今日、レオンはこの街の総合病院に来ていた。
製薬会社の営業職員を装い、スーツに書類鞄という出で立ちの彼は、颯爽と病院のロビーを抜けていった。
この製薬会社という名称には虫唾が走るが、受付の職員やすれ違う医師、看護師への挨拶は忘れない。
ナマエから聞いた、担当の医師と毎回連れて行かれる検査室を探しながら病院の様子を探る。
彼は、ワクチンを投与された彼女は利用されており、点滴によって何かを体内に流し込んで実験のデータを収集されているのではないかと踏んでいた。
何者によって行われているのかは定かではないが、大方アンブレラの後に力をつけ始めた巨大製薬会社のどこかだろう。
そのため彼は、そこの職員を装っていれば怪しまれないはずだとも考えていた。
診察室があるフロアの他に、入院病棟や手術室のあるフロアなど、一般人が立ち入るような場所では流石に何も手がかりは得られなかった。
レオンは、念のため完璧に着こなしていた背広のボタンを全て外した。
ナマエの話だと、点滴は病院関係者以外入室禁止の表示がある部屋の中で行われるらしい。
医療器具や薬剤があるので、医師と患者以外の入室が禁止なのは納得がいくような気もするが、たかがビタミン剤にそれはやりすぎな感じがするのは否めない。
そして、その部屋には別の場所へ通じている扉があるが、その奥に何があるのかは彼女も知らなかった。
レオンはその検査室を見つけるべく、内科を受け付けている広い待合室に入った。
受付にある医師の名前には彼女の担当医も含まれているが、その表示によると今日は不在だった。
彼が何食わぬ顔でカーテンで目隠しされている複数の診察室に近づくと、一番端の部屋だけ消灯されていることに気がついた。
不在の医師の診察室である、当然その中に人の気配は感じられない。
誰もレオンの動きに注意を払う人はいなかった。
”病院関係者を待つ来訪者”の雰囲気を醸し出していた彼は、その一瞬で無人の診察室へと姿を消した。
パソコンや処方箋などが置いてあるデスクに、診察用のベッド、消毒に使う道具、血圧計、診察室で一般的に見るものが秩序だって置いてある。
そして、入口とは反対の壁に引き戸が設けてあり、そのガラス越しに向こうへと続く廊下、それと病院関係者以外入室禁止の表示がある扉が見えた。
レオンは、書類鞄に見立てたバッグのベルトを変形させて背負い体に固定すると、廊下を音も無く歩き施錠されていた例の扉をキーピックで解錠した。
拳銃を構えて様子を伺いながら扉を開くと、そこはラボのような部屋だった。
薬品が入っているであろう棚が壁に沿ってびっしりと並び、複数のコンピュータとモニタ、さらにクリーンルームまで設置されていた。
院内を見た限りでは、ごく普通の総合病院にしか思えなかったが、こんな物が備えてあるとは驚愕だ。
これでは、小さいながらも研究施設と言っても過言ではない。
機械の類に電源が付いているということは、コンピュータによって管理されているのだろう。
無人のように思えたが、分析等は24時間続いていると考えられる。
これだけ大掛かりな設備で一体何の実験を行っているのか。
新薬の開発なら、それこそ製薬会社に任せておけばいい。
レオンは、一通り部屋を見渡すと、ひとつひとつモニタを確認して何かの履歴が表示されている画面を覗き込んだ。
辿っていくと、数年前から現在の物まで多岐に渡っての病原の取引の履歴であることがわかった。
その病原とは、T-ウイルス。
恐らく、ワクチンの開発のために保持しているのだろう。
それが病院として行っているのか、この医師個人でおこなっているのかの判断はつかないが、どのようなルートでこのウイルスを入手したのかが問題なのである。
もし、国からの支援の下ワクチンの開発を行っていたのなら、自分の耳にもその情報は入ってきたはずだとレオンは考えた。
国家機関に所属し、アンブレラの絡んだ事件に関わっている自分が知らなかったということは、裏から、すなわちアンブレラと関わっている者との接触で入手したに違いない。
他に何か手がかりはないかと捜索を続けていると、実験データの資料のような物が目に入った。
先程と同様に日にちを辿っていくとそれは一月ごとの記録で、レオンはまさか、と息を呑んだ。
見てみると、一番古いデータは大学で事件が起こった日。
そこには、ナマエの身長から体重、血液型、さらには学歴など多くの情報が記載されていた。
他のデータには、血液検査の結果と点滴の際の生体情報も残されている。
当然、点滴で投与している物が何であるかも書いてあり、それはT-ウイルスの生ワクチンだった。
月に一度の検査で彼女の体内に抗体があることを確認し、その度に生ワクチンを投与して生体の反応を見ていたのだ。
ナマエは点滴によって特に身体に変化は無いといっていたが、これは大学で接種した抗体が現在も機能を失っていないことを表している。
レオンは冷静さを失いそうだった。
もし血液検査に間違いがあって、実際には抗体が存在していないのに生ワクチンを投与されてしまっていたなら、副反応によりウィルスに感染するのは免れない。
何事にも、とくに科学に絶対は有り得ない。
投与を続けていても今まで感染は見られず抗体が機能し続けているのは不幸中の幸いである。
明日にでも彼女の家に行き、何が何でも通院をやめるように言い聞かせようとレオンは拳銃を握りしめた。
しかし、迷うのはこの事実を伝えるべきかどうかだ。
やっと普通の暮らしに戻りつつある彼女にまた辛い思いをさせたくはなかった。
自分が実験体にされていたなんて知ったら気が滅入るどころの騒ぎでは済まない。
