはできない。
詳しくは教えてもらえなかったが、どうやら生物兵器に関わった人物との接触を図るらしい。
ナマエとしてはレオンの任務が心配で仕方がなかったのだが、それが彼の仕事であり決めた道でもあるので何も言えなかった。
気をつけて、と伝えたことを後悔している訳ではないが、何しろ彼の顔を見るまでは落ち着くことができない。
自身が勉学なり研究なりに集中している時はいいとして、ふとした時に彼の身を案じてしまい、また、その不安を誰かに吐き出すこともできないので3度に1度は泣きたくなった。
辺りはすっかり暗くなり、研究室の窓から見える空には月がぽっかりと浮かんでいた。
そろそろ帰宅でもしようかと、ナマエは自分の実験台の上を片付けて座っていた椅子を引いて立ち上がった。
その時、同じ研究室で共に切磋琢磨している同級生が、何やら急いでこちらにやってきたのだが、週末の疲れは何処へいったのだろう、少しばかり興奮しているらしく目をキラキラとさせている。
「ナマエに用がある人たちが廊下で待ってたよ。すごい綺麗な人でびっくりしちゃった!」
そんな彼女に戸惑いつつも、ありがとうとお礼を言うと、ナマエはそのまま廊下に出るためにドアの方へ向かった。
一体、こんな時間に誰が何の用があってわざわざ研究室まで来たのだろうか。
大分前に会った自称政府の人間が一瞬頭を過ぎったが、彼女はお世辞にも同性に興奮されるほど綺麗とは言えなかったと思うし、そう結論づけると他に誰がいるのだろうかとますますわからなくなった。
しかも、『人たち』ということは複数の人間がこの先で待っているということだ。
相手に女性がいるといっても油断はできない。
ナマエは警戒しながら向こうを伺うようにドアをそろりと開けた。
暗い廊下にドアの隙間から一筋の光が伸びていく。
恐る恐る視線でそれを辿って行くと、その先には懐かしい顔ぶれが並んでいた。
「ナマエ、久しぶり!」
「え……嘘、ジルさんにクリスさん!?」
「元気そうだな」
ナマエに眩しいくらいの笑顔を向けるのは、あの時一緒に脱出したジルとクリスだった。
二人はナマエに会いに大学まで来てくれたのだ。
「やだ、私てっきり……今、支度するのでちょっとだけ待っててください!」
「あら、気にしないでいいわ」
彼女の驚いた様子に笑みを零しながら、ジルは研究室の中に慌てて消えていったナマエを見送った。
一方、反応の薄いクリスに対しては肘で小突いて「何ぼーっとしてんのよ」と小言を投げかけた。
「ジルは驚かないのか……?俺はあの時てっきり彼女が高校生か何かかと思ってたんだが」
「今更?研究室にいるってことはもう卒業も近いに決まってるじゃない」
「確かに白衣を来てると随分印象が違うが、つまりナマエは妹と同い年ってことだよな……。いやいや、でも、なんというか……」
「日本人は実年齢よりも幼く見えるのもよ」
ジルがブツブツ言いながら考え込むクリスを一蹴すると、彼はナマエが戻ってくるのを静かに待った。
「お待たせしました!改めまして、あの時は助けて頂いたのにも関わらずお礼も言わずにそのままで……申し訳ありませんでした」
大きな荷物を抱えて戻ってきたナマエが勢い良く頭を下げると、二人は驚いて慌ててナマエの姿勢を元に戻した。
礼の言葉を必死に述べる彼女の姿でその思いが伝わったのか、彼らは「君のように偶然巻き込まれてしまった一般人の救助も仕事のひとつだ。生存者全員で脱出できたことは自分たちの誇りにもなる」と彼女に伝えた。
胸を張ってそう述べる二人に感激し、ナマエは涙が出そうになった。
大変な目に遭い、今も苦労や心配事は絶えないが、あの日救助に来てくれた人がレオン、クリスとジルで本当によかったと思った。
