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 振りかぶる拳が自身を傷つけようとも、心無い言葉がこの胸に突き刺さろうとも、そんなことは怖くなかった。
 あの人が悪者になってしまうのならばーー、そう考えれてしまえば、ソアは自身のプライドなどとうの昔に捨てていた。

 そう思っていたはずなのに。今は分からなくなった。怖い、悲しい、今、この感情をどう説明していいのかはわからない。
 あの人以外は皆他人事のようにする人しかいないと思っていた。
 だからこの目の前に居るこの人が、どうして自分の為に心を痛め、怒りに震えているのかがソアをわからなくさせる。どうしてこんなに悲しい気持ちになるのかもわからない。
 そうだからこそ、ソアは目の前の銀髪の彼を守りたかった。彼を非難されることは、あの人と同じ、とてもとても悲しい事になるのだと思ったからだ。

 そう思えば、ソアは必死にエリスの腕に抱き着くようにして止め入っていた。

「駄目! やめて、エリス…!」
「いいから離せ! このままでいいわけねえだろーが!」

 ソアの言葉などエリスには届かない。どうしてだろう。視界が歪んでいく。震えて、上手く力が入らない。情けない。

 そんなソアの異変に気が付いたのか、エリスは振り返ると目を疑うように瞬き、暫くして怒りに震えていた腕が降りた。

 わけが分からなかったが、ソアは安堵の息を思わず零す。
 それとともに、掴んでいたエリスの腕に水が流れ落ちたのを、ソアは視界の隅で見た。

 気のせいか頬がひんやりと冷たい。
 ソアは自身の頬に触れると、そこに一筋の涙の跡があり、そこでやっと自身が涙を流していたことに気付いた。

「ソア…?」

 困った風にエリスは眉尻をさげ、顔色を伺う。
 ソアはすぐさまそれを拭い、大丈夫だと、そう言葉を吐こうとするも、細くなってしまった喉からはなにも出ない。これではまるで、震えあがった子どものようだとソアは思う。
 情けない。そんな思いを頭の隅に追いやり、必死に声を出す。

「あ、あたしなら大丈夫だから。大丈夫…こんな事したって何にも変わらない。お願い、ラディさんは悪くないの、今は皆不安がってるだけだから。だから…!」

 エリスを宥めようと吐いたその言葉に、自身で抑えていた感情が理解されていく。

 そう、だから私は悲しめなかった。だれかの悲しみの拠り所にならなければ、誰かが壊れてしまうと思ったからだ。

 ぱたぱたと音を立ててエリスのワイシャツに染みを作り上げていく。
 未だエリスの腕を引いていた手は彼を掴んでいたが、その手に暖かいものが触れた。
 ソアは驚き、目を丸くして何かに触れられている手を見ると、エリスの右手が支えられるように添えられていた。

 手袋越しの温もりは、じんわりとソアを温める。緊張に冷えていたその手に、冷え切っていた心に温もりが確かにあった。

「エリ…」
「…ソア、行こう! 早く!」

 エリスはソアの手を力強く握りしめそう言う。滲む視界が、はっきりと映し出された時、ソアはエリスの優しげな眼差しから目が話せず、ただ頷いた。


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