1
 目の前に広がるのは、忘れようにも忘れる事などできない、嫌なほど見慣れてしまった光景が広がっていた。

「…かあ、さん…おかあさん…」

 大好きな母が居ながら、大好きな母に怯える小さな俺がいる。
 恐怖に慄き、声は掠れ、もう涙などは既に枯れ果てていた。
 夢だと信じたかった。目の前の光景は、恐い夢だと信じたかった。

 大丈夫、もうすぐ終わる。そう小さな俺に、俺は膝をついて耳元で囁いてやった。
 そう、もうすぐイリスも、クワースリさんも駆け付けてくれる。何もできない俺とは違い、二人はこの地獄から助けにきてくれる。
 
「エリス…大丈夫…もうすぐ…もうすぐで助かるからね」

 母は、血塗れの母は何時もの様に明るく俺を励ましてくれた。

「母さん! 嫌だ、死なないで! 皆が来てくれるから、だからだから…!」

 必死に出た声で、震えながら母に近づくと、母は、優しい笑顔で俺を慰める。もう動かないはずなのに、母は手を伸ばし、俺に触れる。

「いい? イリスの言う事、ちゃんときくの。そしてイリスを守ってあげて…」

 小さな俺は、何度もそれに頷き、しゃくりあげながら母の手を握る。

 俺はそれをただ傍観していた。
 母はもうすぐ死ぬ。いつもの夢だと既に悟っていた。
 初めは、もしかしたらこれは女神がくれたチャンスだと思った。
 ここで助ければ、母はなんでも無かったように帰ってきてくれるんであろうと思った。
 悪足掻きで何度も助けようとした。でも俺は所詮夢の中の傍観者であって、結局母は死んでしまう。
 俺が無力だったから、俺があんなことしなかったならば、未だ母は俺たちの側に居てくれただろう。

「…ごめん。俺が全て奪ったんだよな」
「エリス」

 振り向くと、そこには母が居た。
 大きな瞳は栗色で、綺麗な黒髪は左横で緩く結び胸まである。
 今の俺から見ても幼い顔付きで、でもとても優しい笑顔を浮かべていた。


「…母、さん」
「どうしてまた来たの? 助けることも出来ないのに」
「母さん…俺は…」
「貴方なんて、生まれてこなければ良かったのに」

 優しく微笑む母は俺にそう言った。
 本当、全くその通りだ。


リンク無/
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -