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時間は少し戻り、所は見晴らしの良い高い場所。
宿屋の屋根の上に立つと、丘の上に立つ蘇生士の館の入口が見えた。冷たい風が吹き付け、マサカの服をはためかせる。
「動いた…ネ」
蘇生士の館へと突入するシャルト軍を見据え、マサカはそう口にする。
「あーあ。せやかて、分かったところでなんもせえへんやん」
背中越しに不服そうな声色で声がかかり、マサカは首だけ動すと、続いて屋根に登ってきたノヴァを見る。
「ノヴァ、今回のことは分かってヨ」
マサカは溜息まじりにそう言うが、ノヴァはそれには何も言わず、吹きつく風から外套で身を包むと、口元を隠しぽつりと呟く。
「…いやや…こんな見殺しみたいな事。マサカに言われたって、うち、納得できひんよ」
「…ノヴァ、僕達は決めたでショ」
マサカは振り向き、蹲るノヴァを見下ろしそう言った。
二人の視線は強く絡み合い、ノヴァは何も言えずに先に視線を逸らした。
「…そう、やったな…マサカの言う通りや…」
視線を落とすノヴァに、マサカは視線を合わせる為に膝をつく。
「…ノヴァ…君は無理しなくてもいいんだヨ」
まだ蹲ったままのノヴァに、冷たい風は燃えるような赤髪がふわりと舞わせた。
膝に顔を埋めていたノヴァは顔をあげると、少しむくれた様な表情をしている。
「…阿呆、無理なんかしてへんで。うちらはうちらの幸せを選ばなあかんねん。…このまんまじゃ、ウチらはただ死ぬのを待つだけや、そんなん報われないやん…」
いつの間にか、ノヴァの手はマサカの服の裾を掴んでいた。少し、震えているのは寒さのせいなのか、それとも、このどうしようもない憤りの対処が出来ないのか、それは分からない。
「そうだネ…だから僕達は選ぶのサ」
「…せやな。ま、確かに坊ちゃんを気に食わないのは確かやけど、うち、マサカは好きやしな」
いつものように艶のある笑みを浮かべると、ノヴァは勢いよく立ち上がった。
膝をついたままのマサカはノヴァを見上げる形になったが、その表情は重い荷物を捨て去ったように清々しい。
そう、これが彼女の真の顔である。
「んなら、そろそろ逃げた方がええで。もうすぐここにも火の手が回るな」
ノヴァの忠告に、マサカは腰をあげる。夜の風はまたより一層強く吹き付け、二人の体を冷やした。
今日のこの風であれば、すぐに炎はジュナを燃やし尽くすであろう。
「…そうだネ…。なら、まずはヴァンに報告に行かなきゃ」
マサカは外套を口元まで上げ直し、ジュナの南西を見つめながらそう口にする。
「終焉のモノが動いた、とネ」
その言葉に、ノヴァは一瞬はた、と動きを止めたが、マサカの言葉が漸く理解できると乾いた笑いをあげた。
そして弧を描くようにして口元に笑みを作るが、その瞳は笑ってなどいない。
「へえ…なんや、そろそろ面白くなってきたねんな」
「…そうかもしれないネ」
ジュナに、赤く揺らめく炎が灯されるのを見た。
その炎は風に吹かれると更に勢いを増して、聖地を飲み込んでいく。止めることなど不可能である今を説くように。
その様を、ノジェスティエの女神よ。貴女は見ているのであろうか。
「なに、女神…この世界の命は、この偽りの世界の僕達が…紡いでいくと言うことサ」
二人は外套を翻し、炎が町を喰らう音を聞きながらジュナをあとにする。
ただ、振り向くことはしない。
これは、既に選んだ道であるからだ。
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