寛大な彼らにナマエは恐縮していたが、いくつかやりとりを交わし、ここでは込み入った話もできないということで、彼らが乗ってきた車に移動することになった。
ナマエは命の恩人であるジルとクリスに再会できて心から嬉しく思っていた。
感謝の気持ちを伝えるにしても、彼らのような特殊部隊や組織の事には疎いし、レオンに頼もうにも忙しい彼にこれ以上負担をかけるのは憚られたので、今までどうにもできないでいたのだ。
数年来の悩みが解決し、こうして彼らに再会することができてやっとひとつ心中のもやもやが消えた。
キーを取り出して運転席に乗り込むクリスに続き、ジルが後部のドアを開けてナマエに乗り込むように促した。
ナマエは、ジルは助手席に乗るものだと思っていたが、そのまま一緒に後部座席へ乗り込んでくれたので安心した。
これで移動中でも話がスムーズにできる。
「目が覚めるまでついていられなくてごめんなさいね」
「いえ、あの、両親もジルさんたちにお会いできたら喜ぶと思います。あの時の話をしたら感謝の気持ちで泣いていましたし」
真剣にそう言ったナマエに、ジルはやさしく微笑んで「ありがとう」と言った。
ナマエはお礼を言われてキョトンとしたが、ハンドルを握るクリスが「隊員冥利に尽きるな」と言い、それに対してジルも笑顔で相槌を打っているのを見て、今自分と一緒にいるこの二人は想像を絶する世界で生きていることを実感した。
その時、ふとナマエは以前レオンから聞いたことを思い出した。
ジルやクリスはラクーン警察の特殊班で、アンブレラ事件の発端から関わっているということだ。
話をしてくれたレオンの表情を思うと聞いてもいいことなのかと悩んだが、ナマエ自身もまたその渦中にいるようなものだ。
思い切ってそのことを切り出してみた。
「ジルさん、私、レオンさんから伺ったんですけど……」
その道中、彼らはナマエに事の全貌を話してくれた。
レオンから聞いていたこともあって覚悟はできていたものの、それはやはり悍ましいものだった。
ナマエが遭遇した怪物以外の得体のしれない物ともたくさん闘い、その戦闘をくぐり抜けてきたというからには実力も相当なものだと容易に想像がつく。
まず、警察の特殊班に配属されていた時点で様々な能力に秀でているのだ、と話を聞いているナマエは納得した。
彼らは現在も対バイオハザード私設部隊で仲間と協力して各地で活動をしている。
一時より落ち着いている(ように見える)アンブレラの動きにより、二人は休暇をもらってナマエに会いに来たとのことだ。
主にジルからこれまでの経緯を聞くと、今度はナマエの方が近況を尋ねられた。
「その前にちょっとすまん。ここまで勝手に連れてきて聞くのもなんだが、ナマエはこの後の都合、大丈夫か?」
「あ、はい、大丈夫です」
「じゃあ貴女のことはお店でゆっくり聞かせて」
「えっと、食事ですよね?」
「ええ。ちょっと遅すぎちゃったけど、ナマエの快気祝いよ!」
「えええ!?」
レオンの時もそうだったが、こちらがお礼をする立場なのに中々上手くはいかないものだ。
突然のことに驚いてばかりのナマエだったが、ジルとクリスと一緒にいると、一人っ子の彼女にとって姉と兄ができたようでくすぐったいような嬉しさがこみ上げてくる。
大学で気が張っている分、プライベートでは知らずのうちに甘えたになるようだ。
そのままクリス達に連れられて、一軒の小洒落たダイニングバーのような店に入っていった。
全席個室のため、この様な店は初めてだったナマエも落ち着いて過ごすことが出きた。
適当なコースを頼むと、当然ドリンクの注文も伺われる。
ジルはビール、運転手のクリスはコーラ、あまりアルコールが得意ではないナマエはクリスを真似てコーラにしようとしたのだが、ジルが「それならこのカクテルなんか丁度いいんじゃない?」と提案したので、それに乗せられ思わず明るい色をしたカクテルを頼んでしまった。
