10

 月光は冷たい刃を照らす。
 磨き上げた剣を一振りしてみると、風を切り裂く音に、燃えさかる火を彷彿させるような髪色の男は「tres bien」と感嘆の声を上げて優雅に目を細めた。

 そこは自身の陣営である場所より少し離れた所であり、聞こえるのは虫や生き物達の声のみで、月の光しか届かない。
 男は綺麗に髪を後ろへと撫でつけた髪型をしていたが、前髪からは長いひと束の髪を出し、緩く流して左耳に掛けている。
 剣を持たぬ手で、整えられた短い顎髭をなぞる。それは彼の癖だ。
 その手には手首までの白い手袋はめ
、白のシャツとスカーフを身につけるその様は、さながら紳士のようである。
 だが上に羽織った、シャルト軍特別部隊のコートにより、彼がただの紳士でない事が分かる。

「調子はどうかね、ルベウス君」

 唐突も無くしゃがれた声に話し掛けられた赤髪の男、ルベウスはその声の主をまるで見ているかのようにしっとりと響く声で返す。

「調子…と言われましてもね、ウォータン博士。私はここ何十年と変わりはしないのですぞ」
「結構結構。キミがそうであってくれれば、私は最高に気分がいいのだよ」

 刹那、ルベウスの髪を鷲掴み、鼻先がつきそうになるまでに顔を近づけるとウォータンは卑しい笑みを浮かべながらそう言った。
 左目には眼帯を付け、無造作に肩まで伸ばされた癖毛の白髪の老人は、いかにも怪しさの塊と言える。
 大きく開かれた片目は、貪欲さを浮かべ、ルベウスを捉えて離さない。
 ルベウスはそんなウォータンに、表情を一切変えず「Oh.lala…」と呟く。

「その手を…離して頂けるかな?」
「その怒りに狂う瞳…いいね、好きだよ…君たちは皆、生命に悩まされている」
「それは…誰のせいかな…博士」

 自嘲気味にルベウスがウォータンに問うと、ルベウスの髪を握っていた手を離して戯けて見せる。

「誰? 無粋な事を言ってはならんよ、ルベウス君。この世界の神、ミズチではないか」

 ルベウスは乱された髪を整えながら「違いない」とだけ呟き、磨き上げられた剣を腰に戻してウォータンを見遣り口を開く。

「だが…生憎私は神なぞ信じない。あの時、私は思い知ったのです。神など居ないと、ね。明日は私も早いのでこれで失礼致しますぞ、博士。Ah revouir…」

 そう言って別れの挨拶と共にルベウスは恭しくお辞儀をして微笑む。
 踵を返し、その場を離れようと足を進めると、背中越しにウォータンのくつくつと笑う声が聞こえその足を止めた。

「だから、今からそれを壊しに行くのだ、妖精に惑わされし弱きヒトよ」


 振り向くこともしないルベウスの背に、嘲笑いながらウォータンは言葉を続ける。

「…魂の鎖は順調に切れている。風、地、水、火…この度は命の象徴とも言える光の魂の鎖…」
「それが本物であればいいのですけどね…」

 今まで口を閉じていたルベウスが片眉を上げて笑いながら返すと、ウォータンはにんまりと半月を思い浮かべさせるように笑う。

「本物だよ、私が、確かに見たのだから…本物だ」

 一つ、突風が吹く。
 ルベウスは目を眇めた視界に、爛々と輝かせる不気味な瞳と目があった。

「早くあの娘の側に行けるといいね…」

 まるで頭の中で流されたテープのように気味悪く響く言葉に、ルベウスは立ちくらみを起こして膝をつく。

 そうして、先ほどまで確かにそこにいた筈の老人の姿は、もうそこにはなかった。


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