レオンの溜息が無人の研究室でやけに大きく響いた。
復学の手続きをするために、先程からナマエは大学の敷地内を歩き回っている。
まさか学部生のうちに大学が2度も変わるとは思いもよらなかったが仕方がない。
そんなことより、初めて来る場所というのはこんなにも厄介なものなのか。
手続きは郵送でも可能だったが、せっかく入学するのだから新学期が始まる前に訪れた方がいいと思い、直接窓口を目指したものだが、正門をくぐってから階段やら坂道やらで中々棟に到着しなかった。
身体の鈍り具合に焦りを感じていたものの、呼吸を乱しながらなんとか目的地まで辿りついた。
深呼吸をしながら建物を見上げる。
やりたいことをするために、今度はここで頑張ろうと自身に活を入れた。
建物に入り、事務の窓口を見つける。
どこもそうだろうが、事務の職員は親切で何の滞りなく書類は受理された。
学費納入用の口座も開設してあるし、あとは9月が訪れるのを待つだけだ。
それまでにはまだ大分日数があるが、大学が始まれば通院の日を入れるのも今のようにはいかなくなるだろう。
それに通院の度にあれだけの時間をかけられていたら面倒なことこの上ない。
農学部棟を後にし、歩きながら何とか点滴だけでもやめてもらえないかと思案していると、後ろから声をかけられた。
振り向くと、そこにはスーツを着た30代程の女性が立っていた。
知り合いでもないし、顔に見覚えがあるわけでもなかったが、彼女は自身のことを政府の諜報員だと言う。
ますます怪しく感じ新手の勧誘かと思ったナマエは、急いでいると言って立ち去ろうとした。
すると、その女性は慌ててナマエに、あの大学で起こった事件の生存者で間違いないか、と言い彼女を無理やり引き止めた。
確かにそれは事実だったので、驚いたナマエは思わず首を縦に振ってしまった。
少しの間だけで良いと言うその女性は、近くの学生食堂にナマエを連れて行き、テーブルに着くと名刺を差し出し何やら一方的に自己紹介を始めた。
一体何事かと問いたかったがタイミングを見計らうことができずじっとしているしかない。
やっと話が一段落し、ようやくナマエが口を開いた。
「あの、それで、政府の方が私に何の用ですか」
ナマエが始終疑わしげな視線を送るも、自称諜報員は不快感を示すどころか一向に顔色を変えない。
むしろ、その質問を待ってましたとばかりに再び話を始めた。
大まかに言うと、これは大学を卒業したら国家機関に就職しないかというスカウトだった。
何故ナマエに話を持ちかけたかというと、危険に直面した経験のある彼女はその危険が国家や国民の身近なところに存在しているということを知っており、そうでない人よりも危機への適応能力や解決方法の飲み込みが早いのではという推測が理由で、実際の職員にもそのような傾向が見られるのためだそうだった。
しかし、ナマエにしてみれば急な話すぎるし、国家機関に勤める能力や技術があるとは思えず、世の中にはもっと優秀な人は大勢いるだろう、いくら事件に巻き込まれた経験があるからといって何故自分が、という疑問が拭いきれない。
本当はそういった疑問が山ほど浮かんでいたがあまり余計なことを言ってもこの人には通用しないと判断し、自分はまだあと2年大学に通うつもりだし、もしかしたら修士、博士課程を修めるまで学生でいるかもしれない、そんな先のことはこの場で答えを出せない、と当たり障りのない返事をした。
その諜報員は、一瞬都合が悪そうな表情を見せたが、懲りずに新たな提案を出してきた。
「それはこちらも十分考慮しています。お返事の方ももちろん今すぐにというわけではありませんよ」
「はあ……」
「機関支部の見学等はいつでもお受けしておりますし、お望みでしたらインターンもご用意してあります」
「それはご親切にどうもありがとうございます、興味が湧いたらこちらにご連絡致します」
役所でもあるまいし見学なんて易々と受け付けていいのかよ、況してやインターンなんて、というツッコミを飲み込んでとりあえず返事だけは素直にしておいた。
今は食事時ではなく、食堂といえども人気がないので、このまま諜報員のペースに引き込まれたらどうしようと不安だったが、案外頭は冷静に働いているようだ。
とりあえず調子を合わせて話を終わらせたナマエは、深々と頭を下げると不自然にならないように且つ出来るだけ急いで食堂から出た。
名刺も渡されたし、ここではあの女性が本当に政府の諜報員だと仮定しよう。
何か危険な目にあった人をそれだけの理由でスカウトするだろうかと聞かれたら、答えはnoだろう。
しかし、この危険な目というのがアンブレラが関係していた事件と限定すると、話は変わってくる。
ナマエはレオンの場合を思い出した。
彼は、一緒に脱出した少女の身の保全を条件に打診された。
では自分はどうなのだろうか、何か交換条件になるようなことはあるのだろうか。
彼と異なりサバイバルスキルもなければ、まだ科学的な技術も未熟であるナマエには不審感しか残らなかった。
レオンの話を聞く限り、アンブレラは政界にもつながりがあるようで、いくら政府の諜報員だからといって信用はできない。
しかも、働き口を提示させるなんて一体向こうに何の利益があるのか見当もつかない。
それでも、自分が何かに利用されるのではないかという恐怖は感じてしまう。
やっと新しい一歩を踏み出したのに、途端に不安になるような事が起こり、一刻も早くレオンに会ってこのことを伝えたい。
雲行きが怪しい昼下がりに、余計に気が重くなった。
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