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どうやら二人には気を使わせてしまっているようだ。
ソアはそう思いながら、濡れた長い髪を乾かしていた。
一番風呂を譲られて先に入ったが、それは実に良い湯加減だった。
体の内側から温まっているため、既に夢見心地ではあるが、ひっそりとした冷たい空気を求め、ソアは窓の外から顔をだす。
外は月の明かりだけだが、今日は満月のようで人の影が分かる程に明るい。
簡易な夕食を済ませ部屋に戻ると、二人には一番奥の寝室を進められた。
部屋はその寝室と入ってすぐのリビングルームの二部屋。
もともとの割り振りもあり、この部屋は二人部屋だったのか、ソアの居る寝室にはベッドが二つあった。
部屋の鍵を渡したのはソアであるのは間違いない。
ソアがリビングルームで寝ると言ったが、イリスは今日は眠れないから本を読むためベッドは使わない。
エリスからは剣の手入れがあるし、そのままリビングルームで寝てしまうだろうから部屋を使ってくれ、と訳の分からない理由で進められた。
二人はと言うと、仲良くリビングルームのソファで寝ると言う事ではあったが、負けじと折角あるベッドが無駄になる。とも言ったのだが、断固として拒否された。
火照った頬に手をつき、二人の気遣いであるに違いはないのだろうが、思い返すと何だか居た堪れずにため息をついて上を見上げた。
そこには、空に輝いている星が今にも降ってくるのではないかと思う程の満点の星空が広がっており、ソアは小さな感嘆の声をあげてしまった。
すると、不意に話し声が聴こえる。
「おい、クラーフへの荷物、ちゃんと積んだんだろうな! これを逃すとあと二日は無理らしいぞ」
「そうなんですか? じゃあ、あともう少し詰め込めるんで、待ってて下さい!」
「おう、分かった。早くしろよ! 俺は許可をもう一度とってくるから」
「はい!」
体を少し乗り出して見てみると、宿屋の一階の部分には馬車が寄せてあり、そこに食材を馬車へと積みいれている御者の姿があった。
クラーフと言う町の名に、昨日の昼間の事を思い出して、少なからず苦い気持ちが湧き上がる。
だがすぐに、アニマのあの優しい笑顔が浮かんで、ソアは苦い思いをゆっくりと吐き出した。
そしてふと、夕方に出会ったマサカの占いの言葉が脳内で響く。
「大切ななにか….か…」
あの時、「大切な何か」を考えた時、すぐに思い浮かんだのはアニマの姿だった。
記憶の無いソアにとって、思い出せるのは一年程の短い期間しかないが、それでもアニマの存在は、ソアの中では何物にも変えられない存在、拠り所だ。
もしそれが失われてしまうのであれば、それは酷く恐ろしいと思った。否、今もそう強く思っている。
冷え切った風がふき、ソアは身震いをして我に帰るが、視線は変わらない。
「…気になって寝てられないよね」
ぽつりと呟くと同時に、既に乾いた髪を結い、黒のインナーワンピースの上に外套だけを羽織る。
扉の向こうの二人には気が引けたが、今から馬車でクラーフの町近くのアニマの家に元に戻れば、徒歩で帰ろうにも、寝ずに歩けば朝にはたどり着ける。そう、何事もなかったように。
ソアは最後にナイフを身につけると、窓から顔をだして下にある馬車を確認する。
先程の新米であろう御者は、もう一人の御者を呼びに行っているのか姿が見えない。
ソアは軽い足取りで窓から飛び降り、音も立てずに着地するとすぐに馬車の荷台の中に隠れた。
程なくし、御者であろう二人の話し声が聞こえ馬に鞭を打つと、ゆっくりと動きはじめる。
馬車はクラーフまでの道のりを走り出していた。
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