「悪いな、急に呼び出して。……体調はどうだ?」
一磨さんが仕事へ出かけるのに合わせて、わたしは事務所へやって来ていた。
急なスケジュールの打ち合わせがあるとかで、山田さんからメールが入ったからだ。
「はい。もう大丈夫です。あの……」
「……何だ?」
(一磨さんの部屋に泊まったこと……怒ってないのかな……)
おずおずと声をかけてみるが、眼鏡の奥の瞳はいつもと変わらない。
わたしたちが付き合っていることは、どちらの事務所も知っている。
認められたというわけではないが、黙認してくれているというのが一番近い表現だと思う。
そんなわたしの考えに気づいているのか、山田さんが口を開いた。
「分かっているとは思うが……」
「はい?」
「今回は特別だぞ。俺たちはあくまでもお前たちを信用して口を出さないだけだ。何かあったらその時は……分かっているな?」
「……はい」
俯いて小さく返事をしたわたしの頭を、山田さんは手帳でポンと叩いた。
「……そんな顔をするな。何も別れろとは言っていない。彼はWaveのリーダーをしているだけあって年齢のわりにしっかりしているし、正しい付き合いをしていれば問題はない」
「はい……」
山田さんはフォローするかのようにそう付け加えた。
でも、頷くしかない自分の立場が悔しかった。
(芸能人は恋愛も自由にできない……)
分かっていたはずなのに、胸が苦しくて、思わず唇を噛みしめる。
(それでも……一磨さんへの気持ちだけは……譲れない)
「……おい、聞いているのか?」
ハッとして顔を上げると、山田さんの訝しげな表情が目の前にあった。
「す、すみません……」
「まったく……もう一度言うからよく聞いておけ」
「は、はいっ」
(いけない。今は仕事に集中しなきゃ……)
わたしは慌ててカバンから手帳を取り出した。
「Waveとのユニットのアルバムがかなり高い支持を集めているが……お前が作詞した曲をシングル化することになった」
「えっ?」
思いがけない言葉に思わず声をあげる。
「そのシングルだが……お前と桐谷翔のツインボーカルで少しアレンジを加えるそうだ」
(翔くんと……アレンジ……?)
「アルバムの中ではデュエットだからな。あくまでユニットとして出したいということだ。それに……」
一度、そこで山田さんは言葉を切ると、フウッと息を吐いた。
「……お前たちの関係を守るためでもあるんだぞ」
「……え?」
顔を上げると、山田さんの優しげな目があった。
「あのまま出せば、いずれマスコミに色々と書かれるだろうからな。そうなれば俺たちだけでは守ってやれなくなる危険もある」
「山田さん……」
「向こうの事務所は業界内でも影響力が大きい。ただでさえ相手はあのWaveだ。彼の力だけではお前を守ってやることができない事があるかもしれない」
「…………」
「だから頼むと……言われたんだよ」
(……え?頼むって……)
はじかれたように山田さんの顔を見ると、山田さんは想像に反して優しい笑みを浮かべていた。
「彼に……本多一磨に言われたんだ」
詩季を見送った応接室で、山田はひとり思い出していた。
“この世界にいる以上、僕だけの力では、彼女を守ることは難しい。
むしろ僕と一緒にいることで、彼女に負担がかかることがあるかもしれない。
だからいつも彼女の側にいて見守ってくれている山田さんにお願いがあるんです。
僕がこんなことを言うのは失礼かもしれませんが、これからも彼女のことを守ってあげてください。
僕がしっかりと、自分の手で彼女を守れるようになるまで”
「……まったく……」
そうつぶやいた山田の表情は、明るかった。
まるで負けた、とでも言うかのように。