「……詩季ちゃん」
着替えに向かう途中、不意に名前を呼ばれて声のした方へ視線を向けると、エレベーターホールの陰に隠れるようにして翔くんが手招きをしていた。
「翔くん?」
タキシードのままの翔くんに声をかけると、彼は口元に人差し指を当てた。
「……近くにあいつら……いない?」
「えっ?あ……うん。いないよ」
わたしはキョロキョロと辺りを見回して返事をする。
「ごめんね、ちょっと……いいかな?」
(何だろう?ここでは話せないことなのかな?)
衣装のままであることを気にしつつ、翔くんの表情がなんだか少し曇って見えて、わたしは頷いた。
「ごめんね……いきなり」
エレベーターに乗ってやって来たのは、屋上だった。
まっすぐに柵の側まで行くと、翔くんはそこから見える景色を眺めながらつぶやいた。
その声はいつもの元気で明るい翔くんの声ではなく、どこか思い詰めたようだった。
「ううん……」
(どうしたんだろう。翔くん……?)
「あのね……俺さ……」
「うん?」
「応援するって、あの時言ったの、覚えてる?」
「えっ。応援……?」
「うん……詩季ちゃんと、一磨のこと」
(あ……。もしかして、ミュージカルの後の病院で言った……)
「うん。覚えてるよ」
わたしの返事に、翔くんはフウッと身体全体で息を吐き、そしてゆっくりとわたしに向き直った。
(あ……)
わたしは思わず息を飲む。
その表情が苦しげで、それでいて目は逸らすことを許さない熱を帯びていたからだ。
「俺……やっぱり詩季ちゃんのことが好きなんだ。諦められない」
「……翔……くん……」
翔くんの突然の告白とそのまなざしに、わたしは金縛りにあったように身動きが取れない。
(そん……な……どうして、いきなり……)
そんなわたしの疑問を察してか、翔くんは言葉を続ける。
「ふたりが……付き合い始めてから、諦めようと努力した。応援してるつもりだった……」
「…………」
「でも……今日、詩季ちゃんのドレス姿を見て……自分の姿を見て……これが本当になればいいのにって……」
ギュッ。
そこまで言うと、翔くんはわたしの肩を掴んで、自分の胸に抱き寄せた。
「えっ?」
突然近づいた翔くんの胸。
驚くわたしの背中に彼の腕が回り、きつく抱きしめられる。
「詩季ちゃん……好きだ」
「翔くん……わたし……」
震える声で口を開きかけた時。
「……んっ」
翔くんの顔がわたしの目に飛び込んできた。
気づいた時には、翔くんの唇はパッと離され、ハッとしたように一瞬目を見開く。
「ごっ、ごめん……!」
そのまま、翔くんはわたしの前から逃げるように走り去って行った。
(な……に……?今の……)
あまりに突然すぎて、声も出なかった。
何が起こったのか、理解する暇さえなかった。
ただ、唇に残る熱だけが、今あったことをわたしに教える。
(キス……しちゃったんだ……翔くんと……)
呆然と立ち尽くすわたしを、そっと見つめる目があったことに、この時のわたしには気づく余裕もなかった。