「詩季ちゃん……大丈夫?」
一磨さんの声で、わたしはやっと雪崩れが過ぎたことを知って、顔を上げた。
「うん……」
辺りを見回すと、ほんの2m先。
わたしたちがさっき歩いていたコースの上に雪の山があって。
周辺が白い壁で覆われてしまっていた。
静まり返った空気の中、耳を澄ませてみるけれど。
人の声も、鳥のさえずりも、聞こえない。
ただ、風が雲を運んでいったのか、赤く染まった空が覗き始めていて。
差し込む太陽の光が、白で埋め尽くされた世界をキラキラと輝かせている。
「……とりあえず、あそこに移動しようか?」
一磨さんの指差した方向には、小さな避難小屋の壁が見える。
わたしは山に登る前にガイドさんから聞いた話を思い出して頷いた。
もし遭難した時は、無闇に動かないこと。
近くに避難出来る場所があれば、まずはそこに身を落ち着けること。
「……はい。手をどうぞ」
先に立ち上がった彼はそう言って手を差し出してくれる。
「ありがとう……」
グイッと引っ張ってわたしを立ち上がらせると。
彼はわたしの手を引いたまま、避難小屋へと足を向けた。
「……明日、朝になったら救助に来てくれるって。今日はもう、日が暮れるから……」
小屋の中にあった無線で麓と連絡を取っていた一磨さんは。
無線を切ってわたしに向き直ると、そう言った。
東から迫り来る夜が、もう空の半分以上を飲み込もうとしている。
「そっか……」
「怖い?」
わたしのつぶやきに反応して、心配そうな声が降ってきて。
慌ててわたしは笑顔を浮かべた。
「ううん。大丈夫……一磨さんがいてくれるから。ね……それより、他のみんなは?」
「ああ、大丈夫だよ。無事に下山したみたいだ」
「……良かったあ」
「それより、服、乾かさないとな。このままの格好でいると体温が奪われてしまう」
一磨さんの言葉に、わたしは自分の姿を見下す。
雨で濡れたところに雪を被り、着ていたスノーウェアは既に保温性を失っていた。
中に着ていた服までもが湿っている。
小屋の中にあった小さな薪ストーブに、彼は手早く火を点けて。
そしてロッカーに入っていた毛布を持って来てくれる。
「……これを使って。大丈夫、後ろを向いてるから……」
そう言った彼の顔が、ほんのりと赤みを帯びていて。
緊張の糸が切れたのか、途端にわたしもこの状況に恥ずかしさを覚えた。
「う、うん……一磨さんも……」
「……ああ。俺も、乾かさないとな……」
差し出された毛布を1枚受け取ると。
彼はそのままわたしに背を向ける。
背中合わせで聞こえるのは、衣擦れの音だけ。
それがやけに大きく耳に響いて、わたしの鼓動を煽るのだった。