こうして、ささやかながらナマエの快気祝いが始まった。
空きっ腹に酒はマズイので、ナマエは運ばれてくる料理を堪能しながら適度にカクテルを飲んでいた。
ジルはペースが早くてどんどんジョッキを空けていくが顔色ひとつ変えておらず、それをナマエは純粋に凄いと感じていた。
そんな彼女を察したのか、クリスがこそっと「いつもこうなんだ」と呆れたように耳打ちした。
お腹も大分満たされたころ、ナマエはあの日から今までの自分の身の上を話始めた。
大学が変わったことや、レオンと会っていることはもちろん、政府からのスカウトやこの身体に注入されたウィルスのことも全て話した。
二人はその話を聞くと、自分のことのように悲痛な面持ちになった。
それは、決して同情等ではなく、その苦しみを理解できるからこそ表に現れた表情だった。
ナマエはウイルスのことを思い出すとどうも感情的になるようで、またそのことによっていつもの「レオン心配性」でいっぱいになり、咄嗟に目の前にあった本日数杯目のカクテルを一気に飲み干してしまった。
「ちょ、ナマエ!?」
「おいおい、水を飲むんだ!」
「大丈夫ですって!私なんか、いっつも皆に助けてもらってるのに、できることといったら心配することだけで!本当はレオンさんに何かサポートしたいのに無力だし非力だし……」
酔いが回ったのか、顔を真っ赤にして喚いたかと思えば、途端に今度はぐずり出し、酔っているとはいえそんなナマエの姿にジルは胸が痛んだ。
たくさんの人を巻き込んだアンブレラ、もといウェスカーを許すことは絶対にできない。
ぐったりとするナマエを、ジルは抱き締め優しく背中を摩った。
「みっともない姿見せてすみませんー……」
「全部吐き出しちゃえばいいのよ。今まで誰にも相談できなかったんじゃないの?」
「うう、はい……だってレオンさん、いつも優しくて強くて、でもあの日もそのあともずっと私は何にもできない役立たずなんです」
「そんなことはないわ」
ずっと様子を見ていたクリスが、二人の傍に移動してきて腰掛けた。
ジルが不思議そうな顔をしたが気にせず彼は口を開く。
「本当にそんなことないぞ。待っていてくれる人がいるってだけで、任務では怪我ひとつせずに帰ってこようって思えるんだ」
「クリスさん……」
「行く時に笑顔で見送って、帰ってきた時も笑顔で迎えてくれることが、隊員の癒やしと安心になるんだよ」
「ほんとですか……」
「ああ」
ボロボロと涙を流すナマエの頭に掌を乗せ、クリスは笑顔で頷いた。
それに釣られてナマエもふにゃりと目を細めた。
ジルも「たまにはいい事も言うのね」と一緒に笑った。
そんな三人の姿は傍から見れば妹をあやす兄姉そのものだ。
暫く休憩し、すっかり酔いの醒めたナマエは今度は恥ずかしさで再び顔を真っ赤にしてジルたちに謝っていた。
「もう、迷惑なんて思ってないわよ。ほんと、ナマエって面白いくらい真面目ね」
「酔っ払いの相手なんて面倒かつ迷惑ですよ!以後、気をつけます!」
車中でクスクス笑いながらナマエをあしらうジルも、自分に妹ができたようで楽しそうだった。
クリスもそんな二人をバックミラー越しに面白そうに眺めていた。
任務中は常に死と隣り合わせなのだから、こういった状況とは正反対の世界で活動している。
彼女を訪ねて正解だったと、クリスは確信していた。
休暇中だからといって必ずきちんと休めるわけではないので、こうして明るい気持ちになれるのがとても幸せだった。
ナマエ自身も気がつかないうちに隊員の癒やしになっていたようだ。
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