どこまでも見渡す限りの雲の海。
それが地上に影を落として、ゆっくりと流れていく。
遮るもののない広い大地に、吹き抜ける風が強くて。
飛ばされそうになった麦わら帽子を押さえた。
『なあ……汐織』
『うん?』
『お前……翼と別れたのか?』
前を走るキャンピングカーを、涼馬と汐織の乗ったオープンカーが追って行く。
『もしそうだったら……どうするの?』
『……俺と付き合わないか?』
夏。
皆既日食を見るために彼らが選んだ場所は、北海道で一番高い山。
旭岳に登山するため、観測予定日の3日前。
彼らは札幌を出発したのだった。
『……悪い。お前はそんなのになびく女じゃなかったよな……忘れてくれ』
黙ったまま、景色を眺める汐織に、涼馬はそう言った。
目の前にそびえる山岳。
そこに向かって、真っ直ぐに伸びていく道。
トウモロコシ畑、ひまわり畑、白樺の林。
真っ赤に熟れたメロンの直売所に、濃厚なミルクの味のするアイスクリーム。
青々と茂った緑も、キラキラとまぶしい太陽も。
夏を彩る香りが、風に乗って流れてくる。
その風に身を委ねるように目を閉じた瞬間。
バッと横風が汐織の被っていた帽子を吹き飛ばした。
『……あ』
風にさらわれて、くるくると回りながら流されていく帽子。
追いかけても、手が届きそうにない。
どんどん小さくなっていくそれを眺めながら。
当たり前だと思っていた未来も、こんな風に消えてなくなるのかと、汐織は思った。
『何があったか知らねえけど……翼にはちゃんと話せよ』
小さな涼馬の囁きに、思い出すのは2日前に病院で聞いた言葉だった。
まだ若いから、体力があるから大丈夫、じゃなく。
若いから、気付くのが遅れ。
若いから、進行も早かった。
誰が、こんなことを想像しただろうか。
翼が教えてくれた、あの七夕伝説の夫婦のように。
ずっと一緒に、もっとずっと、一緒にいたいと思っていたのに。
それはあまりにも、残酷な運命で。
せめてあと3日だけ。
大切な人の近くにいたい。
最後の、思い出に。
『……進行性の癌です。既に転移しています』